投稿者「温若杉」のアーカイブ

2020年3月増刊号「『平成』の30年・ポスト冷戦を問う」の読みどころ

 1989年、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終結に向かいました。その年初め、日本では昭和天皇が亡くなり、元号が「平成」に変わりました。この2つの出来事が偶然ながら同じ年に起こってから30年、日本も世界も激変しました。

 グローバル化が進行する中で、新自由主義といわれる資本主義の暴走はとどまることを知らず、日本では格差が広がり続けています。それはまた、日本の対米従属がより強化された30年であり、豊かさを求めながら幻想に終わった「失われた30年」でした。

 その歴史を振り返り、現代の日本や世界、そして地域の人々の生活の実情を探り、私たちはこれからどこに向かおうとしているのかを特集しました。あるべき未来について考える一助となることを願っています。

2020年3月号「災害列島日本の現実に立ち向かう」の読みどころ

  福島第一原発事故は、発生から9年経った今もまったく収束していません。その一方で、現地では国や東電による被災者支援の打ち切りや被災地の荒廃といった厳しい現実があります。

  また、3・11後も巨大地震や地球温暖化の影響ともいわれる豪雨などによる災害で、多くの尊い命が失われています。

   本号では、この災害列島日本の現実に、人びとがどのように立ち向かい、命とくらしをどのように守ろうとしているのか、特集しました。

編集長(8)「やはり歴史地理教育はむずかしい?!」

編集長日記(8)「やはり歴史地理教育はむずかしい?!」

〇はじめに

 12月号で、1000兆円という破滅的といっておかしくない日本の財政赤字の問題に切り込むべく、財政問題をテーマに特集を組みました。「100兆超えの向こうに」という特集タイトルには、ついに史上初めて100兆円を超えた日本の国家予算(正確には現状は予算案ですが・・・)に警鐘を鳴らす意味を込めました。丁度、予算編成の時期の特集号となり、タイムリーな企画であったと思います。

〇12月号の特集と評判

 ところで、実際に読んで頂いたからの反応は、まちまちでした。巻頭の神野直彦さんの日本の財政のあり方を論じて頂いた論文は、現在の財政の破綻状況の経緯を的確に分析した内容です。しかしながら、かなり難しいとか、抽象論が多いとの声を頂きました。一方、大内裕和さんの奨学金制度に関する論稿は、今の教育現場で深刻さを増している経済問題に切り込んだ、興味深い内容と言われています。他に熊倉正修さんのアベノミックス分析も安倍政権の経済政策に鋭く切り込んで、その問題性をえぐり出しています。

〇やさしく書いてほしい?

 経済の特集は、年に最低でも1回は取り上げていますが、どうしても内容が難しかったというご指摘を受けることがままあります。経済というテーマの宿命も感じますが、ではやさしく書いてほしいと執筆者の方にお願いすべきかといいうと、私にはそうは思えません。

読者の多くを占める歴教協会員は、小中高の教員が大半です。特に小学校の教員は、歴史や地理、公民といった社会科だけを教える社会科の専科ではないことは十分承知しているつもりです。私自身、高校の教員ですが、歴史を教えることが多く、経済などは苦手な分野です。それでも我慢して読んでいると、自分の知らない世界なので、却って興味の湧くことが多々あります。そんな時、改めて勉強するって大変だけど、面白い、ためになると思います。

 歴教協の設立趣意書に曰く、「歴史教育は、げんみつに歴史学に立脚し、正しい教育理論にのみ依拠すべきものであって、学問的教育的真理以外の何ものからも独立していなければならない」とあります。学問の成果に学んでこそ、明日の授業ができると考えます。ですので、執筆者の方々には、いつも執筆依頼状で、なるべく具体例を踏まえての論述を心掛けて頂くように、お願いしています。それが明日の授業のヒントや教材になると考えていますし、一般の市民の方にとっても、歴史や社会を身近に感じて理解を助けるものと思っています。決して、やさしく書いてほしいとお願いしたことはありません。それで内容がレベルダウンすることは歴史地理教育の命取りではないかと思っています。(若杉 温)

 

2020年2月「からみあう学校と受験産業」の読みどころ

  受験産業は今や学校に欠かせなくなってきています。

  進路や受験など、業者と関わっていない学校はあるのでしょうか?

