<仲間たちの声2 声1 声3

★ ブッシュがノーベル平和賞候補?(M.Y./2002.2.16)
 なんとブッシュがノーベル平和賞候補に指名されたとのことです。狂った世界としかいいようがないですね。このときにもアフガニスタンでは、米国の爆撃が続いて死者が出ています。反テロの名による戦争を米国がやり放題なのをどうしたら止められるのでしょう。平和賞どころか、アフガニスタンの非戦闘員殺戮の戦犯として裁くべきだという声さえ出ています。ぜひともノーベル賞委員会に抗議の手紙を送ってください。また、以下の呼びかけを広く伝えてください
 日本語訳をしてくださった方がおられますので、別に流しますが、ノーベル賞委員会への抗議文は英語でお願いします。

subject: FSw:Bush is nominated to Novel Peace Prize!!

Dear friends,
Please send protest letters to the Nobel Institute and circulate the following message as widely as possible. We should rather prosecute him as a war criminal for killing housands innocent non-combattants,women and children in Afganistan.Yayori

Subj: Bush nominated for the Nobel "Peace" Prize! Another outrage in astring of outrages. But do we laugh or do we cry?
Date: 2/8/2002 6:19:30 PM Central Standard Time

Comment: Obviously even pro-war right-wing protofascists who have no concept of how peace must be pursued can participate in the Peace prize nomination process. That's probably how Henry Kissinger got nominated (and won,to the everlasting shame of the Nobel committee) back when he deceived the North Vietnamese into signing a peace treaty, falsely promising them that the US would give them $4 billion dollars in war reparations if they complied.
(It won't shock anybody to find out that we never paid them the promised money and Kissinger never felt dishonored nor did he give back the prize money,for that's how we dealt with all the Native American peace treaties too.)

Please flood the Nobel committee with messages of outrage and threats of shaming if the travesty of a Peace Prize nomination makes any progress at all. (By shaming I do not mean violently threatening to run them out of town tarred, feathered and sitting on a rail like the good old days, just a ton of gentle, loving, nonviolent verbal humiliation so they will never dare to do anything like that again). Gary.
Please circulate this information widely.

If you would like to email the Hague Appeal for Peace to request they submit a formal objection to these nominations, their email address is:<hap@haguepeace.org>

If you'd like to address your concerns directly to the Nobel Institute,their email is: <postmaster@nobel.no>

Peace with restorative justice,Joyce

From the Wall Street Journal

US President Bush, UK's Blair Nominated For Nobel Peace Prize

OSLO (AP)--U.S. President George W. Bush and U.K. Prime Minister Tony Blair have been nominated for the 2002 Nobel Peace Prize for fighting terrorism and securing world peace, a Norwegian lawmaker announced Monday.
Harald Tom Nesvik, a member of parliament from the right-wing Party of
Progress, said he has nominated the two leaders for the coveted peace
prize, despite their role in ordering war in Afghanistan.

"The background for my nomination is their decisive action against terrorism,something I believe in the future will be the greatest threat topeace,"Nesvik said. "Unfortunately, sometimes...you have to use force tosecurepeace."

Nesvik has nomination rights as a member of a national legislature.The Oslo-based awards committee accepts nominations postmarked by Feb.
1, so proposals continue to arrive and a final number is not expected until late in the month. Last year, 136 individuals and groups werenominated.
The 10 million Swedish kronor prize was shared by the U.N. and its secretary-general, Kofi Annan.
The committee keeps the names of nominees secret for 50 years.However,those making nominations often reveal their choice. The Sept. 11terror attacks on the U.S. and the aftermath are expected to influence this year's nominations, because those events were too late to be considered inlast year's award. Other Sept. 11-related nominations mentioned, but not confirmed, include former New York City Mayor Rudolph Giuliani and Guy Tozzoli, an engineer who helped design the World Trade Center.
Also Monday, two Christian Democratic members of Norway's parliament announced their nomination of the Salvation Army, adding to a listthat includes Rome- based Catholic group Church of Sant'Egidio for peaceand humanitarian efforts and the Mission of Mercy humanitarian group for> work in Latin America.
The Nobel Prize winners are named in mid-October and the awards are always presented on Dec. 10, the day their founder, Swedish industrialist Alfred Nobel, died in 1896. The peace prize is awarded in Oslo, and the others in Stockholm, Sweden.
Nobel Prize Web site: http://www.nobel.no
(This story was originally published by Dow Jones Newswires)
Copyright (c) 2002 Dow Jones & Company, Inc.
All Rights Reserved

Filo Hirota
Viale Pola, 10
00198, Roma, ITALIA
Tel. 06-8413441 Fax 06-8413231

★ 自由法曹団アフガンレポート(I.K./2002.2.14)
1 法律家調査団の概要
 アフガン空爆に反対する活動をしてきた弁護士7名が、1月7〜14日、パキスタンに調査に入りました.自由法曹団という法律家団体の調査団として現地で活動。調査団のうち3人は、イスラマバードとペシャワール、4人はクエッタとペシャワールで調査.イスラマバードでは、国連難民高等弁務官事務所、日パ旅行社の督永さんがやってらっしゃる「アフガン難民を支える会」の案内でアフガン居留地、ジャパン・プラットフォーム、法律家との懇談などをしました.クエッタでは、国境付近−カンダハルに程近いチャマンの「ランディ・カレーズ」キャンプに行き、難民の人々のお話を聞いたあと、「ガーディアン」というアフガン人が構成するNGOと懇談.ペシャワールでは、国境付近−トラボラやジャララバードに近いコトカイ・キャンプ(トライバル・エリア)へ行き、それから、ぺシャワール会、RAWA、センター・フォー・ストリートチルドレン・アンド・ウィメン、JEN、JEFF等のNGOを訪問。 

1 コトカイ難民キャンプで

 私たちはペシャワールから「トライバル・エリア」に入り、アフガン国境沿いの「コトカイキャンプ」に行きました。ここはジャララバードや,トラボラといったところから近い位置にあります。キャンプは11月19日に出来たばかり,みなパシュトゥン人でアメリカの空爆開始後にアフガンから逃れてきた人々です。ポリオで足を無くして,ものすごい経済的困難の中で,空爆にあい,避難してきた、そういう少年に会いました。

 私たちは,UNHCRの紹介で,キャンプの長老の皆さん7人くらいに集まってもらって話しを聞きました。「みなさんの中で,アメリカの空爆で,村すべてが廃墟になったのをみた方はいませんか」と聞いたところ,みんなが当然のように「たくさんある」といくつも地名を挙げるんです。そして,それは何の軍事施設もないところだ,と言います。そして,トラボラから10キロ離れた町から逃げてきた人から聞いた話なのですが,トラボラ,というのはアルカイダの巣窟だということでアメリカが絨毯爆撃やり放題,というところですが,実は,トラボラには多くの村があり,沢山の人が住んでいた,というのです。そして,その村や集落の中心にデージーカッター爆弾が投下された,というのです。デージーカッターは半径500mを一気に無酸素化して皆殺しにする,核兵器につぐ大量殺戮兵器です。これを民家が密集するところにどんどん落としている。長老の人は,逃げてくる最中に1000人くらいの死体を見た,と言っています。人のすむ村にこんな大量殺戮兵器を公然と落とし,多くの人を殺戮する,これは大量虐殺・ジェノサイドであり,戦争犯罪だと思います。トラボラやジャララバードのあるニングラハル州ではデージーカッター以外にも,巡航ミサイル,ナパーム弾,クラスター爆弾が使われたといいます。このように最新兵器を無抵抗の人々の住む村にどんどん投下してアフガンの人々を虫けらのように殺すことが許されるのか,私達はこのことに黙っていていいのか,と非常に憤りを感じます。何故メディアはこれを報道しないのか。私達この時代に生きる者の責任としてきちんとこの戦争犯罪を告発すべきだと思っています。

2 ランディ・カレーズキャンプで

 私達はクエッタから国境の町チャマンに入りました。ここはアフガンのカンダハルから近いアフガン国境の町で、アメリカの空爆以後たくさんの難民が空爆を逃れてアフガニスタンから流入し、現在2万7000 人の難民に対応するために最近新しい4つのキャンプ(ロガ二1、ロガ二2、ランディ・カレーズ、ファルージー 各1万人収容)が作られています。私達は、このうちのひとつ、「ランディ・カレーズ・キャンプ」に行きました。ランディ・カレーズで生活する人たちは大人も子どもも裸足、テントは簡単な覆いと、土にシート一枚敷いただけの粗末なものでした。
 私はこのキャンプで、マザリシャリフから近いダルザブ村と言うところからきた人々の話を聞きました。この村は10月25日以降10日間、地面に5フィートの穴をあける大型爆弾が連日投下されて村全体が壊滅し、200家族が果てしなく遠いこのキャンプまで逃げてきたのです。タリバンの軍事施設は全くなかったといいます。私は、テントの傍らの地べたに茫然と座り込んでいた難民の女性に「一言だけ」話をすることを許されました。表情に深い疲労と苦悩がはりついているような女性でした。彼女に「今一番何を望みますか」と聞くと、「家に帰りたい。平和がほしい。尊厳を取り戻したい。私達はこれまで平和に暮らしてきたのですから」との答えが返ってきました。その言葉は胸に響きました。この人は私達と同じ人間、平和に、尊厳をもって生きてきた人間なのです.戦争は、この人達から、平和も、家も、人間の尊厳をも奪ったのです。

