<あなたの役立つ情報資料をお知らせください>


● 本「長野県の自然とくらし」を紹介 2002/10/06
      『長野県の自然とくらし』

市川健夫、小林詢 監修  信州地理研究会 編
信濃毎日新聞社 2100円 2002年9月刊

長野県のいろいろな暮らしとその自然的背景をまとめた本を出しました。中学生以上の読者を想定して書かれているので、長野県への学習旅行(自然体験、スキー教室、総合的な学習など)に参考にしていただけます。
ぜひお読み下さい。

*詳しくは
http://www.shinmai.co.jp/book/bookdata/000202.html
をご覧下さい。

● ナガサキ・平和宣言 2002/08/09
            【ナガサキ・平和宣言全文】

57年前の今日、8月9日、長崎のまちは一瞬にして廃虚と化しました。高度9,600メートルから投下された一発の原子爆弾は、地上500メートルの上空で炸裂し、数千度の熱線と猛烈な爆風が、老人に、女性に、そして何の罪もない子どもたちにまでも襲いかかりました。死者7万4,000人、負傷者は7万5,000人に及びました。これまでに、多くの人々が恐るべき放射線によって白血病やがんに蝕まれ、亡くなりました。半世紀余りを経た今も、被爆者は健康に不安を抱え、死の恐怖におびえる日々を過ごしています。

大量無差別殺りく兵器である核兵器が再び使用されれば、地球環境の破壊はもとより、人類の生存さえ危ぶまれます。長崎市民は、自らの悲惨な被爆体験に基づき、世界に向けて核兵器廃絶を訴え続けてきました。しかしながら、今なお、長崎に落とされた原爆よりもはるかに強力な威力を持つ核弾頭が、3万発も存在し、その多くはいつでも発射できる状態にあります。

昨年9月11日、米国で同時多発テロが発生しました。私たちは、一般市民へのこのような無差別攻撃に強い怒りを覚えます。これを機に、アフガニスタンへの軍事攻撃や中東における紛争が激化しました。さらに、核兵器の使用さえ懸念されるインド・パキスタンの軍事衝突が起こるなど、国際的緊張も高まっています。

このような国際情勢の中で、米国政府は、テロ対策の名の下にロシアとの弾道弾迎撃ミサイル制限条約を一方的に破棄し、ミサイル防衛計画を進めています。さらに包括的核実験禁止条約の批准を拒否し、水爆の起爆装置の製造再開、新しい世代の小型核兵器の開発、核による先制攻撃などの可能性を表明しています。また、ロシアと締結した戦略攻撃兵器削減条約も、取り外す核弾頭の多くを再び配備できるようにするなど、国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行しています。こうした一連の米国政府の独断的な行動を、私たちは断じて許すことはできません。世界の良識ある人々も強く批判しています。

本年5月の、日本政府首脳による非核三原則見直し発言は、被爆地長崎の心を踏みにじりました。我が国は、唯一の被爆国として核兵器廃絶の先頭に立つ責務があります。そのためにも、核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」とする非核三原則を直ちに法制化すべきです。長崎市議会も法制化を求める決議を採択しました。政府は、北東アジア非核兵器地帯の創設に着手し、「核の傘」に頼らない姿勢を国際社会に向かって明確に示すべきです。同時に、高齢化が進む国内外の被爆者に対する援護の充実に努めてください。

長崎においては、市民と行政が一体となって、2003年11月の「第2回世界NGO会議」の開催に向けて取り組みを進めています。今日、核兵器反対を宣言した自治体は、全国の8割にも達しています。私たちは、NGO・自治体及び国連機関と連帯を図りながら、平和な社会を築くために努力する決意です。

被爆者は、「核兵器による犠牲は自分たちが最後でありたい」と願っています。若いみなさん、この被爆者の平和への思いを受け止め、自らが何をなすべきか考え、行動し、将来に語り継ごうではありませんか。今、長崎には、平和のためのボランティア活動に取り組む数多くの若者がいます。長崎市は、このような活動の輪が広がるように支援し、自主的に行動する若者を育成するための「ナガサキ平和学習プログラム」をさらに推進します。

相互理解と話し合いによって核兵器をなくすことが、平和な世界を実現するための絶対条件です。市民のみなさん、私たち一人ひとりが立ち上がり、日本を、世界を、平和へと導いていこうではありませんか。

核兵器による惨禍は長崎を最後にしなければなりません。被爆57周年にあたり、原爆で亡くなられた方々のごめい福をお祈りし、長崎市民の名において、核兵器がなくなるその日まで、たゆまず努力していくことをここに宣言します。
2002年(平成14年)8月9日
長崎市長 伊 藤 一 長
● ヒロシマ・平和宣言 2002/08/06
            【ヒロシマ・平和宣言全文】

57年前、「この世の終り」を経験した被爆者、それ故に「他(ほか)の誰にもこんな思いをさせてはならない」と現世の平和を願い活動してきた被爆者にとって、再び辛(つら)く暑い夏が巡ってきました。
1つには、暑さと共に当時の悲惨な記憶が蘇(よみがえ)るからです。
それ以上に辛いのは、その記憶が世界的に薄れつつあるからです。実体験を持たない大多数の世界市民にとっては、原爆の恐ろしさを想像することさえ難しい上に、ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」やジョナサン・シェルの「地球の運命」さえも忘れられつつあります。その結果、「忘れられた歴史は繰り返す」という言葉通り、核戦争の危険性や核兵器の使用される可能性が高まっています。
その傾向は、昨年9月11日のアメリカ市民に対するテロ攻撃以後、特に顕著になりました。被爆者が訴えて来た「憎しみと暴力、報復の連鎖」を断ち切る和解の道は忘れ去られ、「今に見ていろ」そして「俺(おれ)の方が強いんだぞ」が世界の哲学になりつつあります。そしてアフガニスタンや中東、さらにインドやパキスタン等、世界の紛争地でその犠牲になるのは圧倒的に女性・子供・老人等、弱い立場の人たちです。

ケネディ大統領は、地球の未来のためには、全(すべ)ての人がお互いを愛する必要はない、必要なのはお互いの違いに寛容であることだと述べました。その枠組みの中で、人類共通の明るい未来を創(つく)るために、どんなに小さくても良いから協力を始めることが「和解」の意味なのです。
また「和解」の心は過去を「裁く」ことにはありません。人類の過ちを素直に受け止め、その過ちを繰り返さずに、未来を創ることにあります。そのためにも、誠実に過去の事実を知り理解することが大切です。だからこそ私たちは、世界の大学で「広島・長崎講座」を開設しようとしているのです。

広島が目指す「万人のための故郷(ふるさと)」には豊かな記憶の森があり、その森から流れ出る和解と人道の川には理性と良心そして共感の船が行き交い、やがて希望と未来の海に到達します。
その森と川に触れて貰(もら)うためにも、ブッシュ大統領に広島・長崎を訪れること、人類としての記憶を呼び覚まし、核兵器が人類に何をもたらすのかを自らの目で確認することを強く求めます。
アメリカ政府は、「パックス・アメリカーナ」を押し付けたり世界の運命を決定する権利を与えられている訳ではありません。「人類を絶滅させる権限をあなたに与えてはいない」と主張する権利を私たち世界の市民が持っているからです。

日本国憲法第99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定しています。この規定に従うべき日本国政府の役割は、まず我が国を「他の全ての国と同じように」戦争のできる、「普通の国」にしないことです。すなわち、核兵器の絶対否定と戦争の放棄です。その上で、政府は広島・長崎の記憶と声そして祈りを世界、特にアメリカ合衆国に伝え、明日の子どもたちのために戦争を未然に防ぐ責任を有します。
その第一歩は、謙虚に世界の被爆者の声に耳を傾けることから始まります。特に海外に住む被爆者が、安心して平和のメッセージを世界に伝え続けられるよう、全ての被爆者援護のための施策をさらに充実すべきです。

本日、私たち広島市民は改めて57年前を想(おも)い起し、人類共有の記憶を貴び「平和と人道の世紀」を創造するため、あらん限り努力することを誓い、全ての原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げます。

2002年(平成14年)8月6日
広島市長 秋葉忠利
(原文通り。改行位置変更)
● 堺市議会で「有事関連三法案」の慎重審議を求める意見書採択 2002/06/24
 6月24日、堺市議会本会議において、「有事関連三法案の慎重審議を求める意見書」が全会一致で採択されました。これまで全国各地の地方議会で有事法案に反対する意見書や決議、慎重審議を求める意見書などが採択されてきましたが、ついに堺市においても採択されました。
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「有事関連三法案」の慎重審議を求める意見書

政府提案の「武力攻撃事態法案」、「自衛隊法改正案」、「安全保障会議設置法改正案」の有事関連三法案国会で審議されている。
これらの法案は地方自治体と住民の生活に深く関わる内容を含んでいるだけに、その扱いは慎重を期さなければならない重要な案件である。
地方自治体は、地方自治法に定められた責務である「住民の生命と財産を守る」ため、安心できる暮らしの保障や災害等の緊急事態への対応のための施策を進め、日夜住民サービスの向上とともに、警察・消防等の業務に真摯に取り組んでいる。

伝えられる「有事」の判定や、その際の対応にあっては、テロ行為や不審船問題のような社会的事件と大震災などの自然災害の区別を明確にしなければならないし、なにより戦時・戦争状態を引き起こさない政治の基本的役割にそった議論が必要である。

また、これらの法整備が、地方自治体及び住民の基本的人権に抵触し、自治体職員や民間人の企業活動に深く関わらざるを得ないことから、国会審議とその前後を通じて、関係する自治体の意見聴取や十分な説明機会が必要であり、国民の理解のうえに議論が行われる必要がある。ついては、有事法制法案の審議に当たっては、冷静且つ慎重な審議を求めるものである。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
平成14年6月24日
堺 市 議 会
★ 『埼玉の自由と民権を掘る』(埼玉新聞社)がついに刊行されました!(2002/07/07)
 埼玉歴教協の鈴木義治さんが書いた 『埼玉の自由と民権を掘る』(埼玉新聞社)が発行されました。定価2,500円です。ご希望の方は歴教協事務所へお問い合わせください。
★ 《核の影に覆われたパキスタンとインド》(2002/06/09)

印パ情勢緊迫! 理解のために
◆ビデオ『核の影に覆われたパキスタンとインド』◆

 現在、印パ情勢は一触即発の緊迫した状況下にありますが、印パの核軍拡競争の実体を理解するために、パキスタンの反核運動の科学者たちが制作したビデオをご紹介します。学習会・ビデオ上映会等にお役立てください。

《核の影に覆われたパキスタンとインド》
■制作:イクバール・アフマド財団 (2001年7月)
■監督:パルヴェーズ・フードバーイー
■脚本:ジヤー・ミヤーン
■日本語版制作:原水爆禁止日本国民会議(2002年2月)
■ナレーション:伊藤惣一
※詳細は、原水禁のホームページをご覧ください。
http://www.gensuikin.org/
(フレーム非対応の場合は:http://www.gensuikin.org/pak_v.htm )

■頒布価格:3000円
■振り込み先:郵便振替 00120-4-51154
口座名:原水爆禁止日本国民会議
※購入をご希望の方は、印パ・ビデオ代金と明記してください。着払いでお送りします。
■注文・問い合わせ先:原水爆禁止日本国民会議
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3- 2-11総評会館5F
TEL 03- 5289- 8224 FAX 03- 5289- 8223
Email: gensuikin@jca.apc.org

● 「女性国際戦犯法廷」のハーグ判決を支持し、日本政府の軍事体制推進政策、有事法制関連法案に反対するアピール(2002/5/10)