 そして、新大学共通テストが2021年1月におこなわれます。

  受験産業とどう付き合ったらよいのか?

  依存しすぎていないか?

  おかしな点は・・・?

  改めて考え直してみたいと思います。

編集長日記(7)「明けまして、おめでとうございます」

編集長日記(7)「明けましておめでとうございます!

今年も『歴史地理教育』をよろしくお願い致します」

 〇ご無沙汰です!

昨年11月以来の投稿で、ご無沙汰をしてしまい、申し訳ありません。この間、11月増刊号の2019年の歴教協全国大会の埼玉大会の報告号、12月号の経済分野の特集「100兆円超えの向こうに」を続けて直接担当して刊行し、3月増刊号の「『平成』の30年・ポスト冷戦を問う」の企画と原稿依頼をしていました。年末の授業や校務と重なったのもあり、かなりのオーバーワークになってしまったようです。

〇日韓・日中の交流行事に参加してきました。

それでも、歴教協の会員としては研鑽を積みたく、11月30日に日韓・日中交流委員会主催の朝鮮の三一運動と中国の五四運動についてのシンポ、12月26日から3泊4日で29日までは日中交流委員会の中国の旅の南京旅行での授業交流にそれぞれ参加し、そして一昨日の1月12日に歴教協の中間研究集会で、日韓関係の歴史と現在、そしてオリンピックについての講演や報告を聞いてきました。どれもとても充実した学びの機会となりました。

〇11月30日の日韓・日中のシンポ、盛況でした。

このシンポは『歴史地理教育』の本年の3月号の特集で三一運動、五四運動をまとめて取り上げたことがきっかけとなり、それぞれの運動について日中韓で授業した教員が集まっての授業報告をしました。特集を企画した段階で、この2つの朝鮮・中国の運動は1919年の東アジアで日本に対するそれぞれの民族運動として、一体で考えるべきということが基本的な認識でした。ところが研究者への依頼段階では、これを研究として一体で論述できる研究者はいないと断られ、分けて依頼するしかありませんでした。歴史教育との大きなギャップを感じさせられたところです。

しかし、このことをシンポで質問すると、中国でも韓国でも、2つの運動に関連性を特に意識しておらず、それぞれ個別に韓国では三一運動、中国では五四運動を授業で取り上げているとのことでした。東アジアという視覚が共有されていないことを強く感じました。

〇一昨日の中間研も盛会でした!!

 南京の授業交流については、別に報告したいと思いますので、あとは昨日の日韓関係についての加藤圭木さんの講演について、述べておきます。加藤さんはまだ、30代の気鋭の研究者ですが、却って1から日韓関係についての近現代の歴史について、史料を踏まえて幅広く論じて頂き、改めて日本の植民地支配の不法性、戦後の補償問題の不充分な解決状況を明らかにして頂いて、いろいろ教えられることが多くありました。特に徴用工問題や「慰安婦」問題などは人権問題として考えるべきという論旨は説得あるものと感じ入りました。尚、この講演については、後日『歴史地理教育』に掲載予定です。(若杉温)

2020年1月号「オリンピックの光と影」の読みどころ

 2020年1月号は、今年の夏に東京を中心として行われるオリンピック・パラリンピックを特集しました。

 これまで、誘致をめぐる贈賄、施設建設のための森の伐採、選手のコンディションを考えない競技時間の設定など、誘致・開催時期・会場・施設・競技内容などをめぐっては、さまざまな問題点が指摘されてきました。また、「復興五輪」と言われているものの、実際の復興にはほど遠い現状があります。

 特集を通して、オリンピック憲章の理念と現実の課題をしっかり学びたいと思います。

編集長日記(6)、更新しました。ブログでご覧ください。

 編集長日記(6)、更新しました。今回は「東海ブロックで、長篠合戦の古戦場を見て来ました!!」と題して、先週の東海ブロックに参加して、見て来た長篠合戦の古戦場での見聞について、報告しています。百聞は一見に如かずの内容です。授業化のヒントにも言及しました。是非、ご一読ください。

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編集長日記(6)東海ブロックで、長篠合戦の古戦場を見て来ました!!

