投稿者「温若杉」のアーカイブ

2022年4月号『「開国」 何が画期的だった? 』の読みどころ

 19世紀半ば、日本はどのように欧米の圧力と向き合ったのでしょうか。近年は幕府が結んだ条約や外交交渉に対

する評価の見直しが進んでいます。

 新年度から高校では、世界と日本の近現代史を学ぶ歴史総合が始まります。私たちはどのような授業づくりがで

きるでしょうか。最新の研究成果に学び、「開国」の歴史像を考えてみませんか。

 

2022年3月号「東日本大震災を学び、伝え続ける」の読みどころ

 東日本大震災・原発事故から11年。被災者の苦しみも原発被害も続いている。あの日からのことを伝え、ともに

学ぶ取り組みを紹介したい。

 今も日本全国で数多くの災害が発生し、巨大地震・原発事故のリスクは目の前にある。こうした状況を学び合

う、さまざまな授業実践に注目したい。

2022年2月号「小学校の歴史教育に学ぶ」の読みどころ

 小学校は、歴史学習の出発点である。小学校教員の座談会や授業を中心に、子どもは歴史とどのように出会い、

どのように学ぶのか、授業のあるべき姿を特集した。そこから、中学・高校の歴史教育は何を学ぶべきか。地域の

遺跡や史料から子どもが疑問をみつけ、みんなで解き明かす。そんな授業を中学・高校でも追求したい。

 

2022年1月号「”生きづらさ”を生きるこどもたち」の読みどころ

 貧困、虐待、不登校、望まない妊娠など、こどもたちの身のまわりには、「生きづらさ」をめぐる課題があふ 

れ、コロナ禍によってより深刻になっている。こどもたちが生きる日常に、希望をどう紡いでいくのか。おとなた

ちの役割や責任を具体的に示し、こどもたちが生きる希望をみいだせるような特集を目指した。

編集長日記(14)をHPにアップしました!

 編集長日記(14)「11月号増刊号はコロナ感染問題を特集しました!!」をHPにアップしました。緊急事態宣言前後からの学校、地域、人々の抱えるさまざまな問題について考えます。ご一読頂き、これからの編集企画にご意見頂けるようにお願い申し上げます。(若杉温)

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編集長日記(14)「11月増刊号は、コロナ感染問題を特集します」

編集長日記(14)2020/05/26

「11月増刊号は、コロナ感染問題を特集します」

〇首都圏や北海道でも、緊急事態宣言がようやく解除されました!!

 そろそろ、全国の会員の皆さんに『歴史地理教育』の最新号の6月号がお手元に届いていると思います。今回もコロナ感染のため、発送はボランティアの方の手を借りずに、事務局だけで行いました。緊急事態宣言はようやく解除されましたが、すぐにかつての日常が戻るわけではありません。私の勤務する千葉県の県立高校では、6月は分散登校で、クラスを2つに分けて、午前午後で生徒はどちらかで登校して、教員は同じ授業を2回実施する予定です。一番の不安は、グループ学習などの生徒同士の話し合いや教師の問いかけを“自粛”して、同じ方向に生徒を向かせるようにという“要請”です。この間まで声高に叫ばれていたアクティブラーニングの導入はどこにいったのでしょう。しかも緊急事態の一時的対応と思っていたら、これからはこのような対応が恒常化する“コロナ時代”だそうです。

 緊急事態宣言の発令前後から、4月号、5月号、6月号と『歴史地理教育』は何とか刊行を続けることが出来ました。執筆者の方々はもちろんのこと、直接編集作業に携わられた事務局員、常任委員の編集担当、そして印刷所、外部編集者の方々に深く感謝します。特に、この6月号をもって、約10年に渡って編集の実務を担って頂き、原稿のレイアウトをはじめ、内容の閲読までして頂いた外部編集者の方が交替されました。これまでのご協力に改めて感謝します。『歴史地理教育』は社会科教育、歴史教育などに関する学術誌として、一定の水準を保つべきとして、温かくも厳しいご意見を、編集作業を通じて頂き、緊張感をもって、編集企画を進めることが出来ました。ありがとうございました。