 2001年12月4日ハーグにおいて、日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」本判決が出されました。当判決は、帝国日本の軍国主義の犠牲者であるサバイバーの立場に立って、残虐な戦争政策を推進した責任者の処罰と、加害国家の責任を明確に提起した画期的なものです。また「世界の民衆の主権、グローバルな市民社会の声が最高法規の源泉である。国家がその権限と法を生み出すのではない」と明記し、法は国家権力に基づくのではなく、「市民社会の道具」であると明言しています。私たちはこの「民衆法」の思想を支持し、法は国家のためではなく、ひとりひとりの市民の生と性を最大限に生かすために存在することに同意します。

21世紀は、この画期的な「民衆法」の思想に基づいたとき、まさに「平和と人権の世紀」の地平を拓くことができるはずです。しかるに9.11事件を大きな口実として、アメリカを中心としたグローバルな権力体制は、再び「戦争と暴力の世紀」という悪夢を再現する方向へと突き進んでいます。そしてそのアメリカに忠実に追従する日本国政府は、「戦争のできる国家」となるため、軍事体制化を推進し、「武力攻撃事態法案」「自衛隊法改正法案」「安全保障会議設置法案」の有事法制関連法案を国家に上程しました。

これらの法案は、周辺事態法、国旗・国歌法など日本国政府が進めてきた一連の対米追従ナショナリズム政策の集大成ともいえるものです。この法案は、アメリカが引き起こす戦争に日本国を参戦させ、「国民」を総動員体制へと駆り立てていく目的を持っています。その目的のために、市民の基本的人権を制限することも画策されていますが、これは明らかに憲法違反に他なりません。

この三法案の他に、国会で「テロ資金供与防止条約」の批准と「公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金提供等の処罰に関する法律案(テロ資金提供処罰法案)」の審議が行われています。テロ防止と言う名目で思想の自由や結社の自由などの基本的人権が侵害される可能性があります。他方人権擁護という名目で、権力体制を維持するための法案も続々と提出される予定です。

私たちは、「女性国際戦犯法廷」ハーグ判決の「民衆法」の思想に基づいて、法とは国家権力の維持や軍事体制の維持のためでは決してなく、世界市民の基本的人権を保障し、平和な世界を確立するためにあるものだということを確信しています。現在この国で提出されている法は、こうした「民衆法」の思想とは全く逆行したものであり、世界を戦争と暴力の渦の中に突き落とし、国際的市民社会にはかり知れない災禍を招来させるものに他なりません。

私たちは、有事体制関連3法案に反対し、軍事化促進のための法の撤廃を求めます。憲法第九条に基づいて軍事体制を放棄し、世界市民社会に平和をもたらすための具体的な方策を遂行するために、全力を尽くしたいと思います。

2002年5月10日
女性・戦争・人権」学会

▼ 京都府大山崎町議会で「有事法制三法案に反対する意見書」採択!(2002/5/8)

有事法制三法案に反対する意見書

小泉内閣は17日、有事法制三法案を国会に提出しました。3年前に周辺事態法が成立しましたが、アメリカからは日本政府が自治体や民間を強制動員する条項がないことに対する不満が表明されました。今回の法案はこれに応え、アメリカの戦争に日本が協力するためのものであることは明白です。法案は「有事」について日本が攻撃を受けた時点ではなく、「武力攻撃が予測されるに至った事態」としており、発動の権限は総理大臣が一手に握っています。法案はすべての国民が協力する義務があることを明記しており、土地、家屋の供出、自衛隊が使う物資の保管、提出さらに医療、輸送、建築、土木などの従事者の協力、エネルギー関係、言論や通信関係など国民生活の全分野で強制力が働くことになります。これは戦前、戦争準備をすすめるため、有事法を制定し、軍需工業動員法や国家総動員法が制定されていった過程を想起させるものです。中谷防衛庁長官は「周辺事態のケースはこの一つ」と、周辺事態法の発動と有事法の発動が一体のものであることを裏付ける発言をしています。これはまさしく日本国憲法の平和主義の精神に反するものであります。本議会は有事関連三法案の内容を広く国民的議論を経ずして国会で強行的に成立させることに反対を表明します。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

内閣総理大臣宛     
京都府乙訓郡大山崎町議会
議長 北村元一 

▼ 「米国の対イスラエル援助の実態」(2002.4.14

「米国の対イスラエル援助の実態」(2002.4.14/MIFTA=「グローバルな対話と民主
主義をめざすパレスチナ・イニシアティブ」というパレスチナのNGOより)
1)特徴:
米国の対外援助はその三割がイスラエル一国に集中しており、イスラエルは世界最大の受益者である。これは1948年から始まり、年々増加されたものである。米国の目的は中東における米国利権を向上させることにある。

2)問題点:
米国のイスラエルに対する援助の問題は、イスラエルの規模およびその必要度合いに対して、額が不均衡なほど大きいという点にある。その結果がイスラエルによる、パレスチナの違法な軍事占領と、入植地建設を促進させるものになっている。またパレスチナが、米国製兵器の実験場とされているが、これは米国の法律に違反し、人権侵害につながっている。

I.事実関係
1)1987年以来、米国議会はイスラエルに対する支援額を、年間30億ドル計上、承認している。その内訳は12億ドルが経済援助、18億ドルが軍事援助である。それに加えて、1991年の湾岸戦争以来、米国は別に20億ドルの対イスラエル借款保証を加え、総計するとおよそ年間で50億ドル、一日にすると1370万ドルとなる。

この額には数々のユダヤ系慈善団体および個人からの寄付の15億ドルは含まれていない。(これらの寄付は、税金が控除されている。)これは、ひとつの国に対する援助資金としては最大のもので、米国の対外援助予算の三割を占めるている。


2)1948年に、.トルーマン政権がイスラエルをユダヤ人国家として承認した直後から、米国議会は輸出入銀行融資の形で1億3500万ドルの援助パッケージを承認した。
これはナチスドイツによるホロコーストの生存者を助け、住居を提供するという形をとった。1973年までの援助金は軍事、経済および輸出入銀行融資としてなされた。また年間経済補助として1951年から1962年のあいだに10万から7400万ドルの間の金額が与えられた。

1973年の戦争後、米国のイスラエル援助はこの国の防衛能力を強化するための軍事、経済補助金の形となった。これには「ユダヤ難民キャンプの設置資金」としての1200万ドルから8000万ドルの年間援助が含まれている。1973年以後に経済、軍事、およびユダヤ人難民支給金が増額されたことに注意を払う必要がある。これは米国が利権確保のために、イスラエルを「中東で唯一の民主的、緊密な同盟国」として、その力の増大を望んでいることを示しているもので、開発途上国を援助するという純粋な意図では決してない。

3). 米国の利権を中東に拡大するうえで、イスラエルを金銭的に援助することは、両国に戦略的な伴侶関係を作り出した。イスラエルの技術、軍事力を増強することによって米国は、ヒズボラなどアラブ諸国の武装集団に対する諜報活動で得られた情報を共有することを可能とした。またイラン、イラク、シリアなどにおける「大量殺戮兵器の拡散」に関する情報も同様である。

対イスラエル軍事援助の4分の3は、F-16 およびアパッチ攻撃ヘリコプターなどの米国製軍事装備に費やされている。これは米国内での軍需産業の雇用を産み出すと同時に、パレスチナを軍事的実験場にし、日々、パレスチナ人に対してこれらの武器が使用される結果となっている。

イスラエルは米国の軍需産業に協力して、その兵器開発が廉価に行われるようにしている。イスラエルに対する残りの4分の1の軍事援助金は軍事関係の研究開発に使われており、ここでは新型ジェット戦闘機、ミサイル、および偵察、目標攻撃装備などが製造されて、米国に逆輸入されている。そのようなものの例としてITALD、「稲妻」、「ポパイ」、およびUAVがある。

4) 1988年にイスラエルは、自発的に「経済自立のため」として減額を提案、1998年クリントン政権および米国議会とのあいだでとりかわされた協約により、イスラエルは米国の経済援助に対する依存性を減らすことを提案、これを10年間で実現するとした。その内容は、12億ドルの経済援助を毎年1億2000万ドルずつ減らし、10年後の2008年にはゼロ額とするというものだった。

だが、この減額のうちの半分(6000万ドル)が、毎年、イスラエルの緊急軍事援助資金に加えられることとなった。これは、イスラエルが中東で軍事的に優勢な地位を占めることに対していかに米国が執拗かつ強力に後押ししているかを示している。

II.問題点

1)イスラエルは、そのサイズ、必要性と、経済的、技術的、および軍事的に進歩した国であり、1人あたり14000ドルという所得は、石油で富むサウディアラビアを含めて周囲のアラブ諸国に比べても格段に高いものである。こうしてイスラエルは世界でも16番目に豊かな国とされるが、それにもかかわらず米国の援助金は、米国の対外支援金総額の3割にもなっている。イスラエルの人口は580万人で、これは世界人口の1000分の1に過ぎない。1949年から1998年のあいだに米国はイスラエルに対し、総額840億ドルの援助をしている。これはサハラ砂漠地域、ラテンアメリカ、カリブ海諸国全部をあわせたより大きいが、一方でこれらの国々の人口は10億5400万人にものぼるのである。

2)米国援助の援助の一部、年間に8000万ドルは、「移民のための居住地建設」に向けられている。これは、パレスチナ人の土地を不法に取り上げ、家を破壊することによって押し進められている入植地建設に他ならない。ユダヤ人入植地はヨルダン川西岸におけるすべてのパレスティナの町を取り囲んでいる。1973年以来この建設速度は非常な速さで進み、その結果、パレスチナ国家の建設を実態で不可能にしている。

イスラエルにおける「帰還法」は、世界中からやってくるユダヤ人移民の受け入れを保証し、没収されたパレスチナ人の土地のうえに、入植地が作られている。これら移民にはイスラエル市民権、ヘブライ語の無料レッスン、即座の雇用が保証されている。一方で1948年、1967年の二度にわたって自らの土地を追われたパレスチナ難民には、故郷への帰還は許されていない。

3)イスラエルに対する米国軍事援助の75%は、タンク、機関銃、弾丸、ヘリコプター射撃装置、その他の米国製軍事装備の購入に費やされている。米国は実戦場おける新型軍事技術のテストを、イスラエルに依存している。ウラニウム弾のパレスチナ市民に対する使用はその一例である。

4) 米国の「対外支援法(FAA)」は、米国製武器や軍事装備の購入ができる国家を規定しているが、その第116項には「国際的に認められた人権に対する大規模な侵害があったとみなされる国に対しては、米国政府はいかなる供与も行わない」とうたっている。しかしながらイスラエル軍は日常的にパレスチナ人に対して、理由のない長期勾留、検問所での身体検査や打擲、拷問、家屋破壊などを犯しているのである。

アムネスティー・インタナショナルによれば、イスラエルは拷問を合法化している唯一の国である。同様に武器輸出管理法の第4項には、米国政府は、防衛のための品目を自衛以外の目的に使用した国に対しては販売を禁止することが求められている。2001年、米国国務省は、イスラエル兵がパレスチナ人に対して、特に危険もないのに実弾を発射したなどの事実を指しながら、これは「武力の過度な使用」と指摘したことがある。これらのことから、米国は自国製武器のパレスチナ人に対する使用方法に同意していないことは明らかである。それにもかかわらず、米国はイスラエルに対して、軍事援助を引き続き行っているのである。

出典:
AL-Awada/ Global Exchange/ The American Israel Public Affairs Committee/
The Jewish Virtual Library/The Palestine monitor/USAID/ 
Washington Report on Middle East Affairs:

▼ 「マクドナルド」教材研究(複数の方々から情報をいただきました)2002/04/20

(1)マクドナルド本社から入手した「リクルート用」の会社案内に以下の記述があり、感心しました。
★マックシェイクを飲んでいる人の表情は、安らいでいる顔に。→ストローの直径とマックシェイクの粘度を勘案し、ちょうど母乳を飲む速度と同じように工夫されている。
★ハンバーガーの「パン」にあたる「バンズ」は、どの角度からも割けるように作られ、どの世代にも心地よい歯ごたえと舌触りが得られる。
(2)伊藤正規著『人が集まるテーマパークの秘密』日本経済新聞社発行 1994年に上のような記述が登場します。ちなみに、マックシェイクのストローの話は、P236に載っています。伊藤氏は1964年・慶應義塾大学商学部卒業、日本ハム入社、1986年・専務、を経て、1990年・神戸レジャーワールド開発専務を兼務 という経歴の方です。
「日本マクドナルドのマックシェイクには特別の秘密がある。マックシェイクを飲んでいる人の顔が、全員、恍惚状態になっているが、藤田田社長の説明によれば、それは赤ちゃんに回帰しているのだそうだ。ストローの仕掛けでマックシェイクを吸う時の力が母乳を吸う力と同じになっており、出てくるスピードも同じになるよう計算されている。まさに赤ちゃん(哺乳類)が母親のおっぱいを吸っているごとく、お客は一時赤ちゃんに戻っているのだ。マックシェイクは母乳を吸うというジェノスと母乳を吸った赤ちゃんのころを懐かしむパーノスがいっぱい詰まった飲み物なのである。その気になってぜひ飲んでもらいたい。」(P236)注)ジェノス、パーノスについて、著者は(同書P226)でノスタルジーをよりわかりやすくするために3つに分類している。

ここから引用始まり
★第一に個人がさまざまな環境で培われた過去の思い出や郷愁がある。最も一般的に使われているノスタルジーで、後天性である。これを「パソナル・ノスタルジー(パーノス)」と呼ぶ。第二はほとんどの人が気がついていないが、それでいて人間共通の感覚と興奮を呼び起こす力を持ち合わせている、人間の深層心理に埋もれた感情で、「ジェネティカル・ノスタルジー(ジェノス)とする。ユングの集団的無意識の存在と関連するかもしれないし、アーサー・ケストラーのワニの心、ウマの心とも関係が深い。ジェノスは先天性のもので、人間の感情の問題をとらえるだけでなく、若干とも遊びの本質をあぶりだすきっかけになるのではないかと考える。第三は人間の集団を有機体と考えた場合、人間の特定の集団が持つノスタルジーである。先天的でありながら後天的に芽生えたもので、民族意識としてのノスタルジーである、これを「エスニカル・ノスタルジー(エスノス)」とする。

★「ハンバーガーがおいしく食べられる理想的な温度は62℃である。だから、お客の口に入る温度がそうなるようにオペレーションをしている」(P279)

★「マクドナルドではQ・S・C+Vが創業の精神である。Qは品質(Quality)、Sはサービス(Service)、Cは清潔(Cleanlines)、そしてVは価値(Value)である。世界54カ国、1万2040店舗(1993年)で同じおいしさとサービスを提供できるのは、この精神に由来している。・・・略・・・マニュアルは2万5千項目、600ページにも及ぶ。世界唯一の教育施設、ハンバーガー大学で徹底的に社員教育がなされている。」 (P280)

★「世界中のファーストフードにすべて共通することがある。それは蛋白質を脂肪と澱粉で包んだものであるということだ。世界中同じなのは、人間の体が欲する三大栄養素が揃ってうまさを感じることに起因しているのだろう。例えば、中国人なら日本人も馴染み深い肉まん、しゅうまい、ぎょうざ、春巻もすべて蛋白質と脂肪を澱粉で巻いたものである。イタリアのカルツォーネの小型版のカルツォンセリや揚げたパンチェロッティもうまい。イタリアにはエスニック豊かなものが多数あるが、フランスでは薄皮のクレープが有名である。(以下、イギリスでは、・・・スイス、ロシア、インド、オーストラリアでは・・・と続く) 」(P289)

(3)「構造改革」した米国型社会で何が起きているか〜「世界のマクドナルド」をめぐって〜(エリック・シュローサー『ファストフードが世界を食いつくす』(草思社、2001年)から)
@ J.R.シンプロット(という人が経営する会社)は…マクドナルドのフライドポテト主要納入業者…シンプロットは全米くっし屈指の地主でもある(所有する土地の合計は、1つの州の面積を上回る)。けた桁違いの億万長者でありながら、J.R.シンプロットには気取りというものがほとんどない。カウボーイ・ブーツにブルージーンズをはき、マクドナルドで食事をし、自分で車のハンドルを握る。…最近になってようやくペースを抑え始めた。手ひどい転落にこ懲りて乗馬をあきらめたのが80歳。1999年に90歳になったのを潮に、スキーをやめた。…今も土地を買い増し、買収する工場はないかと目を光らせる。…「ひとつだけ自慢できることがある。…100人のうち99人までが、2500〜3000万ドル(30億円前後か)かせ稼いだあたりで打ち止めにしてしまう。わしは手を休めず、ひたすら打ち続けた」。

A マクドナルド社は、現在アメリカ国内の新規雇用の90%をになうサービス業の、大きな象徴となっている。1968年に、同社の店舗数は約1000だった。現在、世界中に約2万8000店あり、毎年新たに約2000店が開店している。…アメリカの労働者の8人に一人が、いずれかの時期にマクドナルドで働いたことになる。…マクドナルドは(アメリカ)最大の牛肉、豚肉、じゃがいもの購入者であり、二番目に大きいけいにく鶏肉購入者でもある。また、世界一多くのてんぽ店舗不動産を所有している。…利益の大半を、食品の販売からではなく、家賃収入から得ているのだ。

B ファストフード・チェーンは…ひとにぎりの労働者が出世階段をのぼる一方で、大半が正社員になれないばかりか、社会保障の恩恵にあずかれず、技能もほとんど身につけられず、職場環境を改善するすべ術もないまま、数ヶ月で離職してしまい、転々と職場を渡り歩いている。現在、外食産業はアメリカ最大の民間雇用セクターでありながら、最低水準の賃金しか払っていない。…バーガーキング、マクドナルド、トライコン・グローバル・レストラン社(タコベル、ピザハット、ケンタッキーフライドチキンの親会社)…の3社は、今や世界中に約370万人の従業員をかかえ、およそ6万店を管理し、2時間おきに新しいチェーン店を開店させている。…ファストフード店の従業員に最も必要とされるのは“従順さ”だ。流れ作業によって大量生産を行う業界は他にも多いが、そういう職場では、労働組合が賃金アップを勝ち取り、不満点の訴訟手続きをとり、労働条件に関して発言権をも得ている。一方、ファストフード業界では、離職率が高く、勤務はパートタイムで、店員の社会的地位も低いため、従業員を組織化するのは難しい。そのうえ、会社側は、最低賃金の引き上げに反対したときと同じくらい躍起になって、組合の結成を阻止し続けてきた。…ファストフード店の従業員は…おそらく、組合のことなど考えもしないのだろう。労働条件や店長に不満があれば辞めるだけだ。そして、他の店で仕事を探し、またそれを繰り返す。

C …ファストフード店で多く見られるケガは、転倒や落下、筋肉痛ややけど火傷だ。それに加え、アメリカでは、ファストフード業界が拡大するにつれて、職場での犯罪発生率が高くなった。現在、月に4〜5人のファストフード店員が職場で殺されており、そのほとんどが強盗による殺人だ。

D 食肉業は今日、アメリカで最も危険な職業となった。食肉処理の傷害率は、(アメリカ)国内の工場の平均の約3倍に達する。毎年、この国の食肉業就労者・・・の3人に一人が負傷するか、作業が原因のしっぺい疾病にかかり、応急処置にとどまらない治療を必要とする。・・・食肉処理場の従業員は多くの場合、2,3秒間に1回のペースで肉にナイフを入れている。合計すると、8時間のシフトで約1万回だ。・・・その昔、シカゴの精肉工場が牛を解体するペースは、1時間に50頭程度だった。・・・現在、一部の工場では、1時間に400頭前後を処理している。――1分間に5,6頭が、1本の生産ラインに送り込まれ、それを作業員が、コンベヤーのスピードに遅れまいと必死の形相で切り刻む。肉の流れについていくのに精いっぱいで、・・・処理場の作業員はたいてい互いに数センチほどしか離れていない空間で、大型のナイフを振るっている。ちょっとしたミスが大けが怪我につながりかねない。・・・ラインのスピードに遅れまいとする切実な欲求に迫られて、精肉工場の労働者の間で、メタンフェタミンの利用が広がっている。“クランク”と呼ばれるこの覚醒剤を服用すると、気分がこうよう高揚し、自信がわいてきて、何でもできそうに思える。現場監督が作業員にクランクを売ったり、2シフト連勤などの代償として、無料で支給したりしているという。メタンフェタミンを服用すると・・・実際には事故にあうリスクがずっと高くなる。・・・

E 労働組合があった時代なら、従業員が苦情を申し立て、ラインのスピードが速すぎてケガが増えていると、クビを恐れず発言することもできただろう。今日、(マクドナルドに多くの牛肉を納入している)IBP(アイオワ・ビーフ・パッカーズ社)の従業員の組合参加率は3分の一にとどまる。非組合員の大半は、アメリカに来て間もない移民で、多くは「不法移民」だ。彼らは基本的に、会社の“気が向いた”ときに雇用される。つまり事前の通告もなく、思いもかけない理由で解雇される可能性が常にある。・・・組合抜きで運営されているIBPの工場のラインのスピードと人件費が、今日、業界全体の基準となっている。・・・現場監督は・・・いばり散らすも、クビを切るも、しか叱り飛ばすも、部下の配置換えも、まずは思いのままだ。こうした権力を手にすると、もろもろの職権乱用につながりやすい。・・・女性従業員の多くから、ラインに立っている作業中に身体を触られるという話を聞いた。・・・(ある工場の現場監督たちは)女性従業員にデートやセックスを強要し、・・・。セックスとドラッグと食肉処理場というのは、妙な組み合わせに思えるかもしれないが・・・。

F 食肉業界の中でも特に危険な仕事を担っているのは、深夜勤務の清掃員だ。かなりの部分を不法移民が占める。・・・給料は時給で、精肉会社の社員労働者のそれを3分の一ほど下回る。・・・清掃員は、たいてい真夜中近く、精肉工場に到着して、まずものすごい量の廃棄物と対面する。1頭あたり500キロ弱ほどの牛が、1日に3000〜4000頭、ほふ屠られたそのざんがい残骸だ。これを夜が明けるまでに片づけなければならない。防水服を着ている作業員もいるが、大半はそうではない。清掃道具の基本は高圧ホースで、これが塩素を含む約80℃の熱湯を吐き出す。・・・視界が悪くなり、1メートル半以上先は見えない。・・・作業員はベルトコンベヤーに乗って、熱湯をかける。動く歩道に乗る要領だが、床から4メートル半ほどの高さになる。ホースを抱えて階段を上がり、作業用通路に水をまく。作業台やベルとコンベヤーの下にもぐり、血まみれの汚物のなか、四つんば這いになって、じゅうし獣脂やあぶらみ脂身、牛ふん糞やくず屑肉をこそぎ落とす。

G メガネや保護ゴーグルが曇る。室温があっという間に40℃近くになる。・・・互いに姿が見えないうえに・・・やけど火傷しそうに熱い化学薬品入りの水(熱湯)を浴びる。ガスの臭いが吐き気を誘う。・・・勤務の後、どれだけ石鹸をこすりつけても、臭いは家までつきまとう。・・・同僚の一人がうっかり機械の電源を切るのを忘れて、指を2本失い、ショック症状をきたした。救急車がやってきてけが人を連れていき、他の作業員は清掃を続けた。同僚は翌週、職場に戻ってきた。現場監督にこう言われたという。「片手がだめなら、もう一方を使えばいい」。別の清掃員は、機械にはさまれて片腕を失った。今はロッカー室でタオルをたたんでいる。…食肉処理場の清掃員の死亡率は異常に高い。彼らは、使い捨て可能な労働者として究極の存在だ。不法就労者で、読み書きができず、貧しく、技能がない。…作業員はときに、文字通り身を引き裂かれ、この世から姿を消してしまう。…はくひ剥皮(皮をはぐ)機に頭部を切断された。…ベルトコンベヤーの歯車に引き込まれ、胴体を切断された。高圧ホースを使ってはくひ剥皮機を清掃する作業中、てっぺんから転落してコンクリートの床で頭を打ち死亡した。…(血液貯蔵タンクの中を清掃していて)硫化水素ガスを吸って意識を失う。同僚二人が中に降りて…助けようとした。3人とも死亡した。…ロナルド・レーガンが大統領に選ばれた1980年、労働安全衛生局はすでに資金不足で人手不足だった。…それでも、レーガン政権は断固として、同局の権限をさらに切り詰め、規制緩和を推し進めようとした。