3 空爆から生き残った子どもや女性達

 生き残った人々も戦争の被害者です。私達は、アフガンのストリート・チルドレンと女性のための教育・訓練施設を訪問し、生き残った女性や子どもの被害を聞きました。空爆から生き残った女性や子ども達の中には空爆のトラウマで,毎晩悪夢に悩まされたり,小さい音にもパニックになったり,ものがしゃべれなくなる,そういう人が少なくないといいます。ストリートチルドレンの施設で,トラウマを抱えた子どもにあえますか?と聞いたら,先生が連れてきてくれました。でも,その子は,自分の後ろでドアを閉めようとするわずかなギギ,という音に驚いて叫び,混乱して逃げてしまいました。空爆の金属音が彼にどんな恐ろしい記憶を与えたのか,どんなに大切なものを奪ったのか,本当にこの出来事は忘れることができません。
 ブッシュ夫人はアフガンの女性を抑圧しているタリバンへの空爆は正義だ,と言っているようですが,それは全く愚かな話です。よくブルカのことが言われますが、これは昔からの伝統的な衣装です。圧倒的多数のアフガン人は貧しい農村に住み、教育も行き届かず女性にはそもそも「女性の権利」という発想があまりないのです。彼らは遅れた貧困な生活を送っていたかもしれないし,女性も先進国の女性のような自由はなかったかもしれない,けれど家があり,家族があり,生活があった。それを突然何の責任もないのに空爆され,家族を殺され,家を破壊され,祖国を奪われ,精神をずたずたにして未来をも奪った,そういう権利はアメリカにはありません。どんなことを言っても正当化できない,絶対に許されない,このことを曖昧にしてはいけないと思います。

4 戦争によって平和は創れない。

 私達は、クエッタを本拠に活動するNGO「ガーディアン」の人々と懇談しました。このNGOは、アフガン人の若い人々135名で構成されるNGO、三分の一は女性です。アフガンの民族、宗教、出身地の違いを乗り越えてアフガンの再建のために、難民支援、教育、地雷教育等の分野で活動しているNGOです。彼らは現在直面している問題として、深刻な治安の問題を話していました。NGOガーディアンは、「カンダハルでは市民がみんな武装している。治安は最悪である。そのため国際機関が援助を躊躇している」と言っていました。内戦と、諸外国の過剰な武器援助によって、武器庫は常にいっぱい、パシュトゥンへの仕返しに対する恐怖や、盗難、強奪の危険から、みな武装しているといいます。内戦、空爆、政変・・命を脅かす危険の中で市民が武器で身を守るのは無理からぬ心情だと思います。イギリス軍などが武器の回収をしていますが、強制的な刀狩は逆に大きな反発につながりかねず、援助・復興の障害になっているといいます。戦争・破壊、そしてタリバンの崩壊によって、平和が創られた・・・そのようなことでは全くないのだと、実態を聞いてよくわかりました。私達は「活動している皆さんどうしで、こんなふうにアフガンを再建したいという夢を語り合ったりすることがあると思います。どんな国にしたい、という希望をもっているのですか」と聞きました。
 ガーディアンの人々は「One Nation−人種、民族、宗教、地域の違いを乗り越えたひとつの国になること」と言っていました。そのような国をつくるために彼らが強調していたのは教育の重要性でした。「アフガン人としての連帯感を持てるような教育をしていかなければならない。これまで長い間、アフガンのそれぞれの民族は民族浄化される恐怖に怯えて生きてきた。子ども達は、南の子には角がある、北の子には尻尾がある、と思い込まされ、それぞれに恐怖感を持って育っている。その恐怖を取り除き、アフガンの同じ一員として共生する教育をしていくことが必要だ」と彼らは言っていました。
 平和も人権も、まず人々の心の中に構築されるべきもの.どんなに地道で時間がかかっても、平和的な対話による意識の改革、教育なくして実現することはできない。戦争がもたらすのは破壊と死、悲しみだけであり、戦争が平和をもたらすことは決してない、と改めて思いました.

5 報復戦争以前のこと

 私達はアフガンの女性団体RAWAに会いましたが、今後のアフガンに自由な政権ができるのか、深刻な危惧を表明していました。北部同盟の支配した1992年〜1995年の間の時代には、女性の強姦や虐殺、誘拐等筆舌に尽くしがたい蛮行が全土に繰り広げられた、と言っていました。女性や人が集団でコンテナに入れられて焼かれる、目をくりぬかれる、頭をぶち抜かれる、女性に対する集団的な強姦や、女性を男性の前で裸で歩かせる、出産を公開で行うなど・・・。だから北部同盟のカブール制圧後若い女性やその家族は恐怖に慄いている、民族同士の新たな虐殺も発生している、と訴えていました。北部同盟は暫定政権の中枢を占めています。これからこそ、アフガンの真実を知り、監視してほしい、暫定政権ができてめでたしめでたしで忘れないでほしい、と訴えていました。
 また、私達はぺシャワールで生活するアフガンの知識人で、政権協議にも参加した人と懇談しました。私が、「ソ連侵攻前は民族対立は先鋭化していなかったのでは?」と聞いたところ、「ソ連撤退後、大国が自分とつながりのある勢力を政権につけようとして、民族対立をあおり、介入し、内戦をおこさせた。」と話していました。「その後貧しさの中で、アフガンはテロ組織の訓練組織がおかれ、テロと麻薬の温床になった。アメリカや諸外国はこの事実をいくら訴えても『アフガンのことはアフガンで解決すべきだ』と無視し、何もしてくれなかった」「実は、昨年の9月11日も私は国連でアフガン問題の会議を行い、アメリカやドイツの代表とやりあっていた。その時も彼らは『アフガンのことはアフガンで解決すべきだ』と言っていた。ちょうどそのとき、同時多発テロのニュースがもたらされました。私は『これでもアフガンのことをほうっておくのですか』とアメリカの代表に言ったのです」と言っていました。アメリカはその後アフガンを無視することをやめ、その代わりに空爆・殺戮を開始したわけです。