〇4月号は万葉集と記紀、5月号は憲法、6月号は沖縄を特集しました

 この間、『歴史地理教育』もコロナ感染に関する論稿を掲載すべきという声をいろいろな方から頂きました。特集なども非常事態なのだから、年間予定に拘らず、大きく変更してもいいのではという話もよく伺いました。しかし、実際は、4月号は年度の始めということで定番の古代史で、「令和改元」で話題の万葉集、そして成立1300年という古事記・日本書紀、5月号も定番の憲法記念日を意識した憲法の人権特集、そして6月号は沖縄戦の公式的な終結の月の6月を意識して沖縄戦後の歴史問題を特集しました。3回続けての定番といえば定番の企画です。だからこそ、緊急事態でも刊行できたという自負と、このままでいいのかという葛藤の狭間での編集でした。それでも3月増刊号で口絵写真に小泉元首相を登場させたり、4月号で記紀神話を特集したりと、これまでの『歴史地理教育』の枠を破る企画を実は進めてきました。コロナのお陰であまり注目されなかったようですが。

〇これからコロナ感染問題を積極的に取り上げます

それでも、6月号から感染症の授業報告や緊急事態宣言前後からの学校の休業による現場の混乱の報告などを順次掲載して行きます。そして全国大会の順延もあって、大会報告号に例年当てている11月増刊号で、「コロナ感染を生きる」(もちろん仮称)という特集を企画します。早くやれよと思っていたという声が聞こえそうですが、この決断はかなり厳しいものがありました。東日本大震災・福島第一原発事故以来の企画変更の特別号です。そして、震災・原発以上に厳しい条件があります。というのは、外出もままならないので、本屋1ついけません。編集会議も開けません。全国すべてというか世界全体が混乱していて、すべての地域、すべての人々が被災者です。誰が執筆してくださるか、不安でなりません。先日、原稿依頼したある研究者の方から図書館も閉鎖されていて、執筆は簡単ではないとお聞きしました。言われてみれば当然のことです。

 ただ、今回のコロナ問題ほど、私たちの社会が多くの問題を抱えていることを浮き彫りにした機会はないのではないでしょうか。アベノマスクの配布、ホームステーを求める首相の自宅での様子を伝えるインスタグラム、そして擦った揉んだで決まって中々支給されない一律10万円支給など、どれも国民のニーズに的確に応えているとは思えません。このズレはどこからくるのか。やはり、普段から国民の意識や生活からズレた政治が行われてきた結果というしかないのではないか。そこでコロナ感染自体の問題はもちろん、そこから見える私たちの社会の問題を抉り出す、そんな特集を構想しています。(若杉 温)

編集長日記(13)「歴史地理教育2017年8月号に、4月10日に亡くなられた大林宣彦監督のインタビューが載っています」をブログにアップしました

 編集長日記(13)「歴史地理教育」2017年8月号に、4月10日に亡くなられた大林宣彦監督のインタビューが載っています」をブログにアップしました。癌との闘病生活の中で、「もはや戦後ではない、戦前だ」との思いで、戦後の歴史や近年撮影された映画について語りながら、反戦平和の思いを縦横に語って頂いています。この思いを多くの皆さんに共有頂ければと思います。大林監督、安らかにお眠りください。合掌

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編集長日記(13)「歴史地理教育2017年8月号に、4月10日に亡くなられた大林宣彦監督のインタビューが載っています」

編集長日記(13)2020/04/29

「歴史地理教育2017年8月号に、4月10日に亡くなられた大林宣彦監督のインタビューが載っています」

〇大林宣彦監督にインタビューさせて頂きました!!

 今月10日に映画監督の大林宣彦さんが亡くなりました。コロナの話題満載の報道の中でも、大林監督が亡くなられたニュースはさまざまに取り上げられて、改めて影響力の大きさを再認識しました。癌との闘病生活の中でも、最後まで映画製作の情熱を持ち続け、新作を撮り続ける様子に、とても感じ入っておりましたが、ついに最期を迎えられたことに謹んでお悔やみを申し上げます。

 実は、『歴史地理教育』では、2017年の8月号で大林監督のインタビューを掲載しました。題名は『未来人たる子どもたちと、映画の学校で、共に歴史を学ぼう』です。

 たまたまSNSを通じて、インタビューをお願いしたところ、快く承諾頂いて、編集委員数名で東京の事務所にお伺いして、2時間を超える長時間に亘ってとても貴重なお話を伺うことが出来ました。2015年に安保法が成立して、「もはや戦後ではない、戦前だ」という自覚の元に、今の平和を若い人々に引き継いでほしいとの思いで、歴教協が反戦平和の教育をめざす教育団体であることをご理解頂いて実現したものでした。当日は初対面の私たちに気さくに話しかけられ、戦後のいろいろな思い出を語って頂いて、とてもこれがあの有名な方なのかと、温かい人柄にとても感動しました。

 しかしながら、私たちがインタビューの録音をまとめた原稿をお送りすると、「これではダメだ」という厳しいご指摘があって、結局、インタビュー形式を残しながら、全面的にご自身で原稿を書き下ろしてくださいました。さすがに妥協をゆるさない姿勢に映画監督の厳しさを感じました。