H …アメリカでは毎日、約20万人が食品由来の病気にかかり、うち900人が入院し、14人が死亡している。…(アメリカ)国内人口の4分の一以上が、毎年、食中毒の被害にあっている。…産業化・集中化された食品加工システムが、まったく新たな集団食中毒を生み出し、何百万もの人々を発病の危険にさらしているのだ。…チェーンの要求を満たし、マクドナルドのハンバーガーがすべて同じ味になるよう、同じひき挽肉をまき散らすのに非常に有効なシステムであることが明らかになってきた。…微生物に汚染された食物は、食肉処理あるいはその後のプロセスにおいて、感染した家畜の胃の中身や糞に接触した可能性が高い。…ハンバーガーを食べると重症におちい陥る危険があることの、単純明快な理由が隠されている。つまり、肉の中にくそ糞が入っているからなのだ。

I …1982年、オレゴン州やミシガン州のマクドナルドで売られた汚染ハンバーガーを食べて、何十人もの子どもたちが病気(O−157)になった。…O−157は、非常に強い毒素を出し、腸壁を破壊する。…多くの場合は、激しい腹痛のあとに水様便、血便が1週間ほど続く。下痢には、おうと嘔吐や軽い発熱がともなう場合もある。…問題は、今日の巨大なひいく肥育場から始まる。…肥育場に詰め込まれた牛たちは、ほとんど運動もできずに、ふんにょう糞尿にまみれて育てられる。…そのうえ、牛たちが食べさせられているえさ餌が、病気のまんえん蔓延に貢献している。穀物価格が上昇したため、より安い餌、特に牛の成長を速める高タンパクの飼料が求められるようになった。1997年8月まで、(アメリカの)牛の、実に75%が日常的に、畜産廃棄物――加工済の羊や牛の残骸――を食べさせられていた。年間何百万匹という猫や犬の死骸までが、動物保護施設から買い取られ、飼料にされていた。俗に「狂牛病」として知られる牛かいめん海綿状脳症(BSE)の大発生の原因になっていることが、イギリスの例からわかったため…禁止された。にもかかわらず…豚や馬の死骸は、食鳥類の死骸とともに、牛の飼料として与えても良いことになっている。…食鳥が牛の死骸を与えられることまで許可されているのだ。1980年代に6ヶ月以上イギリスに滞在したことのあるアメリカ人は、現在、献血を禁じられている。BSEの人間版変異体であるクロイツフェルト・ヤコブ病のまんえん蔓延を防ぐためだ。しかし、牛の血液は今なお、アメリカの牛が与えられる飼料に混入されている。

J …食肉処理場の中でも特に肉の汚染が起きやすいのは、牛の外皮をは剥ぎ取るのと、消化器官を取り除く工程だ。現在、外皮は機械が剥ぎ取るが、もし外皮が十分洗浄されていなかった場合、泥や糞のかたまり塊が肉の上に落ちるかも知れない。胃袋や腸管を牛の体内から取り除くのは、今も手作業で行われる。注意をおこた怠れば、消化器官の中身が、まわりに飛び散ることになる。今日、生産ラインの速度がどんどん上がっており、この作業は以前より格段に難しくなっている。…労働者は、ひとりで1時間に60頭もの牛のわた腸抜きをする。…何百もの枝肉がライン上をすばやく動いていく…包丁は数分ごとに洗浄・除菌するよう義務づけられているが、焦っている従業員は忘れがちだ。汚染された包丁は、触れるものすべてに細菌を付着させる。…アメリカでひき挽肉となる牛のうち約4分の一は乳が出なくなった乳牛であり、乳牛は病気になることが多く、抗生物質の残留物によってむしば蝕まれている場合が多い。…マクドナルドは自社の挽肉供給の多くを、乳牛に頼っている。乳牛が比較的安価で、低脂肪の肉をもたらし、しかもこれで…すべて国産牛肉を使用していると宣伝することができる…現在、ファストフードのハンバーグ1個には、何十頭いや何百頭もの牛の肉が含まれている。…食肉汚染の根本的な原因――牛に与えられる飼料、肥育場の過密状態、食肉処理場の非衛生的環境、ラインの過度に速いスピード、訓練をあまり受けていない労働者たち、厳しい政府監視のけつじょ欠如など――に目を向けるかわりに、食肉業界と農務省は…食肉に放射線を照射しようというのである。

K アメリカの食肉処理場の労働環境は、雇用者が従業員に対して実質ノーチェックの権力を振るえばどうなるかをにょじつ如実に表している。労働組合が過剰な影響力を持つと、それはそれでだらく堕落を招き、能率の悪さを奨励することになる。しかし組合が存在しないと、企業に犯罪組織のようなふるまいを許し、ばつ罰を受けぬまま労働法に違反し続けるのを見過ごすことになる。食肉業者が、もんもう文盲(字が読めない)で貧しく、おうおう往々にして不法滞在者である移民たちを採用し続けることを許されれば、他の業界もすぐにそれにならうだろう。工場渡り労働者の増加は、民主主義を大いにおび脅かすことになる。不法移民である労働者には選挙権がなく、みずからの法的権利を守る力もほとんどない。労働組合というきっこう拮抗(=対抗)勢力がなければ、企業はますます社会で最も弱い層を探し、さくしゅ搾取(=しぼりとる)しようとするだろう。議会は、子どもを食い物にするようなコマーシャルを禁じるべきであり、…より厳しい食品安全法を可決するべきであり、労働者をじんだい甚大な傷害から守るべきであり、経済的権力の危険な集中化をそし阻止するべきである。…残念ながらどれも実現しそうな気配はない。…しかし…ひとつの集団の要求にだけは屈せずにいられない…“消費者”という集団だ。…消費者の怒りが予想されるというたでけでも、マクドナルドは(製造会社に対して)遺伝子組み換えじゃがいもを使った冷凍フライドポテトは、今後いっさい購入しないと通知した。…意味ある変革への第一歩は、あまりにたやすい。ただ買うのをやめればいいのだ。ファストフード業界のおえら偉方たちは、なにも悪い人間ではない。彼らはビジネスマンだ…消費者が要求すれば、放し飼い・草育ちの有機牛肉を使って、ハンバーガーを作ってくれるだろう。…

(4)マクドナルドのハッピーセットのおまけが、中国下請け工場で15歳以下の児童を使
い1日15時間以上の違法労働によりつくらされたいたことが発覚しています。(週間金曜日3月30日号参照)一方、日本マクドナルド(社長:藤田田)は回答を避け、米国本社は、下は12歳に至る子どもが酷使されていた事実を依然、否定しています。子供を利用した欺瞞的な広告を大量に流し、消費者の目をごまかしています。
この問題は、現地時間17日、シカゴ開催のマクドナルド株主総会で取り上げられる予定で、ハリントンインベストメントなど良心的な一部株主は中国での児童労働を会社として禁止すべく案を総会に向けて提出しました。
古くはコスタリカの熱帯雨林の破壊にはじまり、問題が発覚する度に発注先を変え、責任回避をはかる姿勢が明瞭です。マクドナルドは、社会的・国際的犯罪の事実を認め経営自ら責任を取るべきです。

(5)他の参考となる文献など
○宮崎文雄『マクドナルド7つの秘密』エール出版1500円、
○ジョージ・リッツア『マクドナルドカの世界』早大出版3000円、
○河原和之「マクドナルドから見えてくること」(安井俊夫ほか編『1単元の授業21中学社会公民』日本書籍2500円所収)
○青木卓『マクドナルドの勝手裏』(技術と人間社 1600円)
○嘉門達夫「ハンバーガーショップ」の歌

▼「有事法制の立法化に反対する意見書」(2002/4/9)

政府は一月二十二日に「有事法制について」という見解を発表しました。見解では、外国からの武力攻撃に対処するためだとして有事法制を提言しています。しかし、テロ対策や不審船対策は、日本はもちろん、世界中のどこでも、本来犯罪として警察や海上保安庁などが取り締まるべきもので、軍隊で対応するものではありません。しかも、政府自身、今、日本に武力攻撃を企てる国や勢力はないことを認めています。ところが、政府の検討している有事法制案は、日本がすぐにでも戦争できるように、国民の財産である土地や家屋を強制的に使用したり、地方自治体も民間企業も戦争に駆り出し、業者の物資を取り上げたり、住民を徴用できるようにする、さらに自衛隊の命令に従わなければ処罰する内容になっています。これは、アメリカが始める戦争に日本が参加し、国民を総動員する為の法律です。日本は、憲法九条で戦争放棄を定め、恒久平和をめざして世界に貢献す
ることを宣言しています。その日本が国民の基本的人権を踏みにじり、国をあげて戦争するための法律をつくることは許されません。つきましては、憲法九条を守り、有事法制の立法化をおこなわないよう、強く要望します。
以上、地方自治法九十九条の規定により、意見書を提出します。
平成十四年三月十八日
秋田県雄勝郡稲川町議会

内閣総理大臣
衆議院議長
参議院議長
▼有事法制とメディア規制法に反対する共同声明(04/09)
自由への包囲網に反撃を!
有事法制とメディア規制法に反対する共同声明

 文化、芸術の創造・普及・鑑賞にとって、自由こそかけがえのない存在です。その自由が今、危機にさらされています。
昨年の「9・11」からアフガン「報復戦争」へ、米ブッシュ政権は「アメリカこそ正義」と、テロ根絶を名目として戦争行動を無限に拡大しようとしています。この行動に双手を挙げて賛同し、日本国憲法の存在をも無視して追随しているのは、日本の小泉政権です。
その小泉政権は米国の要請に応え、日本を彼らに協力して「戦争をする国」に変えようとし、今国会で「有事法制」の成立を目指しています。「有事法制」の成立を許せば、「有事」(戦争やテロの“非常時”)を理由として、国は基本的人権を勝手気ままに蹂躪することが可能になります。
また「有事法制」への道を開き、「有事法制」と連動する、いわゆる“メディア規制法3点セット”が同時に進められています。
「青少年有害社会環境対策基本法案」「人権擁護法案」「個人情報保護法案」です。いかにも青少年対策や人権擁護、あるいは個人情報保護など、必要な目的を掲げていますが、その美名の陰で言論・報道・表現の自由に公的権力が介入、干渉、規制する危険を多分に残し、すでに幅広い世論の懸念が表明されています。まさに「有事法制」を目指す公的権力による「自由への包囲網」と呼べるでしょう。
さらに憲法改悪を国会議席3分の2ではなく、過半数で成立可能とする「国民投票法案」も準備され、“日本は戦争をしない”と宣言した第9条を含む日本国憲法の平和的、民主的条項が改変される危機が、いま現実のものになりつつあります。私たち日本映画界で働くもの、日本映画を愛するすべての仲間は、日本を“戦争をする国”に変えようとする「有事法制」への策動、そのための「自由への包囲網」に対してノーを突きつけ、機を失せず、知恵と力を合わせ、声をあげ、行動に踏み出したいと思います。この闘いを抜きにしては、日本映画界の未来はないと信じ、広く心ある人々に訴えます。
2002年3月30日
映 画 演 劇 労 働 組 合 総 連 合
映画の自由と真実を守る全国ネットワーク
日 本 映 画 復 興 会 議