6 ぺシャワール会

 NGOの中で最も感銘を受けたペシャワール会の活動についてご紹介します.皆さんご存知のことと思いますが、ペシャワール会は、日本人中村医師が1984年にパキスタン・アフガニスタンの人々の医療活動を開始し、現在、ペシャワールに1つの病院、アフガンに10の診療所をもって活動しています.医療活動のほかに井戸掘りや灌漑事業もされているのですが、アフガンの農村での医療活動の中で、この国の人々の健康のためには、貧困と栄養不良をなんとかしなくちゃ、というところから始まったそうです.アフガンはずっと旱魃で水がない.用水路もかれてしまって農業ができない.そんな農村をよみがえらせるために、井戸を掘って地下水をくみ上げる、という地道な活動をずっとされています.非常に感銘を受けたのは、あくまでアフガンの人々の自立を長期的な視野でみてアフガンの人々を主人公にしたプロジェクトを行っていることです.医療活動でもアフガン現地スタッフを採用・訓練して医療スタッフにする、井戸を掘るときも、どこの村でも村の人には4人の選んだ人にしかお金をあげず、村のみんなに働いてもらう.「これはあなたたちの井戸だ」と村の自立のための井戸の必要性をよく話してわかってもらって一緒に井戸を掘る.そういう活動のなかで、ペシャワール会のプロジェクトがいかにアフガンの人々にとって重要なものか、現地スタッフを通じてアフガンの人々がよく認識し、絶大な信頼を得ているようです.アフガンで空爆が始まり、日本人に退避勧告が出たとき、中村医師はカブールの5診療所をしばらく閉鎖しようと提案した.しかし、アフガン人の医師たちが、空爆で医療を必要とする人がさらに増える、閉めるわけにいかない、と言って、日本人スタッフとは涙の別れをして、ひとつの診療所も閉鎖せずに頑張ったそうです.それから、この冬、飢餓で100万人以上が死ぬのではないかと言われていたのに、アメリカの空爆がはじまった途端国際機関が一斉にアフガンから手をひいて食糧援助をストップしたといいます.飢餓に瀕するアフガンの人々がいるのに、大きな国際機関が何もしない、ということにペシャワール会の皆さんは愕然とされたようですが、それじゃあ、自分たちがやるしかない、ということで、ゼロから、日本で寄付を集めることにして空爆の最中もアフガンに食糧を運び続けたといいます.ペシャワール会のアフガン人の事務長さんは、「アフガンの多くの人たちは、アメリカが落とした食糧を食べるくらいなら飢えたほうがいい、と考えて燃やしている」と言っていました.
 空爆を公然と批判することもなく、食糧援助から手を引いて、今になって突然カブールにやってきた国際機関はあまり信用されていない、食糧が強奪され、事務所は襲われて何もかも盗まれている、といいます.しかし、空爆中もアフガンのために尽くしてきたペシャワール会に対しては強奪や盗みの被害は全く出ていないそうです.いまや、カブールは援助団体がたくさんきて家賃も高騰している状況.ペシャワール会では、こんなときこそ、もっと援助を必要としているところへ、ということで、アフガン東部(冒頭で空爆の被害についてお話したニングラハル州)での医療に力を注がれるそうです.ポリオ・ワクチンするには冷蔵庫が必要、けれど電化がされていないのでそれもままならない、という地域に診療所を増やそうとしているそうです.強奪と言うのは悲しい話です(そういえば、アフガン国境では、大量の物資を積んだトラックが何故か、アフガンからパキスタンへと流入していました)が,私は,これまで筆舌に尽くし難い飢餓や戦争といった苦難を国際社会が助けなかった,空爆中も殺戮を黙ってみているだけで何もしなかった,それが突然やってきて「上からの」援助を施す,こういうやり方にアフガンの人々はどんな思いでみているだろう,と思いました.日本の公共事業と変わらない巨額プロジェクトの「上からの」援助がアフガンで苦しむ人々の頭越しに消えていく、とんでもない事態になりつつあります.アフガンの人々を同じ心をもった人間,地球の対等なパートナーとして見て,アフガンの真実に関心を持ち続け,あくまでアフガンの人々が自立できる国づくりを手伝うという視点での援助を考えること,そして我々の無関心が生んだこの著しい不正義,そして戦争を二度と起こさせない力をつくること,が求められていると思いました。  

★ 符祝慧(シンガポール『聯合早報』在日特派員)さんの講演記録(H.H./2002.2.2)
 2月2日(土)の埼玉歴史教育者協議会での講演「日本の自衛隊派遣をアジアの人々はどう見ているのか」を紹介します。話をしてくださったのは、符 祝慧(フー・チュウウェイ=シンガポール『聯合早報』在日特派員)さんです。
・ 1983年、高校卒業後、18歳のとき来日。シンガポールから発信したい。アジアに留学したいという気持ちだった。
・ 日本を選んだとき、祖母が猛反対した。「日本を信じるな」。でも「戦後何十年もたっているのだから、きっと日本人は変わったはずだ。変化した日本人を紹介できるようにする。」
・ しかし日本人は、シンガポールを侵略したことも、「昭南島」と言われていたことも知らなかった。どうつきあっていったらいいのか悩んだ。日本人との「厚い壁」を感じた。留学生の機関紙で切々と訴える長文を書いたりしたが、話が合わないことが多かった。
・ 日本は「アジア」ではないか。それなのに、日本に来てみたら「日本はアジアではなかった」。戦後になっても「アジア蔑視・脱亜入欧」意識はそのまま。
・ 「自衛隊」は日本国内でしか通用しない言葉。1990年代は臆せず「日本の軍隊」
がアジアを闊歩するようになった。
・ 「失われた10年」は「日本の平和感」が失われた10年だった。
・ 日本人の意識「救援活動なら自衛隊だって問題ないでしょう」。アジアの人々の認識「銃を持って救援活動に行くのですか?」
・ 日本国憲法第9条がある限り、自衛隊が海外に行けるはずはない。
・ 戦後処理は終わっていない。「謝罪」と言いながら「行動」していることは何か? アジアと向き合う姿を考えていないのが日本。
・ 今の日本はどうしてこうなっているのか? 特に21世紀になってからの日本の「変質ぶり」は目にあまるものがある。
・ 「新しい歴史教科書」グループはアジアを直接見に行ったことがあるのだろうか? どう見ても、あれは「アジアとの友好をダメにしていく」もの。ウソの歴史を学ぶことの恐ろしさ。
・ 「なぜ体験のない私たちが戦争責任を負わなければいけないのか」という若い世代。正しい歴史の継承は責任をとることである。
・ 日本に対してのアジアの「失望」「あきらめ」は深くなっている。
・ 小泉首相の東南アジア訪問でのスピーチでは、謝罪の言葉もなく、過去の戦争のことも触れなかった。触れたのは300年前の「日本の商人がたくさん東南アジアと行き来していた」といったことだけ。
・ 日本は過去の歴史事実を消そうとしている。しかしアジアの人々が忘れ去ることはない。
・ 歴史は「弁論」ではない。「歴史事実」をとらえられないことへの苛立ち。
・ 日本人はメディアに振り回されている。メディアによって世論が作られてしまっている。
・ 「従軍慰安婦」はメディア界では、「扱わないように」という動きになっている。
・ 「平和のための戦争展」が行われていることは、大いに意義があること。
・ 無力感が覆っている日本社会。
・ 過去を問わずに「未来志向」では意味がない。「軍事大国」である日本の現実を忘れてはいけない。
・ テロの裏にある軍事産業の影。
・ 国内世論レベルで語り合うと「自衛隊派兵OK」でも、日本とアジアの関係を考えたらそうは言えない。
・ マスコミの問題。政府の考えとずれている民間の声。それをどうつなぐか。
・ 日本社会の特徴「前例を使う」。一度できるとエスカレートして使われていく。
<質疑応答>
○ マスメディアの問題
・ 日本記者クラブに入らないと案内がもらえない。封建的な雰囲気。日本人は現役がほとんどいない。年配の人たちばかり。
・ 日本のリベラル派の弱さ。「読売」は中曽根の影響大。
・ 「産経」は教科書、「読売」は憲法改正で政府と関係深い。
・ 今の「朝日」は、左派と見なされると政治部から社会部に回される。
・ 「朝日」の堕落。1996年前後にマードックにテレビ朝日を買われたのを買い戻した。経営上の損失大。経済的な問題がからんでいる場合。・ なぜ右翼の考え方が浸透するのか? 「幻想」にふける日本人。
・ はっきり自信を持ってしゃべる人物に傾注してしまう日本人。
○ 従軍慰安婦規制の背景
・ NHKのとある女性ディレクターの努力。1991年に冷戦が終わった頃、従軍慰安婦としての民衆の声が出るようになった。彼女はその後も中国での資料収集に努めていた。1995年の「戦後50年セレモニー」以降、日本の変質と野党のいっそうの弱体化。1996年以降、上からの圧力で放送できなくなっている。
・ 今の教科書問題は民衆の草の根運動が背景になっている。
・ VAWネットの運動。
・ 教室でどういう教師に出会うかがとても大きい。
○ 海外の若者や労働者の運動
・ 飽食であることゆえの日本人の限界。ハングリー精神の欠如。
○ 日本の若者「事実を知りたい、日本と世界の関係を知りたい、という若者。本当は歴史の深みに触れたいのだが、受験勉強をとりあえずやっている。「世界史で見る日本」の違い。自国史で見たときと違った。アジアをどう見させていくか」
・ 環境、高齢化社会、ライフスタイル、現在悩んでいることなど「人間」としての問題を共有する取り組み。それと同時進行としての「歴史学習」。
★ 「中村哲医師アフガニスタン報告会」ビデオを希望の方に販売します(2002.1.26)
 昨年末12月22日に愛媛で「中村哲医師アフガニスタン報告会」を持ちました。会場収容人数をオーバーする参加者が集まりました。この「報告会」のビデオカメラで録画しています。全国各地で報告会が持たれていますが近くで報告会がなされていない方もおられると思いますのでこの録画ビデオを希望される方はお送りいたします。

 当「報告会」実行委員会の作成しました資料と録画ビデオ(2時間10分)送料込みで1000円でお送りいたします。希望される方は、ご連絡ください。

 奥村悦夫
 zxvt29@dokidoki.ne.jp

★ 必見!映画情報(S.I./2002.1.26)
最新号の『TELEPAL』(関西版)
を見ていたら、いつにまして歴史を題材(背景)にした映画が多いので、放映日時とチャンネル、作品名、題材程度紹介しておこうと思います。関心のある方、御覧(あるいはVTRチェックをいて)下さい。ただし、関西を中心にしたものなので、その点、ご注意ください。有料放送なども除きます。