〇大林監督のインタビューを読み返してみました

 大林監督のインタビュー『未来人たる子どもたちと、映画の学校で、共に歴史を学ぼう』は、副題が「映画は風化せぬジャーナリズム、温故知新の歴史学」となっています。本題も副題も、『歴史地理教育』をよくご理解頂いたものでした。ただ、冒頭学校で教えてくれないことを教えてくれるのが映画だと言われていて、映画のように子どもたちを惹きつけて、伝えるべきことを教えていない学校に強い不満を表明されています。そして、選挙権がありながら選挙に行かない大人を尻目に、最近、駅前で「私たちの未来は、私たちが守ります」というビラを配って平和運動で街頭アンケートをする中高生に、「私たちは、戦前の人間です」といわれたという話から始まり、高度成長の頃でも若者は決してバラ色の未来を思ってはいなかった、そしてそれは実際その通りになって、経済という戦争を戦って父親は単身で戦場に出て行き、母親も働き、自分たち子どもは鍵っ子で銃後を守るということになったじゃないかと言われます。経済的に豊かになっても、その戦いで「心の荒廃」がもたらされたとも指摘されています。

『この空の花―長岡花火物語』と『野のなななのか』は  

 シネマ・ゲルニカ!!

そして、3・11を新たな節目と捉えて、2つの映画を「シネマ・ゲルニカ」として3・11の後、世に送られたと述べて、『この空の花―長岡花火物語』と『野のなななのか』の映画について、制作のモティーフなどについて、詳しく語られています。ピカソのゲルニカになぞらえて映画を紹介される含蓄のある語り口には、戦争に反対し平和を希求する強い意志深いと教養を感じます。『この空の花』の描く長岡の花火は、米軍の長岡空襲を受けた日に、それを忘れずに平和を希求するために毎年打ち上げられているものです。真珠湾攻撃を指揮した山本五十六の出生地でもある長岡市が、ハワイのホノルルと姉妹都市になっている、そのつながりからハワイで花火をあげ、この映画も上映したことを述べて、被害者・加害者の相互理解を目指したことを紹介されています。60年代にアメリカに渡って、激しい反日感情と人種差別を経験されたことで、大林監督はこの試みを相当恐れたことを正直に書かれています。しかし、実際には映画を見たアメリカの高齢の婦人が監督に駆け寄って、「未来の平和をつくる米日の若者にあなたは素晴らしい贈り物をして下さった」といって感謝の言葉を述べられたそうです。そして「この感謝は私の勇気だ」とも言って、それは真珠湾攻撃をした日本人を赦す勇気だというのです。

 『野のなななのか』はソ連の侵攻で8月15日以降も続いた樺太や北海道沖での戦争を描いています。こうした事実も多くの人々が知らぬままに過ぎていて、映画によって知ってほしいということで、このような映画をつくったということです。大林監督は一方で、アメリカの映画にも触れて、戦争の真実が正確に描かれていないことへの危惧も語り、だからこそ、自分で映画をつくり続けていると述べています。

〇大林監督の豊かな感性がインタビューの全文から伝わってきます!!

 この機会にインタビューを読み直してみて、一番感じたのは、全文にあふれる大林監督の豊かな感性とそれに裏打ちされた含蓄のある言葉の数々です。このような文章には、滅多にお目にかかれないと思います。豊かな映像美を追求された映画への姿勢が、語られ綴られた文章の随所に伺われます。最後にその幾つかをご紹介します。詳しくは是非、インタビュー全体をお読みください。

 

 「演技って他人の人生を自ら体験すること」

 「子どもって、「未来人」なんですね」

 「本能は自然界の贈り物。知性に頼る大人より、本能により近い子ど 

  ものが、・・・未来を見通す」

 「映画は、風化せぬジャーナリズム」

 「映画は時代を映す鏡であり、さらには時代を記憶する」

 「(ピカソのゲルニカに寄せて)観察力による記録は風化するが、心

  に感じた記憶は永遠に心に残る」

 「心とは映像が消えた後の、暗闇にこそ残像するもの」

 「総てを忘れては、人は学ぶことができませんから」

 「敵を許す勇気、共に未来を生きようという勇気、それが平和を手繰

  り寄せる力」

 「映画がいつも語る物語はね、人は傷付き合って、許し合って、愛を

  覚える、という人と人との結び付 きの物語」

 「虚構である映画からは、事実以上に真実が見えてくることがありま

  す」

 「過去と未来を結ぶものこそが歴史」

                        (若杉 温)