▼バークレー市議会の反戦決議〜貧困・従属を克服し持続可能な世界を提案する〜 (04/07)
 2001年10月16日夜、アメリカ・カリフォルニア州バークレー市議会は、ただちにアフガニスタンへの空爆を停止することを求める以下の議会決議を、5対4で採択した。バークレー市周辺は、米国で最も労働者・市民・学生が激しく平和運動を展開してきた地域である。この地域を地元とするバーバーラ・リー下院議員は9月15日、連邦議会でただひとり、軍事報復をめざすブッシュ大統領に全権を委任する決議に反対している。米国内でアフガン軍事報復に反対する議会決議は、このバークレー市議会のものが初めてである。

<バークレー市議会決議>
1> 2001年9月11日に起きた数千人の大量殺害を糾弾する。この悲劇においてニューヨーク・ワシントン・ペンシルバニアで罪のない多くの人々が殺されたことに、深く追悼の意を表す。警察・消防署・市・州・連邦の勇敢な救命努力に、敬意を表し支援する。
2> 我々の政治的代表者が、ただちに空爆を停止し、アフガニスタンの罪のない人々の命を危うくすることをやめ、米国の兵士のリスクを減らすことで、暴力の連鎖を断ち切るよう求める。
3> 我々の政治的代表者が、国際組織とともに、先月のテロを共謀した人々を裁判にかけるために、あらゆる努力を講じるよう求める。
4> 我々の政治的代表者が、あらゆる国々の政府と協力して、テロリズムの温床となる貧困・飢餓・疫病・圧政・従属といった状況を克服するために、最大の努力を振り向けることを求める。
5> 5年以内に、中東の石油への依存を減らし、太陽パワーや燃料電池などの持続可能なエネルギーへの転換をめざすキャンペーンに、国全体で取り組むことを提案する。

原文---------------------------
These are the actions that the Council passed by a 5-4 vote:condemn the mass murder of thousands of people on September 11, 2001, and express our profound grief at the atrocities last month that killed thousands of innocent people in New York, Washington, and Pennsylvania,and
acknowledge, honor, and support the heroic rescue efforts on the part of dedicated police and fire departments, and the city, state, and federal governments; and

ask our representatives to help break the cycle of violence, bringing thebombing to a conclusion as soon as possible, avoiding actions that canendanger of the lives of innocent people in Afghanistan, and minimizing the risk to American military personnel; and

urge our representatives to concentrate all available resources on bringing to justice all of those who were complicit in last month’s violent attack,and work with international organizations toward the same end; and

urge our representatives to devote our government’s best efforts in collaboration with governments throughout the world, to addressing and overcoming those conditions such as poverty, malnutrition, disease, oppression, and subjugation that tend to drive some people to acts of terrorism; and

request that we engage in a national campaign to lessen our dependence on
oil from the Middle East and to commit to a nation-wide conversion to
renewable energy sources such as solar and fuel cells, within five years.

City of Berkeley Council Districts
▼日韓歴史共同研究合意内容 [官房長官発表(速報)](福田康夫官房長官/2002.3.5)
日韓歴史共同研究について申し上げます。
昨年10月の日韓首脳会談で合意された日韓歴史共同研究の実施について、今般、韓国政府との調整を終了し、「日韓歴史共同研究推進計画」を設立することとなりました。この計画の下では、両国の専門家による「日韓歴史共同研究委員会」を設置するとともに、歴史学者の交流、学術交流等、歴史に関する各種取り組みが統一的なコンセプトの下に推進されることとなる。また、この計画が円滑に実施されるよう必要な支援を行うために、日韓両国の民間有識者及び政府関係者から構成される「合同支援委員会」を設置し、今月中を目処に第1回会合を開催することとしております。
政府としては、本件計画は、正確な歴史事実と歴史認識に関する相互理解を促進するために、極めて意義深いものと考えております。本件詳細は、外務省から説明をさせます。
−−−以 上−−−
外務省アジア太平洋局北東アジア課資料
日韓歴史共同研究推進計画

1.設置目的
○ 昨年10月15日に行われた日韓首脳会談において、歴史教科書問題(別紙参照)に関連し、正確な歴史事実と歴史認識に関する相互理解の促進が重要であり、そのために専門家による協議の場を設けることに一致したことを踏まえ、日韓関係史に関する共同研究会を立ち上げるとともに、日韓両国間の歴史関連事業をより効果的に実施するために官民で構成される合同支援委員会を設置する。
○ 共同研究の成果が広く周知されること等により、正確な歴史事実と歴史認識に関する相互理解が促進され、日韓両国の若者達が近隣諸国との間で未来志向的な友好協力関係を構築するための土壌を整備する。
2.概要
○ 「『日韓歴史共同研究推進計画』合同支援委員会」を設置(詳細は別紙1)。
○ 「日韓歴史共同研究委員会」を設け(詳細は別紙2)、「歴史学者の交流の場」及ぴ「学術研究・各種交流の支援」とともに3本柱とする。
○ 「合同支援委員会」は、歴史共同研究委員会をはじめとする本取り組みの下、歴史教育関係者の交流及び相互理解の促進を含め、各種の取り組みを有機的に関連づけ、統一的なコンセプトに沿って円滑に実施されるよう支援する。
3.活動期間
○ 合同支援委員会及び共同研究委員会については、まずは2年間の活動を基本とする。
○ 必要と認められれば活動期間を延長する。
《別紙》
歴史教科書間題を巡るこれまでの経緯
○ 平成13年3月に検定決定された中学校の歴史教科書について、同年5月、韓国政府よリ、正確な歴史記述が必要であるとして35項目の修正要求が提出された。
○ 日本政府においては、教科書検定制度に基づき、これを精査した結果、必要な措置が講じられた。
○ 10月15日及び20日に行われた日韓首脳会談において、両首脳は、歴史教科書問題について議論し、両国政府が歴史専門家の共同研究会を早期に立ち上げるために協力し、同研究会の円滑な運営を支援していくことで一致した。
【別紙1】
「『日韓歴史共同研究推進計画』合同支援委員会」について
1.概要
(1) 目的:効果的かつ責任ある実施体制の整備
(2) 方針:日韓両国間の歴史関連事業を有機的に関連づけ、統一的なコンセプトの下に推進するとともに、日韓両国政府が責任をもって個々の事業が円滑に実施されるよう支援する。
2.構成
(1) 日韓両国の民間有識者及び政府関係者(基本的に局長級)で各々6名程度で構成する。
(2) 日本側政府関係者は次のとおり。
・内閣官房
・外務省
・文部科学省 基本的に局長クラス
(3) 民間有識者(3名程度)の具体的な人選については関係省庁間で調整する。なお、合同支援委員会のメンパーが共同研究委員会のメンバーを兼ねることを妨げないこととする。
3.具体的任務
(1) 次の3つの取り組みについて、これらが円滑に実施されるよう必要な支援を行う。但し、それぞれの取り組みに直接関与することはない。
@「日韓歴史共同研究委員会」(新設)、
A歴史学者の「交流の場」の設置
B学術研究・各種交流の支援(新設、既存)
(2) 「日韓歴史共同研究委員会」の人選等立ち上げに必要な準備を行う。
(3) 上記の3つの取り組みの成果につき、広報・啓発を行う。
4.開催頻度
(4) 日韓歴史共同研究委員会等、新規事業が立ち上がるまでは必要に応じ随時開催する
(5) 各事業が軌道に乗った後においては、実施状況をフォローするために、年間1〜2回定期的に会合を開催する。
5.事務局作業
○ 事務局は、両国が各自の事情に沿って適切な事務局を置くこととする。
(本件支援委員会の開催等にあたって必要となる事務局的作業は、日本側においては外務省、韓国側においては外交通商部において行うこととする。)
【別紙2】
日韓歴史共同研究委員会:事業実施案
1.目的
○ 日韓関係史につき、学者・専門家間で議論する。
○ 特に、両国間で学説・解釈に相違があると思われる分野については、両国における現状を共同で調査・研究を行う。
○ このような調査・研究を通じて、学説・歴史認識について、共通点を見出すよう努めるとともに、相違点は相違点として正確に把握することを通じ、互いに理解・認識を深めることを目指す。
2.構成
○ 日韓双方でそれぞれ10名程度の民間人(専門家・学者・教師等)で構成し、歴史学者を中心とする。
○ 両国の座長は、歴史をはじめ幅広い分野に見識を有する者とする。
○ 古代史、中世史、近現代史の分野別分科委員会を構成する。研究の進展状況を見つつ、必要に応じ他の分科委員会を設置する。
3.活動
○ 隔月1回程度会合をもち、2年程度を目途として研究成果をとりまとめることとするも、頻度は必要に応じその都度調整することとし、研究成果の発表後も必要に応じ随時会合をもつこととする。
4.研究結果の活用
○ 共同研究は、共同研究委員会の責任において実施し、その研究成果は共同研究委員会の責任でとりまとめ合同支援委員会に提出する。
○ 合同支援委員会は、両国において政府及び関連機関、国会議員、大学等を含む研究機関、各種図書館、教科書作成者、民間(マスコミ各社、日韓関係や歴史に関する有識者等)等が研究成果を然るべく活用すべく、広く配布し周知させる。これにより、本歴史共同研究の目的が最大限達成されることが期待される。また、インターネットのホームページで公開し、日韓両国民間での相互理解が広まるようにする。これらにより、学者、専門家、教料書会社等が報告書の内容を承知することとなり、将来、歴史教科書が編修される過程で参考として考慮されることが考えられる。
5.事務局
○ 事務局は、両国が各自の事情に沿って適切な事務局を置くこととする。(本件共同研究の日本側事務局は日韓文化交流基金に、韓国側事務局は韓国教育開発院の中の国際教育情報研究センターに置く。)
▼「アフガニスタンへの空爆の中止と、日本の戦争協力の中止を求める請願署名」ひな型(2002/1/27)
「アフガニスタンへの空爆の中止と、日本の戦争協力の中止を求める請願署名」ひな型

平和な21世紀を子どもたちに伝えるために、アフガニスタンへの空爆の中止と、日本の戦争協力の中止を求める請願署名

■請願の趣旨
新しい21世紀は、テロと報復戦争という、とんでもない時代が始まるのではないかとの不安を募らせる事件で始まりました。世界が憎しみと報復の悪循環に巻き込まれていかないことを私たちは願います。特に私たちが心配するのは、自衛隊が中東にまで出かけて米軍の軍事作戦への支援活動を行なうなど、戦争をしないはずの私たちの国が、いつのまにか戦争のできる国へ、そして戦争をする国へと変わっていきつつあるのではないか、ということです。

「平和な21世紀を子どもたちに!」−これは私たち今を生きる世代の願いであり、責任です。しかし、アフガニスタンへの米軍による空爆は今なお激しく続けられ、莫大な一般住民の犠牲者を生み出し続けています。そしてアフガニスタンに続き、ソマリア、イラクなどが次の攻撃対象にあげられるなど、戦争が全世界へと拡大しかねない状況です。憎しみで世界が壊れる前に、テロを生み出す原因となっている世界的な貧富の差、不公正、不均衡の解決に向け、各国が「共生」のための真摯な努力をねばり強く行う必要があります。

平和憲法を持つ日本の役割は、軍事力ではなく、このような平和的解決への努力だと思います、テロと報復の連鎖により、21世紀が戦争と憎しみの世紀とならないために、私たち市民の平和への願いを、市議会として政府に届けていただきたいと思います。

■請願の内容
以下のことを、 (都道府県市町村名)議会として政府に対して働きかけてください。
1.アフガニスタンの一般市民を犠牲にする米軍の空爆を中止するよう、アメリカ政府に働きかけること。
2.自衛隊は現地での活動を中止し、日本に帰ってくること。
3.医療、食糧などアフガニスタンの人々の声に基づく平和的・人道的支援に全力をあげること。
2002年  月   日