1/30(水)2:10〜 10 読売テレビ
「フォー・ザ・ボーイズ」・・・戦地慰問団歌手

1/31(木)1:55〜 10 読売テレビ
「レッドチェリー」・・・ナチスに捕らえられた中国
            人少女

2/1(金)21:03〜 10 読売テレビ
「ジャンヌ・ダルク」・・・百年戦争

2/5(火)1:20〜 BS11
「リリー・マルレーン」・・・戦時下の流行歌
      20:00〜 BS11
「グッドモーニング・ベトナム」・・・ベトナム戦争

2/7(木)1:55〜 10 読売テレビ
「紅いコーリャン」・・・1920年代末〜中国

2/10(日)21:00〜 6 ABC
「プライベート・ライアン」・・・ノルマンディー
                 上陸作戦

 以上の中では、中国映画「レッドチェリー」(1995年)があまり知られていないと思いますが、未見の方は、この機会にぜひ御覧になることをお勧めします(レンタルビデオ店でも見あたりません)。
 私は2月に入ったら公開される「地獄の黙示録 特別完全版」(プラス53分の203分)に行こうと思っていますが、20年の時を経て映画がどう変わり、見る私の受けとめがどう変わるのかを確かめたいと思います。

★ 「在日アフガニスタン難民連絡事務所」からのお願い(2002.1.24)
「在日アフガニスタン難民連絡事務所」からのお願い

                        2002年1月22日
                        アフガニスタン難民弁護団
 私どもは、日本に庇護を求めてやってきたにもかかわらず入管に収容されてしまったアフガニスタン難民を支援する「アフガニスタン難民弁護団」です。突然のお願いを申し上げる失礼をお許し下さい。
 この度、私どもは「在日アフガニスタン難民連絡事務所」を設置致しました。この事務所運営費用は、下記設立の趣旨にご賛同下さる方からの会費及び支払能力のある難民からの拠出により支弁されることとなっています。そこで、1人でも多くの方に下記趣旨にご賛同いただき、会員になっていただきたく、誠に勝手ながらお願いを申し上げる次第です。
第1 在日アフガニスタン難民連絡事務所とは?
(1) 概要
名 称: 在日アフガニスタン難民連絡事務所
所 在: 東京都新宿区揚場町2番16号第二東文堂ビル3階
     さつき法律事務所内
専 従: 1名(アフガニスタン人のハザラ族)。
     保障給与は月額金10万円とし、財政状態や稼動状況により増額を検討する。
理 事: 当弁護団の団員から理事及び監査役を選出する予定です。
(2) 設立の趣旨
 昨年9月11日の同時多発テロの影響を受け、今、日本では、多くのアフガニスタン人が茨城県牛久市の収容所に収容されています。その中には、アフガニスタンの少数民族に属し、タリバンから拷問や家族の殺害といった迫害を受けていながら、日本政府に難民として認められず、未だ混乱のさなかにあるアフガニスタンに強制退去されそうな人もいます。
 私どもは、昨年10月から、彼らの難民認定及び身柄解放のために裁判など法的手続きを初めとする様々な努力を行って参りました。一方で、収容所内で私どもの活動を知り、その支援を求めるアフガニスタン難民の数は増加し、現在30名に昇ろうとしており、既に弁護団の対応可能な限界を超えようとしています。
 このような状況を改善するため、私どもは、彼ら1人1人から詳細な迫害状況等の聞き取り、面会による励まし、仮放免申請、特別放免申請等を行うため、日本語の話せるアフガニスタン人の専従スタッフ(依頼者と同じハザラ人の方)を抱えた事務所を設立する運びとなりました。
第2 活動経費について
 この事務所の活動経費は、上記趣旨に賛同される方の会費及び負担能力のある難民本人からの拠出により支弁します。もし、上記趣旨にご賛同下さる場合は、是非とも、当事務所の会員になっていただきたく、勝手ながらお願い申し上げます。
1 会 費:
  弁護士A会員 月間5000円
  (当弁護団の団員は、A会員にてお願いします)
  弁護士B会員 年間2万円
  一般会員   年間1万円
  学生会員   年間5千円
2 本人の拠出:
  牛久訪問調査  1万円/1回
  仮放免等の申請 3万円
3 会費の使途:
 在日アフガニスタン難民を支える諸活動の経費に限り支出します。専従事務局の給与、交通費、通信料その他の経費はこれに含みますが、弁護士に対する報酬等は含みません。
第3 振込先
  三井住友銀行京橋支店 普通預金 7890165
  口座名義 アフガン弁護団 弁護士 生田康介
 何卒よろしくお願い申し上げます。
 なお、本件に関してお問い合わせ等ございましたら、アフガニスタン
 難民弁護団団員弁護士北村聡子(電話03−5510−3070)まで。

★ ご存知ですか? コンパニオンフラッグの運動(A.H./2002.1.24)
ご存知ですか? コンパニオンフラッグの運動

 コンパニオンフラッグ(仲間旗)という運動があります。アメリカが発信基地でひろがっています。そろそろ日の丸・君が代シーズンですが、どうしても旗を掲げるなら、コンパニオンフラッグで掲げるように運動しませんか?
 自分の国の旗の下に、共通の約束事の旗を一枚つけるだけで、ナショナリズムではなくインターナショナルな旗に大変身。以下のページで見てください。
  http://www.companionflag.org/default.htm

★アンネのバラをご存じですか?(H.H. 2002/1/23)
●アンネのバラをご存じですか?
 アンネのバラはベルギーの園芸家が、アンネ・フランクの思い出のためにと、アンネの父、オットー・フランク氏に贈った愛らしい四季咲きのバラです。蕾のときは赤く、開くにつれオレンジからピンクに変わります。
 1971年京都のクリスチャンの合唱団がイスラエル演奏旅行中にフランク氏と偶然出会い、その後の交流と友情の証として翌年のクリスマスに、フランク氏から京都の嵯峨野教会に10本のバラの苗が贈られました。その1本が翌年の春、奇跡的に花を咲かせたのが日本でのアンネのバラの起源です。 アンネのバラはその後、接ぎ木で増やされ、全国の教会、学校、平和施設等に送られています。さいたま市(旧与野市)の聖イエス会ベツレヘム教会などでも見ることができます。アンネのバラは平和と人類愛の精神を静かに語りかけてくれます。(なお、アンネのバラの関東近辺での一般公開可能な栽培地については http://www.sainokuni.ne.jp/roseanne/ をご覧下さい。)
★新潟県立高校で、大江健三郎氏講演中止 (K.I. 2002/1/21)

●新潟県立高校で、大江健三郎氏講演中止
 大江氏の講演拒否というニュースは、『新潟日報』では1月19日土曜日の社会面で大々的に報道されました。
 大江氏は、学恩のある渡辺一夫氏が三条にゆかりのある方だったことから、講演を快く引き受け、内容も渡辺一夫氏の業績を伝えるものにしたいと考えておられたようです。氏は、今回の「政治的中立に配慮を」という校長の注文が、「自分らの方針とちがうことは話すなということ」だと受け止められ、「いつも自由に話してきたものとして、講演を断念した」とのコメントを地元紙に寄せられています。
 新聞報道での校長のコメントは「大江さんがこちらの希望に答えられないということで断ってきたのだ」という態度に終始し、責任はあたかも大江氏の側にあると主張するようなもので、あきれます。
★「ガロたちのぼうけん」 上映会のお知らせ 2002/01/
1 山里のこどもインターネットTV作品集
 「ガロたちのぼうけん」 上映会のお知らせ

 都会から山村留学に来ている小学生を中心に、山里の「暮らしと自然」をこどもたちの視点で画いたビデオ作品を上映します。
−−−−−−−−−−−−− 内容 −−−−−−−−−−−−−
 四国木頭村にある山村留学センター結遊館のホームページからストリーミング(動画)放送している映像10本(各約3分)を上映。作品監督による解説。留学生の保護者・スタッフとの談話会など。
 上映されるビデオ作品は、山村留学生および地元のこどもたちが制作(撮影・編集)したものです。自然の豊かさと人情味あふれる木頭で暮らすこどもならではの視点で描かれた作品です。
こどもの元気を引き出す山里での生活を、こどもたちとその保護者の方々から直接お聞きいただける談話会も行います。
 上映会に来ていただいた方先着10名様に、ビデオ作品集「ガロたちのぼうけん」をさし上げます。(ビデオCDまたはVHS)参加は無料です。

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2002年1月27日(日) 徳島市・ふれあい健康館(徳島文理大近く)
          第4会議室 tel.088-657-0190
(1) 9:00、 (2) 10:00、 (3) 11:00〜12:00

