◆詳細
<東海ブロック長野集会報告>
 11月16日(金)、17日(土)の2日間、長野県の研究大会も兼ねさせていただき、東海ブロックの集会を長野市で開催しました。
 主催した長野県歴教協としては、今回も、遠くから来ていただく他県の皆さんのためには「授業公開・研究会・フィールドワークの3点セットははずせない」という事で、計画しました。
 16日(金)、長野市の篠ノ井西中での公開授業では、1年生の地理「中国の人々のくらしと日本とのかかわり」を新卒2年目の山中さん、TTとしてベテランの飯島さんがコンビとなり、県歴教協で行った「中国東北部の研究旅行での現地写真」を使った学習を参観させていただきました。県外から駆けつけていただいた方々や松代の保存運動に関わる方にも参観していただき、その後の授業研究会も、短い時間でしたが、活発な論議が行われました。宿舎の松代荘に移った後は、「地理学習をどうすすめるか」のテーマで、長野県の若林さん、岩下さんの中学での実践をもとに、研究会@を行いました。授業時数、指導要領の問題点を克服しながら実践する難しさとともに、方向性も示唆されました。

 夕食交流会の前には、松代大本営跡の「保存をすすめる会」の方々のご好意で、朗読劇「女たちの松代」を鑑賞させていただき、戦争のひき起こす痛みを痛感しました。また、夕食交流会では、各県からの「おみやげ」も肴に、楽しい一時を過ごすことができました。
 17日(土)、好天を予想させる「車の窓ガラスにびっしりついた霜の朝」に驚きつつ、研究会Aとして、若い先生向けにということで本部の大野さんにお願いした「中学校の授業づくり」のお話をうかがいました。34年の現場実践で培われたたくさん教材や資料も見せていただき、「子ども論」からスタートする話に、「もっとたくさんの若い先生にも来ていただきたかった」という思いを強くしました。
島村さん(右端)の案内で松代地下壕を見学
   10時40分からは、秋晴れの信濃路のフィールーワークに出発しました。「松代大本営跡」地下壕見学は、保存をすすめる会の島村さんのガイドで、短い時間の中でも全体像から詳細な点にまで及ぶ説明を受けることができました。
 昼食は、みんなで同じ「釜の飯」を食べ、ドラマ「風林火山」に登場する川中島合戦の地へ出発です。岡沢さんの情熱的でリズムの良いガイドを受けながら、戦国の世に思いを馳せました。最後の「森将軍塚見学」の前に、川中島合戦で謙信の本陣となった妻女山にも立ち寄ることができました。当時の姿に復元された森将軍塚では、飯島さんから説明を受け、善光寺平を見下ろす絶景に、大きな歴史をの流れを感じつつ、すべての日程を無事終了することができました。

 2日間の日程でしたが、「たくさん詰め込まないように減らした」つもりでも、時間に追われる日程になってしまいました。遠くから来ていただいた県外のみなさんや、報告までしていただいた本部の大野事務局長に感謝しつつ、40名を越える方々の参加をいただいて終わることができました。来年度の愛知集会が楽しみです。(長野県歴教協 藤原 恵正)   

<東北ブロック岩手集会報告>
 12月1日と2日は好天でしたが、さすがにここは北東北です。身を切るような冷たい空気の中でした。
 研究テーマは、『平成の大合併と地域』です。合併が様々な影響を及ぼしていることは、全国各地から多々聞こえてきます。東北はその真っ直中にあります。
◆〔岩手〕「集落営農組合を立ち上げたけれども!」
 耕作地をまとめ「特定農業団体」にすると10aあたり10000円の交付金が支払われ、年間440万円の所得を目標にして耕作しています。農家の人々は、取りあえず5年間保証の交付金は貰おう!と先が見えない中での農業に携わっています。農家なのに「農業生産」による収益がないという寂しい話です。農産物の完全自由化、大手企業の農業参入などの政策を進めると、食糧自給率が一気に12%台になるそうです。
◆〔山形〕「住民参加と協働のまちづくり・三川町」
 合併する・しないは、住民自身が決めることだ!の考えを基に、自主的な学習や“住民投票”に取り組みながら、「憲法と地方自治法」を実地に経験し、「住民自治」を実感したのでした。将来に対する明るい見通しが、『新生まちづくり行動計画』に反映され具体的な実践が始まっています。 ・〔秋田〕「大合併と地域史料の保存」 大合併は、地域の貴重な歴史資料や行政資料を散逸、消失させることになります。“新生大仙市アーカイブ構築事業”では、文化財の普及啓発と資料の整備に取り組み、15000点以上の古文書類を一つ一つ所在を確かめながら、5年の歳月をかけて全てをコンピュータに登録し、活用できるようにしました。監修にあたった県歴教協副会長の粘り強い取り組みが光ります。
◆〔宮城〕「栗原地方を例にして、過疎問題を考える」
 この地域は、過去5年間で4699人の人口が減りました。一方、大都市仙台は16817人の人口増です。僻地校の統廃合も進み、7校384人が3校109人に縮小され、学校とともに子どもの姿が消え、子どもの遠距離通学が当たり前になってきています。今こそ、地域の矛盾を直視し、未来への展望を目ざした「北方性教育」を継承し発展させる取り組みが大事になるのではないでしょうか。
◆〔福島〕「県立高校全県1学区制の導入見送り!」
 現行8学区を1学区にしたいとの審議会答申が出されました。実施されると学校間格差は増大し、受験競争が一層激化することになります。“早急な導入は避けるべき”との新聞報道や署名活動などの世論に押されて08年度の導入は見送られました。
 青森からは、昭和10年代に八戸(太平洋)と秋田(日本海)を結ぶ鉄道施設計画が2つも構想されましたが、軍事費増大により頓挫したとの掘り起こしが話されました。現地見学は、八戸南部氏の「九戸城址」と土でコーテイングされた縦穴住居の「御所野遺跡」でした。地元歴教協会員の巧みな解説を楽しみながら、開発の手からこれらの遺跡を守った地元の人々の熱い思いを感じることができました。(追伸)“座敷わらし”を写真に撮った参加者が数多くいましたが、みなさんは信じますか? (歴教協常任委員 佐藤 則次)