(都道府県市町村名)議会議長   ××××様

▼ アフガンで起きている本当のこと(中村哲さん 医師/ペシャワール会現地代表)2001/10/23
「アフガンで起きている本当のこと」

◎飢餓で死に瀕する人々にとどめさすことになるペシャワール会は、約18年間、アフガニスタン現地の医療活動に関わっていますが、文字通り超党派で、支援してくれる人の中には、右翼から左翼まで色々な人がいます。今日の話は、むしろ、保守系の党の人に聞いてもらいたい。私は、まったくの政治オンチで政党の名前もよく知りませんので(笑)、その辺はひとつご了解ください。政治的な発言は避け、現地の実情をなるべく正確に伝えたいと思います。

◎アフガニスタンは山の国
1984年、パキスタン北西部の辺境ペシャワールに会の拠点となる病院を置きました。現在、70床あるこの基地病院を基点に、アフガニスタン側に八カ所、パキスタン側に2カ所の合計10カ所の診療所を併せて運営しています。現地スタッフは、医療職員だけで252名、そのうち日本人ワーカーが5名おります。昨年8月から干ばつに対して、医療活動の一環として水源(井戸・用水路)1000本を確保をすべく活動している水源プロジェクトの職員が74名、作業員を入れると約700名で進行しています。会の年間の運営費は約1億円、そのうち85%が4000人の会員からの会費、募金によるものです。集められた1億円近くのお金の95%以上が現地プロジェクトに使われます。会は専従のいないボランティア団体ですので、ほとんど手弁当で事務局を形成しています。決して他の組織を悪く言うつもりはありませんが、組織が大きくなるとどうしても組織のメンテナンスに金がかかります。ある国連の団体は9割が職員の給与に使われるという状態で、残りの1割の中から、ジュネーブに行く費用などを引きますと、寄付が現地に届くのは数パーセント以下、ということが珍しくない。私たちの会について、ODAのように額は大きくなくても、一桁倍する力を民間でも発揮できるという例を皆さんにお伝えしようと思います。

現在、カイバル峠の麓、国境の町のペシャワールを拠点に、アフガニスタンの診療所、ヌーリスタン、ダラエ・ピーチ、ダラエ・ヌールの3カ所に診療所を運営しています。現在カーブル(カブール)は巨大な無医地区になっています。人口百数十万、あるいは200万人と言われる街が、干ばつ難民で埋め尽くされていて、カーブル市民といっても、裕福な層は外国に逃げて行っています。ですから今カーブルに残っているのは国に帰ることもできないような避難民です。首都である100万都市が、無医地区に近い状態なのです。会では急遽、今年の2月から5カ所の診療所を運営しています。私は、アメリカのテロ事件が発生する直前までカーブルにいまして、財政の許す限り診療所の開設をやれといって、診療所を10カ所に増やし、来年はさらに増やす計画に携わっていました。そんな時にテロ時間が発生しましたが、今、5カ所のカーブル診療所と3カ所の東側の山岳地帯の診療所は平常通り運営しております。あまり公にはできませんが、カーブルとジャララバードでも現地のスタッフは平静に診療を続けています。

アフガニスタンというのは日本の方々にあまり知られていない国の一つだと思います。アフガニスタンは、広大な山岳地帯で、面積は日本の約1.7倍、人口は2400万人と言われていますが、正確な数字は誰も知りません。1000万人という説もあります。そのあたりはいい加減といえばいい加減です。地理的にはパミール高原を中心にして東に延びるヒマラヤ山脈、西に延びるカラコルム・ヒンズークシュ山脈にあたるところで、この7000メートル級のヒンズークシュ山が国の真ん中に座っている。アフガニスタンは山の国と言えますが、とてつもない規模の山でして、日本列島がすっぽり入る山です。余談ですが、私は元来山登りが趣味で、アフガニスタンへはヒンズークシュ山脈遠征隊の隊員として20数年前に訪れたのが初めてでした。ともかく交通網もそうですが、山がある故に割拠性が非常に強い。私たちは山間の谷を歩いたり、馬に乗ったりして一番遠い診療所へは片道一週間かけて行きます。タリバン側が交渉を引き延ばしているというニュースが伝えられましたが、アフガニスタン全土から歩いて1週間、馬で3日はかかりますから、日本では一日で済むことも、向こうでは2、3週間かかることは普通です。時間の流れが違うといっていいでしょう。

◎地域によっては我々と数世紀の差
住民のほぼ100%といっていいほどがイスラム教徒です。イスラムというのはある種の国際主義の色彩を帯びていて、たいていは国家的価値より宗教的価値のほうが優先するのです。しかもアフガニスタンは、世界で最も古風なイスラム社会が存在していて、各地域を底辺から支えているのはモスクです。金曜日になると、モスクで説教を聞く。色々な意味で、モスクは地域の共同体の中心です。だからといって彼らが、他の宗教の人を追い出すかというとそうではなくて、邪魔しない限り攻撃はしません。例えば、私は、ハンセン病の仕事に携わっていますが、ハンセン病の人が村で迫害されるときにどうするかというと、国に訴えたり、法律上の人権を主張するわけではないのです。私は金曜日にモスクに出かけて行きまして、みんなに呼び掛けました。ハンセン病への迫害はイスラムの教えに反するのではないか、みんなでハンセン病の人たちを大事に扱いましょう、と。決して力や政治で押しつけるのではなく、宗教的、人間的な気持ちに訴えて迫害を無くすことをしています。私自身はイスラム教徒ではなくてキリスト教徒です。キリスト教徒がモスクに行って話をすることも可能な社会です。

外国人がアフガニスタンを見た、パキスタンを見たといっても、所詮、点と線です。旅行者、あるいは失礼ですが新聞社が伝える情報は、庶民にとっては雲の上の情報で、庶民は国連機に乗って移動するわけではありませんし、偉い人と会って記者会見するわけではない。地域によっては、ラクダの隊商も見られます。流通の末端地区を握っているのはラクダの隊商です。これはシルクロードの昔から変わっていません。私たち医療関係者の立場から言うと、医療は人間を相手にする仕事ですから、相手の患者さんが何を考えているのか、どういうことが嬉しいのか、どういうことで怒るのか、悲しいのかということを知らずに診療活動はできません。地域によっては我々とは数世紀の開きがあるなかで、患者さんの考えていることを理解するのは非常に根気と時間がいるという社会です。

一般的なことですが、アフガニスタンは、貧富の差が甚だしい。ジャーナリストの方には申し訳ないのですが、いきなり1週間の予定で現地に飛んで、情報を集めて外電で送ったって、まず実状は伝わらないでしょう。貧しい階層と一握りの指導的な階層、あるいは裕福な階層と極端に天地の差があります。それはますます拡大しています。医師の立場から言いますと、日本で行われるような医療を現地に持ち込んでも人々にはとてもお金が払えない。ちなみにうちの現地職員である門衛の給与の初任給が、月約7000円。これは、現地の物価も安いのでそのまま比較はできませんが、外国に逃げていくような金はない、まともな医療は受けられないのが実状です。私たちが気を配るのはいかに少ないお金で、いかに多くの人に恩恵を及ぼすかということです。日本から新しい技術を持って行けば持って行くほどそれだけお金のかかる医療になりますから、ますます医療の恩恵にあずかる人とあずかれない人の差が開くというのが現状です。我々の対象は貧民ですから、それに合った技術、やり方を模索せざるを得ない社会です。

◎その地域から逃れられない人のために
私が現地に赴任したのは84年4月のことです。私たちの出発点は、ハンセン病根絶のための、ハンセン病コントロールセンターを充実させてくれという要求に応えたものでした。行ってみてびっくりしたのは、当時登録されていた患者2400名に対し、病床数がわずか16床。その後患者が増えまして、現在約7000名、最終的には2万名に達するであろうと思われます。医療用具もほんの少ししかなく、消毒をどうやったかというと、オーブントースターにガーゼを詰めた金属製のボールを入れて中に入れ、煙が出始めたらぱっと出す。きつね色に焦げているのは消毒済み、白いのは未消毒と
いう見分け方をしました。そういう状態から始まって、物や金も大切だということで、ペシャワール会の活動もにわかに活発になってきました。

現在では、うちの診療所に送りさえすれば何とかなるというというところまではきました。ハンセン病の治療は色々な局面がありまして、ただ単に薬を与えるということではなく、麻痺した手足を動かす手術や失明のケア、整形外科、形成外科、神経病学、皮膚科学という色々な分野が一緒になってできた一つの総合医学です。北西辺境州とアフガニスタン全土で、ハンセン病治療ができるまともな施設はうちの診療所1軒だけです。そのため登録している七千名の患者の大きな後ろ盾になっています。私たちは医療団体で医療活動をしているのですが、実際の活動は一見医療とは関係ないことに注がれてきました。その一つに、現地の文化が日本と見るもの、聞くことが随分違うわけで、これをいかに理解するかということです。私たちが対象とする患者さんは、ほとんどの人がその地域社会から逃れられずに、逃れたくても逃れるお金もなく、あるいは、地域社会に安住している人たちなのです。この人たちがその地域のなかで、いかにより幸せな気持ちで暮らしていけるかを考えないと本当の医療はできないんです。ここに私たちと、色々な外国からくる団体との相違がありまして、外国の団体に一番多いのは、女性にブルカというかぶり物をさせる習慣に対する反応です。これはハンセン病のコントロールの面からみても障害なんです。ハンセン病の初期症状は背中やお尻などの皮膚に表れますので、チェックする必要があるのですが、現地では女性の素肌を見るのは非常に失礼にあたるのです。ちなみに、日本で言うところのセクハラ、女性に対するいたずらや婦女暴行は死罪です。それも警察に頼るのではなく地域の慣習法によります。もしこの国会が一つの村だとしたら、国会で殺人事件が起きてそれを目撃した議員さんが犯人を射殺してもそれは黙認される社会なのです。しかしこれには厳格なルールがありまして、わけもなく人を殺したら住民の制裁による処罰を受ける。いわゆる法治国家ではないのです。

しかし、そういった厳格な慣習法が犯罪や暴力の抑止力となっています。
さて、女性がブルカをかぶるという習慣が世界で問題視されていますが、確かに自由であるというのはいいのですが、外国の団体の中にはこれを許すべからざる人権侵害であるといって、現地でトラブルを起こす人がいます。ある場合には追放になり、逮捕され、彼らが自分の国に送還されると、ロンドンやニューヨークで凱旋将軍のように迎えられヒーローになります。しかし、私たち医師の立場から言いますと、じゃぁこの人たちを連れて行ってください、最後まで面倒をみてださい、と思わざるを得ないのです。あなた方は自分の考えを主張できて満足するだろうけれど、私たちが対象とする患者さんをどうしてくれるんだ。私たちは、ここから逃れられない患者さんがその社会のなかでより幸せな状態になるにはどうしたらいいかという実際の面を考えざるを得ないのです。私たちは長いスタンスで活動していますので、外国人に荒らされたくない。現地の人も似たような気持ちであろうと思います。人権団体が入ってくる。軍隊が入ってくる。ソ連軍が入ってきて、アメリカ軍が入ってきて、ロシアが武器援助をする。アフガニスタンは外国人によって踏み荒らされたものであるという、攘夷論がアフガニスタン全体を民衆レベルで支配しているというのが事実です。ただ、こればかりは外人部隊に頼らざるを得ないのですが、ペシャワール会からこの10数年間の間にのべ20名前後の女性ワーカーが現地に赴きました。もちろん現地社会は女性にとってはヤワなものではない。言葉は悪いけれども、女子どもがうろうろするところではないのです。しかし、11年もいる強者もおりまして、彼女らの存在によって、それまでの考えられないような女性への診療の質の悪さが随分改善されました。これは我々がした仕事のうちで一番いい仕事の一つではなかったかと思って
います。