−−−−−−−−−−−−−−問い合わせ先−−−−−−−−−−−−−−−−
北川小学校山村留学事務局 電話 08846-9-2200(9時〜17時)
              FAX 08846-9-2020
山村留学センター結遊館  電話 08846-9-2717(17時〜21時)
             Email galo_itv@mac.com
             http://www.aoba.sakura.ne.jp/~galo
 上映作品の一部を収録したビデオ作品集「ガロたちのぼうけん」(7作品収録/VideoCD)をご希望の方は、1月末までにはがきで 氏名・住所・年齢・職業(学校名)・電話番号・メール等を明記の上、「ビデオ作品集希望」と書いて〒771-6512 木頭村北川 山村留学センター結遊館までお送り下さい。後日、山村留学・体験留学(2/9〜10実施)・週末「山の自由学校・結遊館体験ステイ」の案内などと共に送らせていただきます。
尚、VHSテープをご希望の方は別途送料・ダビング料が必要ですので、はがきに「VHS希望」と明記下さい。振込用紙とともに後日お送りいたします。(VideoCD、VHSとも数に限りがありますのでその点あらかじめご了承下さい。)

2 四国・木頭村でのこどもの田舎暮らし体験
 木頭村立北川小学校という全校児童24人・教員9人の学校は、都会からの山村留学生を募集しています。2月9日〜10日には体験留学を実施します。2月4日〆切で、お問い合わせは、alo_itv@mac.com まで。