編集長日記(6)「東海ブロックで、長篠合戦の古戦場を見て来ました!!」

 先週、東海ブロックに参加して、愛知県新城市の長篠合戦の戦場跡のフィールドワークに行ってきました。歴教協ならではの愛知の県支部の企画で、長年地域調査を重ねられている地元の教員の方の詳細な説明を聞きながらの贅沢な見学でした。個人の見学では、交通の便だけでなく、こうした点で決定的に異なることを実感しました。来年の愛知大会の東海ブロックの広域のフィールドワークが俄然楽しみになって、大会への期待が高まりました。

最初に徳川・武田の攻防戦の舞台となった長篠城跡を訪ね、本丸周辺の堀跡から始まり、周囲の道筋、川筋を回り、山城としての堅固さを体感して、本丸跡に立つ長篠城跡史跡保存館を見学しました。この保存館には、鉄砲をはじめ数々の、長篠合戦関連の遺品が展示されています。中でも目を惹くのはやはり『長篠合戦図屏風』です。合戦場のジオラマもあって、どこで実際の戦闘があったのか、注目して見て来ました。

 その後、いよいよ古戦場である設楽原を訪ねました。現場には、有名な織田・徳川側の馬防柵が復元されていますが、もちろんこれは現代の復元です。しかし、そこから武田側を見ると、実際の戦争の様子がリアルに想像できました。武田の強力な騎馬隊に備え、馬防柵だけでなく、連吾川、土塁、空堀、そして田んぼが両軍の前に広がっていました。これでは武田側容易に織田・徳川軍にたどり着けず、火縄銃の一斉射撃の前に敗れ去りました。今まで通説だった火縄銃の三段打ちについて、相当な疑いが出されていますが、それが無くても、この戦場の状況なら大量の鉄砲さえあれば、織田・徳川側の勝利は間違いないことがわかります。季節も梅雨明け前後の6月末です。

馬防柵は2kmに渡り作られたそうですが、織田・徳川軍3万8千、武田軍1万5千の大会戦が起こった場所にしては極めて狭い範囲で、実際に見るととても全軍が入り切らない広さで、その点は中々信じられません。こうしたことも現場を見てこそわかることで、是非、

今後授業する際には、取り上げたいところです。

 最後は、設楽原歴史資料館を訪ね、大量の鉄砲などの展示品を見るとともに、屋上から長篠合戦の古戦場とその周辺の地域を展望しました。ここでは学芸員の方の合戦の背景、特に武田勝頼が、なぜ不利な戦いに敢えて信玄以来の重臣の反対を押し切って挑んだのか、というこの合戦最大の謎について、解説して頂きました。やはりもともと嫡男ではなく、武田の滅ぼした諏訪氏の血筋からたまたま武田家を継ぎ、父信玄と比較されて、功を焦ったことが判断を誤った原因とのことでした。そもそも畿内で一向一揆と死闘を演じる信長の参戦を予想していなかったのかも知れないとの説明もありました。

 戦場跡には武田の重臣の墓や両軍の戦死者をそれぞれまとめて供養した大塚・小塚という墓地もあり、今でも供養が続いていました。それらも今では地元の町おこしの観光資源となっていて、そこら中に宣伝の看板がありました。これも現地を見てわかる雰囲気でしょう。

 これまで『歴史地理教育』にこの長篠合戦を取り上げた授業実践が幾つか掲載されています。近年のものでは2016年4月号の大谷伸治氏の「小学校の授業6年 歴史学のおもしろさを伝える─信長が長篠の戦いに勝った理由を考えよう」です。これらの先行実践を参照しながら、やはり長篠合戦図屏風を教材にそれと実際の戦場跡で見聞したものを比較して、次回の実践に臨みたいと思います。屏風には三段打ちも描かれていませんし、設楽原戦場が大きく描かれていて、長篠城との距離が極端に狭くなっています。前線で鉄砲を構える兵士が鎧兜を着けていて、鉄砲足軽ではありません。馬防柵に守られて戦ったといいながら、その柵を出て戦っている者も屏風には描かれています。武田側も敵が柵の後ろにいては攻めてこなかったはずです。こうしたことも現場を見ると、絵画史料を批判的に見て、その真偽を考える授業の材料になります。

授業で是非これを取り上げたと思わせて頂いた今回の東海ブロックのフィールドワークでした。ご準備頂いた関係者の方々に深く感謝致します。(若杉温)