<北陸ブロック金沢集会報告>
 今年度の北陸ブロック集会は12月8・9日の2日間にわたり、石川県金沢市で行われました。石川4名、新潟4名、富山2名、福井1名、本部から佐藤さんが参加しました。人数は少なめでしたが、昨年に引き続き新潟から現役の大学生2名が参加し、年季の入ったメンバーの中に華やかさを添えてくれました。
 1日目は、富山・新潟からレポートが発表されました。富山の荒尾勇二さんの報告(「働くってどんなこと」)は、労働の意味や労働者の権利が意識されていない高校生たちの実態をふまえ、高校3年の総合的学習において、労働問題、労働法、労働の意義等を生徒とともに調べ、考えるという取り組みでした。労働法の内容と労働者の置かれている現状との乖離という問題、労働基本権・労働法を歴史的に位置づけて考える必要性など、深い議論がなされました。新潟からは、小林朗さんから中学1年生における歴史の討論授業の実践が報告されました(「中学生が一遍絵画を読み解く」)。「一遍聖絵」の踊り念仏の一場面から、生徒が疑問として出したテーマを教師が12にしぼり、班討論と各班の発表を通じて、生徒が中世社会の様子や状況を理解し、自己の意見を形成していくことをねらいとした実践でした。この実践は公開授業として行われ、当日参観した新潟大学の学生の感想や大学生によってまとめられた生徒の具体的な意見や動きが載せられた資料も添付されており、聞いている側にも、ダイナミックな授業展開が目に浮かぶようでした。

 2日目は、まず福井の清水章孝さんから、「社会科『学力』の現状と今後のあり方」と題したレポートが報告されました。学校長という立場ながら、諸般の事情から小学6年生の社会科の授業を自ら進んで受け持った清水さんが、「アジア・太平洋戦争」の学習を通して、ご自身が最近痛切に感じている、子どもたちの「言葉の理解力の欠如」の克服を試みるという意欲的な実践でした。清水さんが持参した、ご自身の作成からなる地元地域の戦死者数・戦死地を記した資料、子どもたちが想像して描いた戦争の絵などからは、授業の様子がこちらにも伝わってくるようでした。
 その後は、金沢市内にある戦争関連の施設・記念碑のフィールドワークを行いました。
 雨の降りしきる悪天候の中でしたが、石川護国神社、戦没者墓苑「野田山墓地」、その中腹にある朝鮮独立運動の英雄・尹奉吉(ユンボンギル)義士の暗葬跡と殉国記念碑、額谷の「地下軍需工場跡」を訪れました。中でも、護国神社の参道に建っている高さ12メートルの石碑は圧巻でした。正面には日の丸と「大東亜聖戦大碑」、裏には「八紘為宇」の文字。
 その石碑の脇には、漫画『ゴーマニズム宣言』で知られる小林よしのり氏の献じた木が立っていました。また、「野田山墓地」は歴代の加賀藩主や戦没者などを祀った金沢最大の共同墓地とあって、その広大さと整備された環境に驚かされました。特に、戊辰戦争〜アジア・太平洋戦争に至るいくつかの戦没者の合葬碑は、広大な敷地に整然と配置されており、独特の雰囲気を醸し出していました。短時間のフィールドワークながら、城下町・金沢にも多くの戦争関連の施設等があることに、改めて気付かされました。

 実質1日ともいえる集会でしたが、懐かしいメンバーと学習し、アルコールを交えながら語り合えた有意義な時間でした。来年は福井で開催の予定です。
(新潟県歴教協 松原 直樹)