3 動画Web制作入門ビデオ
 ビデオ「こどものためのインターネット放送入門」を制作しました。
 様々な事象の1次情報の重要性が増してきた昨今、民衆が自前で映像を含めた情報発信をすることの意味は大きいと思われます。一部の情報で世界が一方に流れ行くことを防ぐためには、「情報の多様性」を確保する必要があります。無知・無理解による偏見差別、史実の誤認などを是正するためにも、当事者性を生かした記録映像(ドキュメント)を媒体(メディア)の意向(コマーシャリズム)に影響されずに配信する。
 ホームページを立ち上げている方でも、動画(ビデオ映像)はまだ少数です。しかし、Mac,Winともに作動するリアルネットワークス社のRealProducer(無料ソフト)を使えば、容易にインターネットTVにすることができます。この入門ビデオは、小学生と一緒に運営しているガロ・インターネットTV<http://www.aoba.sakura.ne.jp/~galo>から生まれました。是非参考にしていただいて、映像情報の発信をして下さい。
問い合わせ:kukulu@mac.com
★ 「日本の平和活動家への手紙」(K.K./2001.12.12)
私は、9月11日以降、主として海外のNGOにむけてPEACE LETTERS FROMJAPANESE FRIENDSを、主として日本の友人に向けてBOSTON PEACE NEWSを発行し、アメリカの報復戦争反対、国際テロ根絶、アフガン難民・人民の生活支援の運動に参加してきました。
このような私から見て日本の平和運動にひとつの疑問があります。それは、アメリカのイラクなどへの戦争拡大の動きに対して、これに反対する大きな運動が日本でつくられようとしていないのではないか、という疑問です。ブッシュが公然と戦争拡大をいい始めたのは、11月21日からです。とくに注意しなければいけないのは、戦争拡大の検討対象国として50カ国がリストアップされていること(チェニー副大統領の言明、11月17日付け『ガーディアン』)と、問題は大量破壊兵器を持っているかどうかだと言いはじめ、北朝鮮が名指しになったことです(11月27日付け『ワシントン・ポスト』)。また、ブッシュ政権は最終決定をしていないことに注意してください。日本の新聞は、この問題をあまりとりあげていないようですが、日本とアメリカの支配層は、平和運動が最も影響を受けるマスコミを操作することをつうじて平和運動に混乱をもたらすという戦術を取り始めたようですから気をつけてください(9月15日の『ニューヨーク・タイムズ』の転換と、10月9日の『朝日』の転換の軌跡は、同じでした。)アメリカの戦争拡大については、これは第三次世界大戦だ、という声が出るほど大変な問題だと思います。
今度の戦争拡大は、著しい国連憲章・国際法違反です。アメリカは自分に異を唱えるものをすべて圧殺し、アメリカの一極支配、アメリカ主導のグローバリズム・エネルギー支配を確立しようとしているのです。今度の戦争に核、生物兵器、化学兵器の危険があることは言うまでもありません。今度の戦争で新たに生み出される犠牲者のことを考えると、気が遠くなります。アメリカでは、テロリズム対策の美名の下に、人民の権利の制限が進んでいますが、警察国家は絶対にごめんです。
具体的な運動の進め方については、外国にいる私に発言する資格はありません。ただ私が外国との比較で思うのは、まず隗(かい)より始めよ、ということです。日本の平和運動は、上部の方針待ちや団体の決定待ちが多すぎるようです。アメリカでは、平和運動に参加している個人がもっといきいきとしています。それから、平和運動を進める勢力は意見の違いを乗り越えてもっと統一して運動を進めるべきではないでしょうか。アメリカの戦争拡大には、今のところアナン国連事務総長やドイツのシュレーダー外相も反対しています。だからブッシュ政権の最終決定が出ないよう、最終決定が出てもそれを実施に移さないよう運動を急ぐ必要があります。私の住んでいるボストンは、キリスト教の1グループであるクウェーカーの影響が強いところです。クウェーカーは、17世紀以来弾圧に耐えて、非暴力絶対平和主義を貫いてきました。そのクウェーカーら約500名が12月7、8日に会議を開き、アメリカの戦争拡大阻止のために全力を挙げることを決めました。日本の平和運動も世界の平和運動と連帯して大きく前進する時期が来ているようです。
★ 「9.11以後のU.S.A.」(L.Y./2001.12.12)
日本語圏でも報道されているように、9月11日に起きたペンタゴンと世界貿易センタービルの破壊を契機に、合州国内では人種差別を動機とした暴力と、さまざまな人権侵害が起きています。「反テロ対策」の名のもとに、反民主的で人権抑圧的な立法USAパトリオットが、十分な議会の審議もなく成立してしまいました。「反テロ」のために総動員された挙国一致の戦争時下で、さまざまな新たな暴力、文化的抑圧、排除、ステレオタイプ化が、法に触れることなく、ニュース・メディアが日々繰り返す「非常時だから」という理由で、当然のように見逃されています。ブッシュ大統領の「我々につくか、テロリストにつくか」という二者択一の構図からもうかがえるように、「テロリスト」は、まるで冷戦時代の「コミュニスト」に似た言葉となっています。国内外の現状に抵抗する人々を取り締まり、異質な考えをもつ人々の口を封じ、経済効率のために不要な人々を切り捨ててゆくようで、たいへん好都合な「仮想敵」の概念となっているのです。9月11日の惨事は、一般市民や非戦闘員にたいする無差別攻撃という意味では、たしかにテロ行為と呼べるものだったかもしれません。しかし、「テロ」という言葉は今、合州国の暴力と不正義の「他者」を示す言葉として用いられ、米国や日本やイスラエルなどの同盟諸大国と多国籍企業による、構造的で日常的なテロ行為を見えなくする言葉となっています。
しかもブッシュ政権が提唱する「テロリスト」たちを裁く軍事法廷では、法的審理を経るまでは無罪、という法の基本姿勢を遵守する必要はないことを、任命される前からそのネオ・ナチ的傾向が問題とされていた司法長官アシュクロフト自身が述べています。また、国家間関係の視点からなら、「テロリスト」という新たな「仮想敵」は、冷戦時の共産主義よりもさらにいっそう、米国と米国に依存する国々と経済の利益追求に役立つものであるともいえます。アメリカは冷戦時、親米的な傀儡政権をうちたてたり、隠蔽工作を行うことで世界所地域に影響を及ぼしてきました。ところがこの「新しい戦争」以降、傀儡や隠蔽の必要さえなくなってしまったとさえいえます。「テロ組織」という仮想敵を理由に、軍事力を直接行使して他国を破壊し尽くし侵略し支配することが、国際社会の積極的な支持と承認のもとに、公然と可能になったからです。アメリカはテロリスト組織をかくまっているという理由で、タリバン政権下のアフガニスタンを攻撃しました。動機は、カスピ海に貯蔵された豊かな石油だといわれています。アフガニスタンへの攻撃は、そのような前例をつくってしまったのだといえます。イスラエルがその同じ構図にしたがってパレスチナに対し殺戮を行っても、もはや国際社会は批判する力をもちません。このような意味において、「テロリズム」という言葉は、なんとかして解きほぐさねばならないのです。さて、11月29日、私たちの大学では「9.11・グロ−バル・エマージェンシーズ」と題する学内集会三回シリーズの第1回を開き、市内の大学から講師を招きお話をききました。9月末から2ヶ月かけて準備してきたもので、事件後の学内集会としては比較的遅いものでした。準備のさいに、私たちも「テロリズム」という言葉を避けることにしました。5人のパネリストの一人は、人類学者で、中央アジア、パキスタンの難民の状況を追ってきたムスリム系インド系アメリカ人女性のフマ・アーメッド・ゴッシュ氏でした。冷戦によって踏みにじられてきたアフガニスタンの近代史を手短に述べてもらい、アメリカ主導による外交政策によって「難民化」された女性たちがどのような過酷な状況におかれてきたかについて話してもらいました。彼女は、タリバン政権下の女性についてメディアが大きくとりあげてきたことについて触れ、アメリカその他のいわゆる先進工業諸国の女性たちが真にアフガニスタンの女性の「救済」を望むなら、まず何よりも自国の軍事・外交政策に変革を迫るべきではないか、ということを強く訴えました。日本語ネット圏でも早くから流れされた、息子をワールド・トレード・センターで亡くしたロドリゲス夫妻がブッシュ大統領にあてた手紙のなかで、報復によるさらなる流血を「息子の名においてけっして」行わないことを求めた一節で話が締めくくられると、会場からの拍手はしばらく静まりませんでした。また、もう一人のパネリストで、移民の人権問題を課題としている若い法学者ウィリアム・アセヴェス氏には、ほとんど議会の議論もなく通過してしまったUSAパトリオットと呼ばれる「反テロ」立法、そしてブッシュ政権が提唱する軍事裁判の仕組みが、市民的自由の制限や、米国籍をもたない市民や移住者にたいする人権侵害という点からみてどんなにひどいものであるか、手際よく整理してもらいました。また、祖父母と両親がスリランカから移住してきたという南アジア系の学部生は、9.11以降、周囲の視線や扱いが南アジア系の学生たちにたいしてどのように差別的なものにかわったか、そのことが彼らのアイデンティティをどのように強固にし、今後アメ リカ合州国の政治や歴史への批判的視座を養うことになるか、といった話をしてくれました。
 いずれも短いものでしたが、密度の濃いもので、9月の事件、そしてアフガニスタン爆撃開始からしばらく過ぎて、知識不足、情報不足が切実な実感としてあった私たちにとって、ほんとうに貴重な一時となりました。印象に残ったのは、期末試験間近というのに、水も漏らさぬ熱心さで聞き入っていた会場の緊張感でした。挙国一致ムードが先行し、メディアが「大本営化」し、大統領や政府の政策を批判することが許されない状況がつづいているなかで、どこがどうおかしいのか、いま、なぜ、何を許してはいけないのか、といったことについて、漠然とした不満や疑問としてではなく、明確な言論として公の場で共有できたことは、それだけでも大きな成果だったと信じたい思いです。冬学期には、イスラエル・パレスチナの状況と、アラブ系・ムスリム系・南アジア系の人々への人権侵害と暴力について話してもらう予定です。集会じたいは、大きな妨害もなく終えることができましたが、集会のアナウンスをしたとたん、イスラム教徒に対するヘイト・メールや、集会の趣旨を誹謗中傷するメールや、資金源を詮索し、大学が支持するべき活動ではない、と批判するメールなどが次々と送られてきました。大学側にコンタクトをとったところ、大学は即時、アカデミズムの自由、言論の自由、知識に裏付けられた議論の重要性を理由に、セキュリティ関係者を数人配置しました。こういった反動はあるていど予測していたことでした。予想外だったのは、集会の準備のためにメーリング・リストに加わってもらった信頼していた教員のなかから、これはヘイト・メールではない、傷ついてどうしてよいか迷っている人物なのだ、とか、アメリカ帝国主義を批判する言論では説得力をもたない、いま、必要なのはニューヨークの犠牲者への哀悼の意を表明することだ、といった意見が相次いで出されたことでした。もと専門デザイナーだった大学院生が作成してくれた私たちの集会のポスターには、集会の趣旨を説明するつぎのような一節がありました。「9月11日に起きた、ペンタゴンとワールド・センターとその他の場所の破壊へといたった歴史と、政治的・経済的諸状況、そしてこの事件へのさまざまな政治的・文化的な対応をさぐります。」 被害を受けたのが多くの人々が親しみを抱く「ニューヨーク」ではなく、共感を容易に呼ぶとはいえない米国の軍事的覇権の象徴であるペンタゴンと、世界の経済格差の象徴であるワールド・トレード・センターであることをはっきりと書き出したことが、琴線に触れたということがひとつにはあります。「悲劇」とか「犠牲」といった表現を用いなかったことも、反感を招いたのでしょう。それよりも問題なのは、多くの人々が、「破壊へといたった政治的・経済的諸状況」を考えるということ自体に抵抗を感じていたという事実です。このような反発が生まれる背景には、これが「アメリカ史」上はじめて起きた、非戦闘員の殺戮と、日々の生活を営む慣れ親しんだ町並みの破壊であり、「アメリカ人として」どのように正しく喪に服すべきなのかわからない、という混乱した気持ちが一方にあります。もう一方にあるのは、9.11の背景について思いをめぐらし、そこに何らかの理解と説明を加えることが、死と破壊を合理化し、正当化していることとであるかのように混同してしまう思い違いです。
9.11事件のあと、ブッシュ大統領は、「9.11に説明などいらない、答えがあるだけだ」と公言しました。10月には、復興援助の寄付のために訪れたサウディアラビアの王子アルワリード・ビン・タラルがアメリカの中東政策の再考を促した発言に対して、ジュリアーノ前市長が激しく反発する、という一幕もありました。9.11を批判的に検証することは、死者を冒涜することである、というすり替えが起きてしまっているのです。政府とメディアは、死を悼む人々の感情をこのように利用しています。そのことが言論と思考を麻痺させているのだともいえます。暴力の連鎖を断つためには何をするべきか、という問いさえ問えなくしているのです。「アメリカ」や「アメリカ人」にたいして疑問なく同一化できると感じている人たちほど、このような思考停止状態にあるともいえます。いっぽう、日本ではどうでしょう。ヒロシマ・ナガサキの被害にいたった歴史的背景について考えたり、ヒロシマ・ナガサキの惨劇について人々がその後どう対応し、どう考えてきたかを批判的に検証したりすることを、死者に対する冒涜だと考えるひとは少ないのではないでしょうか。むしろ、批判的に考えるからこそ、同じ悲劇を繰り返さないのだ、と考えるのではないでしょうか。