◎ハンセン病治療だけでは間に合わない
アフガニスタンは、1979年12月に、当時アジア最強、世界最強といわれたソ連軍が、ときの共産党政権を守るという理由で、大挙して押し寄せました。結果、この内戦で死亡した者は、戦闘員だけで数10万名、非戦闘員を入れると200万名はくだらないだろうと言われています。難民になって国外に流失したのはパキスタンだけで約300万名。ペシャワール周辺の北西辺境州に流出したのです。あとの200万名がイラン側に逃れ、合計約500から600万名が難民になって国の人口の半分が流出、アフガニスタンは壊滅的な打撃を受けました。
私たちも医療の立場から自然とこれに巻き込まれていったわけですが、私たちが目にした光景は鬼気迫るものがありました。国境地帯にたどり着いた数百名家族が、冬は非常に寒いですから、一晩のうちに凍死してしまうこともありました。約1000人が一夜にして凍死するのです。我々は、初めは難民キャンプで細々と医療と医療活動をしていましたが、とても間に合わない。ペシャワール側でじっと患者を待っていてはだめだということに思い至り、方向転換しました。ペシャワールに逃れてくる難民はやがて帰って行くべき人たちであって、一時的な存在なのです。ハンセン病というのは非常に時間のかかる、数10年という時間のかかる仕事ですから、長い目で見ると難民が帰った後のことも射程に入れて考えなければならない。
しかもハンセン病だけ診る診療は現地では成り立たない。ハンセン病というのは他の感染症と比べて非常に少ない病気なのです。そのために膨大なエネルギーを費やすことはできない。片やマラリアで死にかけているのに、あなたはハンセン病でないから診ないというわけにはいかない。しかもハンセン病の多い地区というのは、一般の感染症、腸チフス、結核、マラリア、デング熱というありとあらゆる感染症の巣窟なのです。我々は将来的にはアフガニスタンの山村の無医地区に一般診療所を開設して長く存在したい。ハンセン病は色々な感染症の1つとしてさりげなく診る、偏見
も避けるという戦略を立てました。

当時内戦が激烈な時期で、とてものこのこと診療にきましたなどと入れる状態ではなかったのです。我々はまず、ペシャワール側で人育てをしながら、やがてソ連軍が帰るだろうとふんで、地域の調査を始めました。人口はどれくらいでどんな病気があるのかもよく分からなかった上、地図を見ても書いていない村や道がたくさんあるのです。私たちは地域の実情を知るために、内戦をかいくぐって、国境沿いはとても通れませんでしたので、山越えをして歩きながら現地と接触を深めていきました。カーブルから飛来してくるソ連軍の爆撃が酷い時期でした。ソ連軍の戦略は近代化のためには保守的な農村を丸ごと葬ってしまって、人口を都市に集中させて管理するというものでした。そのために、女、子どもも容赦なく、一つの村を殲滅するということが普通に行われました。これに対して、住民自身が、各地域バラバラに抵抗しました。男たちは村に残り、女、子ども、お年寄りなど弱い人は難民キャンプに送って闘いを続けました。戦った男たちも猛々しい人ではなく、普段はお百姓さんなんです。簡単に言いますと、日本の刀狩り以前の侍とお百姓が分離していない社会のようなものです。話が脱線しますが、地域によっては外国人を見たことがないという人も珍しくないのですが、何故か日本人のことは、みんなよく知っているのです。世界で一番親日的な国はアフガニスタンだといってもいいでしょう。私たちが国境を通過する時に、外国人は通過禁止となっている時も、日本人だというと、「アフガン人ではないが外国人とは言えない」と通してくれるのです。日本人には特別な感情を持っているようです。どうしてか分かりませんが、彼らが知っているのは、日露戦争、それから広島・長崎の原爆はどこに行っても、どこのお百姓でも知っていました。アフガニスタンの知識人も含めて信じられている日本についての迷信があって、日本とアフガニスタンの独立記念日は同じだ、というものです(笑)。
長い目で見た国際環境は日本とアフガニスタンに共通点があります。日本は島国であり外国の勢力が届きにくい極東である利点を生かして、北方からの脅威と南からの脅威のサンドイッチのなかで独立を達成し、明治維新で国民国家を作りました。アフガニスタンは、島ではなくヒンズークシュ山脈という、人が近寄りにくい天然条件を生かして、言語だけでも30以上の民族があるなかでアフガニスタンという同一性を作ってきた。彼らの誇りは、英軍が2年もアフガニスタン征服を企てましたが、その都度撃退したことです。そんなわけで日本についてはみんな知っているんだけれど、オランダの隣にあるら しいとか、出島の話がそんなふうに伝わったのでしょうか(笑)、歩いて何日かかるとか真顔で聞かれながら、我々は歩いて住民との親交を深めてきました。

◎マラリアの大流行をくい止める
さて、ソ連軍が引き揚げて、難民が帰ることになると、ヨーロッパのNGOが押し掛けました。日本も竹下首相の時でしたか、数10億ドル出しました。今更いうのも何ですが、あの時の数百億ドルのプロジェクトで2、300万人難民で帰った人はほとんどいなかった。そのうちに湾岸戦争が始まり、ソ連が崩壊するというなかで難民を帰すプロジェクトは途中で撤退しますが、真っ先に逃げ出したのは、欧米諸国のNGOと国連職員でした。国連の中でも酷いことに、アジア系の国連職員を残して、欧米人はみんな帰ってしまったんです。そういういきさつのなかで、国連や欧米のNGOは決定的に信頼を失ってしまったんです。アフガニスタンの共産政権が倒れると、カーブルは昔の日本でいうと京の都にあたるので、カーブルを目指して各政治党派がわんさわんさと押し掛けました。その分地方は平和になりまして、戦場が農村部から都市部へ移りました。農民だった難民はそのような事情をよく読んでいて、自発的な難民帰郷が始まりました。それも国連は帰る家族にわずかな援助をしましたが、ほとんどは誰の力も借りずに難民200万人がひとりでに帰りました。このことはあまり報道されませんでしたが、恐らく国連や西側が恥ずかしかったんでしょうね。私たちは今から活動する時期がきた。私たちがやらなちゃと猛烈に活動を開始しました。難民は帰ってきたものの、家は荒れ果て、畑は10数年間放っておいたので耕作できないので、我々は農村部に支援を集中させました。というのは一番困ったときに必要なのは食べ物です。電気製品は食えるわけじゃない。戦後の日本と同じように、飢餓状態のなか一番必要なのは食べ物です。しかもアフガニスタンは農業国ですから農村の復興を援助するかたちで猛烈な援助を開始しました。アフガニスタンの東部山岳地帯の3つの診療所はその時に次々建てられたものです。我々は、帰ってくる難民を待ち受ける形で診療所を開く、難民にしてみれば不安を抱えて帰ってみると、もともと無医地区なんですが、といってもアフガニスタンのほとんどが無医地区で、医者のいる地区を探す方が大変だったんですが、帰ってみると診療所があるではないか。お医者さんがいて検査技師もいる。我々は医師一名、検査技師二名、看護助手2、3名というチームを組んでいました。ちゃんとした診療が受けられ、安心して村の復興に励める、ということで、日本の数県に匹敵する地域の人々の支えになりました。当時、忘れられないのはマラリアの大流行があったことです。1992年に難民が帰り始め、1993年にはすでに水田が復興してくる。すると蚊が発生し、マラリアが流行ります。この時大流行したのは悪性マラリアで、免疫がない状態でかかると死亡率が非常に高い。日本でも外国でかかって日本で死ぬのが年間三十名をくだらない。しかし、我々が頑張って対応できるのはせいぜい70万から80万名なんです。その中で、このとき明らかにマラリアで死亡したと把握できる人の数が約六千名。そのため人々がパニック状態に陥りまして、薬を取りに治療を受けに診療所へ押し寄せる。しかし我々は日の出から日没まで働いても、診ることができる人数は200名から300名がやっとなんです。すいませんが、明日の朝来てくれませんかと言わざるを得ない。ところが何日もかけて来た患者は家族のことが心配で、不安にかられて診療所を襲撃するということも起きました。

私はちょうど、北部からの調査から帰ったところでダラエ・ヌールという場所にいましたら、診療所が住民から包囲されているという知らせを受けました。そのうち投石が始まり、投石ならまだいいけれども、内戦直後でまだみんな武器を持っていましたから、飛び道具が飛んでくる、ロケット砲がかすめる。職員が二名殉職しました。当地の風習として、お客さんをもてなすのを重んじることと、目には目を歯には歯をという復讐法が徹底していて、地域の人間関係と治安を規定していました。2人殺されたのだから、我々も殺したグループから2人殺らないと我々の恥になるという社会です。職員約20名が、みんな私の命令を待っていました。「シンパを集めて抵抗せよ、二人を殺せ」という指令が出るかと思っていたようですが,「発砲しちゃいかん、絶対に発砲するな」。ある状況下では、発砲しないでいるより、発砲した方が遙かに容易であります。しかし、私が発砲するなと言ったものだから、みんな耳を疑いまして、「先生本気ですか」と聞くのです。「本気だ」「我々が皆殺しになってもですか」「そうだ、皆殺しになっても発砲しちゃいかん」。ちょうど、我々の診療計画がスタートしたばかりで、我々10数名が死んだところで、後に数十名がペシャワールに控えているじゃないか。彼らが後を引き継ぐ。攻撃した者は後で必ず後悔する。しかし、ここで我々が発砲すると全てが無駄になる、とみんなを説得しましたが、さすがにみんなびっくりしまして、呆気にとられて発砲しなかったというのが実状です。幸いその後、襲撃は夜が来たので止みました。
翌日、その谷の長老会を開かせまして、私はあんまり人を怒鳴ったりしないのですが、席上、さすがに「君たちのこのやり方は何であるか。我々は朝から晩まで何の政治的な下心もなくみんなのために診療をしているのに。ともかく、村の治安を回復しろ」と怒鳴りました。若い者に診療所を守らせると同時に、「薬のことは心配せんでいい、俺がペシャワールに行ってどかんと持ってきてやるから」と約束をして、また山越えをしてペシャワールに戻りました。福岡の事務局に電話をして「おい、ありったけのゼニを全部送れ」と言うと、「先生、30万円しかない」というのです。その30万円でいいからみな送れと言ってぞっとしました。この30万円で人がどれだけ救えるか。その当時、悪性マラリアに有効なキニーネという薬の一人あたりの薬代が220円、マイルドセブンと同じ値段です。30万円割る220円が助かる人の数です。1600人位しか助けられないということなんです。その後ペシャワール会が新聞やテレビで訴えかけましたところ、日本人も捨てたものじゃない、数千万円の募金が寄せられたため、我々が各地を巡ってマラリアを潰して回りました。幸い冬がきて、蚊の発生が止まるという勢いに乗じて、それ以上の流行は収束しました。これによって地域のマラリアは慢性的には発生していますが、大流行はなくなりました。東部では、これによって私たちの会は、人々の信頼を得ました。
そうやって診療してきましたが、車が行けるところはまだましで、本当に困っているところは歩いて行かなければならないのですが、アフガニスタンでは一番高地といわれるヌーリスタン、パキスタンでは北の最果てのワハン回廊の近くのバローギル峠まで、私たちの診療所は建っています。へき地の診療所に歩いていかなければならないなかで、国際地域医療とはいかにあるべきかなんて話を聞けば聞くほど虚しいんです。地域に行ってみなければ分からないと言うと議論は途切れますが、ともかく地域住民とともに歩んで、この地域の人にとって一番いいのは何かということをともに探っていく段階です。批判はできますが、では我々に何か代わるものがあるかというとなかなかない。時には、何も好きこのんでそんなところに行かなくてもとか、中村は山が好きだから行っているんだろうという人がいますが、とんでもない、そういう悪口を言う人が行かないから私たちが行っているのであって、私たちの方針は、人がわんさわんさといるところなら、我々がやらなくても誰かがやる、そうではなくて、人の行かないところに行く、人がしたがらないことをするというものです。今回の干ばつにさいしても我々は。国連機関や世界中のNGOが押し掛けてやっているようなことはやりませんが、昨年から本格的な干ばつ対策を開始しました。そうこうするうちに15年が経ちまして、とてもこれは、20年、30で終わる問題ではない、そこで第一期の区切りをつけて診療基地病院を3年前に立ち上げまして、第1期15年終了、今年は第2期30年の4年目に相当します。

