編集長日記(13)「歴史地理教育2017年8月号に、4月10日に亡くなられた大林宣彦監督のインタビューが載っています」

By | 2020年4月29日

編集長日記(13)2020/04/29

「歴史地理教育2017年8月号に、4月10日に亡くなられた大林宣彦監督のインタビューが載っています」

〇大林宣彦監督にインタビューさせて頂きました!!

 今月10日に映画監督の大林宣彦さんが亡くなりました。コロナの話題満載の報道の中でも、大林監督が亡くなられたニュースはさまざまに取り上げられて、改めて影響力の大きさを再認識しました。癌との闘病生活の中でも、最後まで映画製作の情熱を持ち続け、新作を撮り続ける様子に、とても感じ入っておりましたが、ついに最期を迎えられたことに謹んでお悔やみを申し上げます。

 実は、『歴史地理教育』では、2017年の8月号で大林監督のインタビューを掲載しました。題名は『未来人たる子どもたちと、映画の学校で、共に歴史を学ぼう』です。

 たまたまSNSを通じて、インタビューをお願いしたところ、快く承諾頂いて、編集委員数名で東京の事務所にお伺いして、2時間を超える長時間に亘ってとても貴重なお話を伺うことが出来ました。2015年に安保法が成立して、「もはや戦後ではない、戦前だ」という自覚の元に、今の平和を若い人々に引き継いでほしいとの思いで、歴教協が反戦平和の教育をめざす教育団体であることをご理解頂いて実現したものでした。当日は初対面の私たちに気さくに話しかけられ、戦後のいろいろな思い出を語って頂いて、とてもこれがあの有名な方なのかと、温かい人柄にとても感動しました。

 しかしながら、私たちがインタビューの録音をまとめた原稿をお送りすると、「これではダメだ」という厳しいご指摘があって、結局、インタビュー形式を残しながら、全面的にご自身で原稿を書き下ろしてくださいました。さすがに妥協をゆるさない姿勢に映画監督の厳しさを感じました。

〇大林監督のインタビューを読み返してみました

 大林監督のインタビュー『未来人たる子どもたちと、映画の学校で、共に歴史を学ぼう』は、副題が「映画は風化せぬジャーナリズム、温故知新の歴史学」となっています。本題も副題も、『歴史地理教育』をよくご理解頂いたものでした。ただ、冒頭学校で教えてくれないことを教えてくれるのが映画だと言われていて、映画のように子どもたちを惹きつけて、伝えるべきことを教えていない学校に強い不満を表明されています。そして、選挙権がありながら選挙に行かない大人を尻目に、最近、駅前で「私たちの未来は、私たちが守ります」というビラを配って平和運動で街頭アンケートをする中高生に、「私たちは、戦前の人間です」といわれたという話から始まり、高度成長の頃でも若者は決してバラ色の未来を思ってはいなかった、そしてそれは実際その通りになって、経済という戦争を戦って父親は単身で戦場に出て行き、母親も働き、自分たち子どもは鍵っ子で銃後を守るということになったじゃないかと言われます。経済的に豊かになっても、その戦いで「心の荒廃」がもたらされたとも指摘されています。

『この空の花―長岡花火物語』と『野のなななのか』は  

 シネマ・ゲルニカ!!

そして、3・11を新たな節目と捉えて、2つの映画を「シネマ・ゲルニカ」として3・11の後、世に送られたと述べて、『この空の花―長岡花火物語』と『野のなななのか』の映画について、制作のモティーフなどについて、詳しく語られています。ピカソのゲルニカになぞらえて映画を紹介される含蓄のある語り口には、戦争に反対し平和を希求する強い意志深いと教養を感じます。『この空の花』の描く長岡の花火は、米軍の長岡空襲を受けた日に、それを忘れずに平和を希求するために毎年打ち上げられているものです。真珠湾攻撃を指揮した山本五十六の出生地でもある長岡市が、ハワイのホノルルと姉妹都市になっている、そのつながりからハワイで花火をあげ、この映画も上映したことを述べて、被害者・加害者の相互理解を目指したことを紹介されています。60年代にアメリカに渡って、激しい反日感情と人種差別を経験されたことで、大林監督はこの試みを相当恐れたことを正直に書かれています。しかし、実際には映画を見たアメリカの高齢の婦人が監督に駆け寄って、「未来の平和をつくる米日の若者にあなたは素晴らしい贈り物をして下さった」といって感謝の言葉を述べられたそうです。そして「この感謝は私の勇気だ」とも言って、それは真珠湾攻撃をした日本人を赦す勇気だというのです。

 『野のなななのか』はソ連の侵攻で8月15日以降も続いた樺太や北海道沖での戦争を描いています。こうした事実も多くの人々が知らぬままに過ぎていて、映画によって知ってほしいということで、このような映画をつくったということです。大林監督は一方で、アメリカの映画にも触れて、戦争の真実が正確に描かれていないことへの危惧も語り、だからこそ、自分で映画をつくり続けていると述べています。

〇大林監督の豊かな感性がインタビューの全文から伝わってきます!!

 この機会にインタビューを読み直してみて、一番感じたのは、全文にあふれる大林監督の豊かな感性とそれに裏打ちされた含蓄のある言葉の数々です。このような文章には、滅多にお目にかかれないと思います。豊かな映像美を追求された映画への姿勢が、語られ綴られた文章の随所に伺われます。最後にその幾つかをご紹介します。詳しくは是非、インタビュー全体をお読みください。

 

 「演技って他人の人生を自ら体験すること」

 「子どもって、「未来人」なんですね」

 「本能は自然界の贈り物。知性に頼る大人より、本能により近い子ど 

  ものが、・・・未来を見通す」

 「映画は、風化せぬジャーナリズム」

 「映画は時代を映す鏡であり、さらには時代を記憶する」

 「(ピカソのゲルニカに寄せて)観察力による記録は風化するが、心

  に感じた記憶は永遠に心に残る」

 「心とは映像が消えた後の、暗闇にこそ残像するもの」

 「総てを忘れては、人は学ぶことができませんから」

 「敵を許す勇気、共に未来を生きようという勇気、それが平和を手繰

  り寄せる力」

 「映画がいつも語る物語はね、人は傷付き合って、許し合って、愛を

  覚える、という人と人との結び付 きの物語」

 「虚構である映画からは、事実以上に真実が見えてくることがありま

  す」

 「過去と未来を結ぶものこそが歴史」

                        (若杉 温)