いっぽう、「テロリズム」との「戦争」のための本土防衛強化という名目で、事件以来、一千人を越える数の、年齢18から33歳までの中東系の若い男性たちが各所に拘留され、五千人がアル・カイダとの関係について尋問されているといわれています。拘置所では、身体的な暴力に加え、弁護士と接見する権利を剥奪されたり、信仰上ふさわしい食事を与えられないために健康を害したり、保釈金の支払いを拒否されたり、重犯罪を犯した人々と同じ扱いをうけたりしていると伝えられています。全国紙、地方紙を問わず、イスラム寺院が破壊されたり、ベールを身につけていた女性が教われたり、「アラブ人を殺せ!」といった罵詈雑言を浴びせられたり、といった事件が伝えられています。十月中旬には、期限切れビザなどの理由によって不当に長期拘留された中東系市民が、拘置所内で暴行を受けたり、十分な医療保護が与えられれずに死亡したというケースも報告されました。
9.11直後、ブッシュ大統領はイスラム寺院を訪れ、ラマダンのさいには中東系のコミュニティの指導者をホワイトハウスに呼んで日没後の食事を共にしたり、アメ リカの「新しい戦争」がイスラム教やアラブ世界を敵とするものではないことを強調してきました。大統領自身、日系人を強制収容した歴史の過ちは繰り返さない、と言明しています。しかし、移民帰化サービスの拘置所は、実質的な「強制収容所」となっているといえます。しかし、政府当局は人種差別、宗教差別はしていない、と表明するいっぽうで、現実には人種、民族、宗教だけを指標として中東系の男性を一方的に拘留したり、尋問したりしているのです。差別はいけない、という舌先の建前の表明が、暴力を防ぐどころか、逆に、現実に起きている中東系の人々に対する強制捜査や尋問や不当な拘留の事実を見えにくくしまっているのだとさえいえます。暴力は、アラブ系の市民だけにむけられているわけではありません。目に見える違いをつうじて、ブラウンな肌の人々、宗教の違う人々一般にむけられています。シーク教徒やヒスパニック系市民が、「アラブ人と間違えられて」殺害されたり、危害を加えられるケースが相次ぎました。アメリカ先住民の女性が「国に帰れ!」といって殺害されたケースも伝えられています。サンディゴでも「お返しだ!」という意味の叫びとともに、ソマリア系の女性が車にはねられるという事件がありました。アリゾナ州では、シーク教徒を男性を殺害したあと、近隣のレバノン系人とアフガン系人とを同時に襲撃する、という事件まで起きました。大学キャンパス内だけでも、9月末までに250を越える人種差別に根ざした暴力や嫌がらせが起こったと記録されています。これはあってはいけないことです。しかし、この「アイデンティティ誤認」、つまり、人種的・宗教的出自や宗教を間違われてしまうことでおきる暴力や侵害が、非暴力的で、対等で、歴史認識に根ざした、新しい国際市民社会の構築にむけて、新しい連帯と共感を生み出していることも事実なのです。このような偏見や差別が、逆境と苦悩をつうじて、思いがけない連帯の可能性を生んでいることを、日本語圏の皆さんにお伝えしておきたいと思います。
これまで中東系や南アジア系の市民には、合州国の移民政策の性格から、専門職をもった比較的経済的に安定した背景の人々が大部分を占め、アフリカ系市民やヒスパニック系市民の公民権運動や、移民の人権問題や、レイシズムに根ざした構造的不均衡の是正を求める活動、といった取り組みには、必ずしも深い共感を示してこなかったといわれています。階級によって諸権利が保障されてきたという点で、中東系や南アジア系の市民は、白人でキリスト教徒でブルジョアで核家族、という「アメリカ」の規範から自分たちがずれていることにあまり敏感ではなく、これらの問題について自らを政治的に動員することはけっして多くなかった、といわれています。中東や南アジア地域の国家情勢そのものもまた、米国内でのコミュニティ形成、エスニシティー関係に影を落とし、人種や地域をつうじての連帯よりも、むしろ国家や民族を機軸とした反目や対立がみられました。しかし、9.11以後、アメリカ社会のなかで肌の色の違い、宗教の違い、アクセントの違い、といったマーキングによって「非国民」と一括され、差別を経験する人々が増えています。そのことによって、中東系、南・中央アジア系のコミュニティ内部だけでなく、他の「色づけされた」マイノ リティとの結びつきが強まっていることがうかがえます。バークレーでは、移民労働者問題や内なる第三世界問題に関わってきたヒスパニック系の学生とアラブ系、ムスリム系の学生たちがともにベールをまとって連帯の意を表明する、というパフォーマンスを行いました。現在起きている公民権剥奪の問題と、移民や第三世界問題との連携は、合州国内での権利主張が、じつは世界における米国の特権によって守られたものであるという批判もまた、明らかにしてくれるのです。
そしてこの共感と連帯は、自分や祖先が後にしてきたはずの土地までへも向けられています。9.11後、シーク教徒たちがつづけて襲撃されたことをうけて、インド政府はアメリカ政府にたいして、シーク教徒の安全の保障をもとめました。これにたいして、在米シーク教徒の団体はつぎのような回答をしました。彼らはインド政府に謝意を表明する一方で、インド国内のマイノリティであるイスラム教徒の安全を保障するように、と要請したのです。仮に反中国感情が高まって、在米日本人たちが、「中国人と間違えられて」暴行をうけたりしたとき、在米日本人諸団体は日本政府に対して、たとえば日本国内の在日外国人の人権侵害をやめるように、と毅然とした態度を表明することがあるでしょうか。ぜひそうあってほしいと思います。いっぽう、とりわけ東アジア系市民のなかでは、アメリカ合州国という国家による暴力や選別・序列化の歴史のなかで、中東系、中央、南アジア系の人々たちとの共通の位置を確認する、という、時を超えた連帯が生まれています。
9.11事件直後、政治家やメディアが一斉に「パール・ハーバー」に言及したことから、まっさきに危機を直感したのは、間違いなく日系市民でした。9月末、ロサンゼルスのリトル・トウキョウでは、日系市民が中心となってムスリム系・アラブ系市民との連帯を表明する集まりがありました。日系アメリカ市民リーグは9.11直後に中東系市民への迫害や人種偏見への警告を促し、9月末発刊の新聞では、アラブ系市民の強制収容の危険を問う記事を組み、また、反アラブ感情に根ざした非白人市民への暴力的犯罪の数々を伝え、読者の関心をたかめました。より最近、ラマダン明けには、第2次大戦時に仏教徒であるために受けた人権侵害や差別を思いだし、今日のイスラム教徒への偏見と不当な扱いをなくそうと、仏教会とイスラム教会と合同の集まりが開かれたりしています。
政府やメディアにとって、9.11後の脈絡で日本軍による真珠湾攻撃を連想することは、いま、ブッシュ政権が行っていることを正当化し、批判的な言説を管理するうえでたいへんな有効な威力を発揮しています。それは、反ファシズムという「よい戦争」、正義の聖戦だった第二次世界大戦を思いだし、開戦布告のない不当な攻撃に対して挙国一致団結すれば、敵に勝利し、世界を自由と繁栄に導けるのだ、という二十世紀アメリカの世界支配の物語をくりかえすためには格好のプロットなのです。(いっぽう、「テロリズム」に対する戦争を言論弾圧をともなった「冷戦」と結びつけること、アフガニスタンへの爆撃を泥沼化した「ベトナム戦争」と結びつけることとは、入念に避けられているといえます。)また、9.11の「テロ」と同様に、真珠湾奇襲は説明抜きに「悪」であって、そこに至った背景など一切考えなくていいのだ、という、これまで流布してきた歴史の常識も、9.11の批判的な省察を避けるうえで役立っているのだといえます。
しかし、政府やメディアにとって、「9.11が真珠湾と同じだ」、ということが、「アメリカが戦争によって悪を克服した」、というよい物語を述べることであるとすれば、日系やコリアン、中国系、ベトナム系のアジア系市民の多くにとっては、パール・ハーバー直後に起きた、合州国政府の手による凄まじい人権蹂躙と、今日も続くアジア人敵視・蔑視の歴史を思い出させることでもあるのです。「9.11はパール・ハーバーだ」と力説されるたびに、いま、ここで起きている、自分たちと同じ位置におかれた非白人で非キリスト教徒の市民に対する不当な暴力と権利剥奪を、そして家族が祖先が後にしてきた国々で合州国が行ってきた数々の殺戮と破壊を、連想せずにはいられない人々が、この国に少なからずいるのです。在米シーク教徒たちは、「アラブ人と間違われて」襲われるとき、自分たちはアラブ人ではない、といって身を守ることはしていはいけない、それはアラブ人への暴力を正当化してしまうから、という見解を表明したといわれています。パール・ハーバー以降、日系人が襲われ、強制連行されたとき、中国系やコリアン系の東アジア人を区別するためにアメリカ政府はパンフレットを発行しました。自分たちは日本人ではない、日本の侵略と破壊の被害者なのだ、アメリカの味方だ、といって身を守った人々も大勢いました。同時に、どんなに努力して自ら日本人と区別しようとしても、アメリカ社会の差別の構造が変革されないかぎり「アイデンティティ誤認」はなくならない、したがって、非白人に対する暴力はなくならないことを、アジア系市民の多くは、戦争が終わった後もずっと身をもって学んでもきたのです。ここでもやはり、時間と空間を超えて、人種化をめぐる連帯と共感が生まれています。
「私たちは移民と難民と奴隷からなるネーション。私たちは、地球の隅々にある私たちのルーツを忘れない。そしてこの地での長きにわたる自由のための私たちの闘いも!」 ある路上デモで掲げられたプラカードが、ラディカル・アジアン・アメリカンのウェブサイトの冒頭に掲載されています。アメリカ国内における「自由のための闘い」を思い起こすことと、「移民と難民と奴隷」を生んだ合州国の侵略と殺戮の歴史を批判的に省察することとが連なっているのです。ここにあるのは、公民権運動を国民化の運動にしてしまうことのできない記憶の作用です。合州国はいま、非常事態下にあります。しかし思想家ベンヤミンがいったように、植民地下や警察国家のもと、人種や宗教やジェンダーや階級によるさまざまな抑圧と排除を経験する多くの人々にとって、非常事態下に生きることはなにも特別なことではないのです。この過酷な「新しい戦争」下の非常事態が、より多くの人々に自分たちがじつはこれまでも非常事態下にいたことを気づかせ、危機を好機とかえてゆける力を互いに養いあってゆく可能性を秘めていることを、信じたいものです。
★ 歴史教科書「欠陥」品に国費を使うな」(2001/12/08)
 「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学歴史教科書が、東京都と愛媛県の教育委員会で採択され、来春からそれぞれの管轄下にある養護学校で使われることになった。
 愛媛県では、これに反対する団体や個人が「子供たちに安心して手渡せる教科書を求める署名連絡会」を10月に結成し、『新しい歴史教科書』(扶桑社)の「採択を取り消して再審議を求める請願書」を県教委に提出すべく、全県的な署名活動を始めた。
 ところで、義務教育学校で使う教科書は教科書無償措置法によって政府が国費で買い上げ、義務教育の児童生徒に無償配布される。この扶桑社版教科書にも国費が支出される。これを納税者として見過ごしてよいのであろうか。
 この教科書に対しては、6月に史学会、歴史学研究会、日本史研究会、地方史研究協議会など21の関係学会が「教育の場に持ち込まれることに反対する」と緊急アピールを出した。
 その理由として、@基本的な史実に関する誤認や、これまでの研究成果を踏まえない記述が数多く見られるA中国・朝鮮に対する蔑視B近現代史の記述が日本のアジア侵略を正当化する論調で貫かれている、といった点をあげ、さらに50数カ所に及ぶ「初歩的な誤り」を列挙した。
 これは、あくまでも「初歩的な誤り」であって、専門的には数え切れないほどの誤記が散見される。私が専門とする近代について見ると、例えば1871(明治4)年の「廃藩置県」について、『新しい歴史教科書』には、「東京に滞在していた藩主56人を江戸城に集め」と書かれている。しかし、版籍奉還後であるから、「藩主」ではなく「藩知事(知藩事)」であり、「江戸城」も東京城と改称され、天皇が移り住んでから一般的には「宮中」と呼ばれていた。
 さらに、「五箇条の誓文」に関していうと、第1条の「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」から、「立憲政治の確立を国の根本方針として」と述べるが、これは「五箇条の誓文」が作成された歴史的過程を全く無視した見解である。史実に対する粗雑な態度は、ほかにも見られる。
 愛媛県では、2年後に開校する県立の中高一貫学校で使わせようという動きも出ている。「欠陥商品」の教科書に、国民の税金を使うべきではない。
★「飢餓と戦火のアフガニスタン」中村哲医師の東京講演会感想(2001/11/18)
●「飢餓と戦火のアフガニスタン」中村哲医師の東京講演会感想
 開演前に「イマジン」の流れる会場は定員680名のホール、通路までも満員、果てはステージ上にもたくさんの人が座りこみ中村医師を「包囲」するということになりました。それでも入りきれず、お帰り願った人がたくさんでたと主催者は言っていました。帰宅して、福岡での講演内容とつきあわせてみましたところ、構成は変わっていませんが、「その後」がおりまぜられていました。「その後」のみ以下報告します。なお順序など少し整理させてもらいました。