◎世紀の大干ばつで400万人が飢餓に
昨年アフガニスタンを襲ったのが世紀の大干ばつ。中央アジア全体、周辺諸国を合わせると約六千万人が被災しました。そのうちアフガニスタンの被害が激烈で、1200万人が被災した。昨年5月、WHO発表の数字ですが、1200万人が被災して、飢餓に瀕する者が約400万名、死ぬであろうという飢餓寸前の者が100万名という数字を発表しました。これが決して誇張された数字ではないというのが私の印象です。飢餓といってもお腹が空いてバタッと倒れるわけではないんです。末期は下痢にかかったり、色々な病気にかかったりして、栄養失調になって亡くなるんです。ですからそういう数も入れますと100万人というのは決して誇張された数字ではないのです。しかし欧米諸国にはアフガニスタンに対するネガティブなイメージがあって、救援がなかなかこない。我々は国際団体が押し掛けるときには引き揚げようと思っているのですが、なかなか来ないんですね。それどころか国連制裁で物資がますます途切れるというなかで、ものすごい干ばつで、診療所周辺で村が消えていくんです。耕作する農業用水が無くなるだけではなくて、飲み水が無くなり、家畜も売らざるを得ない。家畜を売るときは農民としての最後です。家畜を売り払って町におりてくる。次々と廃村が広がったわけです。
こういう状態のなかで、私たちの診療所にはえらく人が多く、大半の犠牲は子どもでありまして、なかには……子どもを抱いた……母親が、外来で待っている間に体の冷えていく我が子を抱いている、という姿もたくさんありました。お医者さんがこんなことを言うとひんしゅくを買うかもしれませんが、ともかく病気どころではない。病気は生きておれば後で治せる。ともかく村に健康な状態で留まれるように、そのためには水だということで、診療所周辺から飲料水確保という計画を始めました。現在、約600数十カ所で作業地を持っていまして、五百数十カ所で水を出しました。そのために村に留まって流民化しなくてすんでいる人が25万人から30万人にのぼります。

ダラエ・ヌール診療所というのは、タリバン政権と反タリバン勢力の係争地になっていて、去年の8月、今日は派手にやってるなと思って目が覚めてみると反タリバンの人が治めている。それから2、3日たってみると今度は、またタリバンが取り返しているというなかで作業を続行しました。水路、現地ではカレーズ、カナートとも言いますが、水路の復旧にも着手しまして、その結果、砂漠地帯が、緑の麦の原っぱになるという奇跡的なこともおこりました。私は人から誉めてもらおうと思ったことはありませんが、これだけは誉めてもらいたいと思いました(笑)。緑の畑が戻ってきて、そのために村を捨てた難民1万数千人が帰ってきました。このように水源確保の作業地を年内に1000カ所に増やそうとしていたところに、ニューヨークのテロ事件が発生しまして、やむなく日本人だけは退去しました。しかし、現地の人は、「我々は潰れるまでやります」と、現在も作業を続行しています。診療所も平静に運営しています。町は非常に静かです。

◎日本で伝えられることの違和感
世界で一番治安がいいところはどこかというと、戦闘地を除いてはアフガニスタンです。日本でこんなことを言うと、きっと報道管制があるのだろうと言われますが、報道管制をできるほど組織だった国ではありません。みんなが信頼を寄せているニュースソースはラジオのBBC放送で、現地のパシュトゥー語という現地語とアフガニスタンの国語であるペルシャ語と、パキスタンの国語であるウルドゥ語の3つに訳されて、国営放送は事実ではないことも発表するので、みなBBC放送をもとにして判断しています。私は日本に帰ってきて、報道管制にあっているのはむしろ日本ではないかと感じました。現地は意外と冷静に判断していますし、民衆レベルでことの流れを知っていますが、それでも冷静に判断しています。
私が見聞きしたところでは、ニューヨークのテロ事件にさいして、アフガンの民衆レベルの反応は、むしろテロの犠牲者を悼む声の方が強かった。というのも彼らは20年以上の内戦で血なまぐさいことに疲れ切っているんです。これ以上また騒ぎを起こして、人が死んで、まぁかわいそうに、と自分たちも肉親を亡くしていますからそれがよく分かるんですね。ところが、米国の報復が自分たちに向けられるということを知ってから、元々ある伝統的な反英感情が反米感情に転化して、鬼畜米英という声がタリバンの抑えを越えて、民衆レベルで沸き上がってきつつあるというのが現状です。そうすると日本で聞くのとは随分事情が違うと思うわけです。

私たちの活動は医療を基本にして、後には井戸掘りなどの事業もありますが、公衆衛生も含めた医療活動を中心に展開して、それも記者会見に出てくるような偉い人ではなく、99%を占める一般の民衆のような声の届かない人たちと接してきました。英語がほとんどしゃべれず、外国人とほとんど接触できない、ましてや外国に逃れることなんてできない。こういう人たちの声はほとんど日本に伝わっていない。この活動を通して、向こうの一般の人々の声や考え方が伝われば、実状を知っていただきたいと思います。我々も戦時下でも活動を継続します。戦時下でもプロジェクトを継続する準備のためこうして一時帰国しましたが、細々とであるけれども、文化も顔も言葉も違った国の人々を理解していく民間の橋渡しになればという気持ちで今後も活動を断固継続していきたいと思っています。
今、日本は何をなすべきいかという観念的な議論が多く、現地の情報がないままに状況が進んでいます。繰り返しますが、日本は報道管制でもされているのではないかと思うほどです。政治的なことは言いたくありませんが、とにかくアフガニスタンの正確な情報を知ってください。政治家の方たちは、それから判断してください。日本は、アメリカに追随して、この不況のなか、たくさんお金を使って、元々親日的なアフガニスタンの民衆に被害を及ぼすような武力行使の支援をするより、今は何をなさざるべきかということを冷静に考えてみることも必要ではないでしょうか。干ばつによって農業生産力の九割が打撃を受けているところへ報復攻撃が始まれば、100万人単位の人が死に、衆人環視の下でホロコーストと同じ状態を生むことは間違いありません。
一握りのお金持ちは外国へ逃げていきましたが、今、首都のカーブルに集まっているのは飢餓難民。空爆があったときに死ぬのは国外へ逃れることさえできない貧しい人たちです。後で実状が分かったときに、報復攻撃をした人は必ず夢見の悪い思いをするでしょう。

▼ 「南北問題・南北それぞれの国内での分配の不公平」をどう伝えるか(2001/10/23)
「南北問題・南北それぞれの国内での分配の不公平」をどう伝えるか

(注)転載情報で出所ははっきりしないが、こういう視点・発想を大切に。

もし 今日がついてない一日だと感じたあなたもこれを読んだら現実が違って見えるかも・・・

もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には・・・

57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます

52人が女性です
48人が男性です 

70人が有色人種で
30人が白人
70人がキリスト教以外の人で
30人がキリスト教

89人が異性愛者で
11人が同性愛者

6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています

もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。
また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。
もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら・・あなたは今いきのこることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています。
もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度もたいけんしたことがないのなら・・・あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。
もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら・・・あなたは世界の30億人のひとたちより恵まれています。
もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。
もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりです。
もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・それはとても稀なことです。
もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福をうけるでしょう。なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて,その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。
昔の人がこう言いました。 わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。

お金に執着することなく、喜んで働きましょう。
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。

▼ 2002年度中学校歴史教科書の生徒用需要数

     2002年度中学校歴史教科書の生徒用需要数

発行者         需要数     占有率     2001年度占有率

東京書籍      676,434冊     51.2%      40.4%
大阪書籍      185,372冊     14.0%      18.8%
教育出版      171,533冊     13.0%      18.0%
帝国書院      144,215冊     10.9%       1.9%
日本書籍       77,718冊      5.9%      13.7%
清水書院       33,346冊      2.5%       3.9%
日本文教出版     30,968冊      2.3%       3.3%
扶桑社         521冊      0.039%

計        1,320,107冊

………(参考)扶桑社の需要数 ………
公立学校(ろう学校・養護学校) … 5校  23冊
私立学校            … 6校 498冊
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合計               11校 521冊

私立学校が6校となっているのは、茨城県常総学園と熊本県文徳は、副教材としての使用なので、文部科学省に報告する需要数に入らないためです。

▼ 市民の声を無視した米軍「報復」攻撃に厳重に抗議する 2001/10/11

市民の声を無視した米軍「報復」攻撃に厳重に抗議する

 9月11日に米国で起きた同時多発テロについて、10月2日に「戦争と暴力のない世界を実現するための歴史教育者協議会有志の緊急アピール」を発表した。このなかで、われわれ歴教協は有志の声明として、テロによる問題解決を支持しないこと、事件を引き起こした犯人を明らかにし、国際的な手続きにしたがって処罰することを求めていた。
また、米国政府が計画している「報復」戦争は、問題の本質的な解決にならないこと、これまで「人道に対する罪」を裁くために世界が確立してきたルールを破ることを指摘し、「報復」戦争に反対する立場であることを明らかにしていた。このような立場からの発言は、われわれのみならず、日本の多くの市民をはじめ、世界中の市民、テロに打ちひしがれていた米国の市民たちの中からさえあらわれ、9月11日以来、戦争と暴力のない世界をめざす声が、日々高まりつつあった。
ところが米国政府は、このような世界の声を無視し、市民に理解できる形でテロ犯を明確にしないまま、アフガニスタンに対する攻撃を開始した。ブッシュ大統領は、タリバンの軍事拠点にのみ攻撃を限定し、アフガン市民をまきぞえにしないと言っている。しかし、20世紀の戦争の歴史から明らかなように、現代の戦争で市民がまきぞえにならなかった例はない。特に米国がこれまでにおこなってきた、数々のテロに対する「報復」攻撃は、多くの市民を殺害してきたし、さらなる報復、さらなるテロを引き起こし、今回の事態を招いたのである。
われわれは、米国政府の戦争を支持しない。今回の攻撃は、新たなテロを呼ぶ無意味な戦争、暴力の連鎖をよぶ愚かな行動であることを指摘し、強く抗議する。
日本政府は、米国を無条件に支持し、彼らの「報復」戦争への協力を明言していた。今回の攻撃に際しても、小泉首相は国会に諮ることもなく、記者会見でできる限りの協力をすると表明している。
われわれはこうした日本政府の方針を支持しない。日本政府は「目には目を」のハムラビ法典ではなく、日本国憲法前文および第9条の精神にしたがい、ただちに米国に平和的解決を求める行動をとらなければならない。また今国会において審議されているいわゆるテロ対策特別措置法案は、日本を「戦争する国」に導く危険な法律であり、平和を愛する諸国民の願いに逆行するものである。われわれは速やかに廃案とすることを求める。
日本の、そして世界の市民は、今回の米国の攻撃に対して、強く抗議しなければならない。戦争は何の解決ももたらさないこと、暴力は多くの悲しみを生むことを、私たちはこれまでの歴史と今回のテロ事件で学んだ。今ならまだ間に合うかもしれない。ニューヨークで私たちが目撃したのと同じ光景、さらに悲惨な光景がアフガニスタンでくり返されることだけは避けなければならない。
私たちは「テロにも戦争にも反対」と叫び続けてきた世界の民衆の行動に、これからも連帯してゆく。今すぐ戦争と暴力がない世界をつくるための行動に立ち上がろう。

                 2001年10月8日  歴史教育者協議会会員有志

<過去の情報資料>

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