*現在のアフガニスタン報道に注意を!
 報道では、正義のアメリカ、悪のタリバーンという図式で描かれており、これはフィクションであり、注意を要する。タリバーンの情報も流していた放送局が爆撃された意味を考えるべきだ。

 カブールをタリバーンが一夜にして撤退後、北部同盟が入って「自由」になった、店には野菜も豊富、ドレスも売られるようになったと報道されているが、どう見てもおかしい。私がいた頃のタリーバン支配下でも野菜やドレスは売られていた(笑)。露店には豊富に品物があり、象印のマホービンやテレビまであった。タリバンによる規制も緩んでいて、タリバーン兵士も妻のためかハイヒールを買っていたし、テレビが禁止されていたといっても、タリバーンの司令官もみていた。もっとも電力を使えるのは国民の2〜3%にすぎない。
 
 アフガニスタンの人々は国家統一が悲願である。市民は、タリバーン支配による窮屈さを感じながらも、平和な秩序を歓迎していた。なぜなら北部同盟を構成する諸派は、1992-96年の内戦で、虐殺・略奪・強姦のかぎりをつくし、カーブル市民5万人を殺害している。
 ペシャワール会は今月13日までカブールで小麦粉配給の支援を行い、その後、カブールを撤退したが、3日前にスタッフから電話連絡があった。その話によると、「タリバーンと協力者、また協力者と思われるものが虐殺されている。額に五寸くぎを打ちこまれた首300個も見た。道には「数千」の死体があった。パシュツン人は虐殺を恐れて東へ逃げている」とのことだった。「数千」の死体というのは、興奮していると多く見えるものだから、たぶん「数百」だろう。
 日本のメディアは、カブール市民が「解放軍」を迎えているように報道しているが嘘があり、とんでもない誤解をあたえる。ちょうど日本軍が南京に入った時に住民が日の丸で迎えたというが、そうしないといじめられるからである。

*子どもたちの笑顔
 このスライドの子どもたちは栄養失調である。しかし、その笑顔は活き活きとして
いる。日本人のほうが暗い顔をしている。もてばもつほど人間の顔は暗くなる。
 なぜ最貧国を、あのように先進国は攻めるのか。もっているから失わないようにするためである。
 アフガニスタンの子どもたちの笑顔、何ももっていなことからくる楽天性に希望をみいだしたい。

*終わりのはじまり
 このように話すと、中村はタリバーン派か、政治的だ、といわれる。しかし、私はタリバーンがくる前からいた(笑)。政治的というが、私は前から変わっていない。かえって日本に帰って来てびっくりしている。まるで日本人全体が熱にうなされ、宇宙戦士ガンダムみたいになっていた。
 日本の軍隊が出ていくというの大変なことであるのに、いとも簡単に出ていくことになった。政治的なのは、この日本の方である。
 私は現地にいて、つくりあげられたフィクションから自由でいられた。コンピューターの画像の中にではなく、憎しみ、悲しみ、人間らしい人々のいきづかいのなかにこそ真実をみたい。今の熱にうなされたような事態を決定するのは皆さん自身である。
 失ってはいけないもの、失ってよいもの、それを考えるヒントを与えてくれるのがアフガニスタンである。

追伸:◆東京講演会実行委員会では、この講演のVTRを販売し(送料込みで2000円)、収益はぺシャワール会を通じた支援金とするそうです。申込書を提出してしまいましたので、実行委員会の連絡先を記しておきます。関心のある方は問い合わせてみてください。
 連絡先:労働者住民医療機関連絡会議 
       03−3636−2371
      NPO法人東京労働安全衛生センター
       03−3683−9765 

★戦争とはこういうものなのだ(2001/10/23)
 飯田橋駅隣りのセントラルプラザという所で「アフガニスタン女性と子どもの写真展」というのをやっていました。どなたも写真展を見るときには、まず最初にぐるっと回ってみてから、一枚一枚をじっくりと眺める、という見方をされるかと思いますが、今回私は、最初から足が止まってしまいました。
どの写真を見ても、心動かされるというか、何枚目かで不覚にも涙がこぼれそうになってしまいました。この種の写真には最近慣れっこになっているつもり(内心ではこういうものに慣れてしまうのは、いけない事だと思いつつ)だったのですが……。うまく気持ちをお伝えできません。

ここでは「戦争とはこういうものなのだ」という一言で片づけるしかない、自分の文章力の無さに情けなくなります。

つまり戦争とは、街角で物乞いをする女性であり、ゴミ拾いで生計を立てる幼児であり、仮設トイレの周りに散乱する排泄物であり、「気が狂った」少年であり、地平線の彼方まで続く無数のビニールテントであり…。

これでは仕方がないので、つたない私の文章ではなく、参観された方の感想文を記してあるノートの中から、私の心に一番響いた言葉を、一つ紹介したいと思います。

「糸を紡ぐ人、織物をする人、テントの中に敷かれた赤い敷物
 刺しゅうのある民族衣装、それぞれに伝え、残すべき文化と技術なのに
 戦いは全てのものを奪おうとするのですね。
 IT技術がもてはやされる21世紀なのに、過去の戦争の時と
 変わらない、戦いに巻き込まれた人々の姿。
 私たちは何を学び、培ってきたのか」

最後の一文には、深く考えさせられました。
★《殺される側》から考えることについて(2001/10/23)
●《殺される側》から考えることについて(2001/10/23)
ベトナム戦争は、一九六五年から七五年まで十年間つづいた。六五年は、私が二十歳(はたち)になった年だから、あの戦争は、私が三十歳になるまでつづいたのだ。ほんとうに長い長い戦争で、その間私は、ほとんど反戦市民運動に明け暮れていた。米脱走兵の援助活動など、緊張することも少なくなかった。しかしそれでも、私の内部で〈戦争〉に慣れていく傾向が徐々に生じていったことを告白する。
 昨今の状況とは違い、当時のマスメディアは、〈戦争〉をわりに複眼的に報道していた。だから私は日々〈戦争〉を意識していた・・・・、はずだ。在日ベトナム人留学生たち(その多くが、南ベトナムの米国の傀儡〔カイライ〕政権から死刑や重禁錮の刑を宣告されていた)とのつきあいも、生活のレベルで日々つづいたのだから、ベトナム戦争は、私にとって決して「遠い戦争」ではなかった。

 しかし〈戦争〉があれだけ長くつづくと、〈戦争〉との内面の緊張がゆるんでくる。そうであってはいけない、と思っていても、心のどこかで〈戦争への慣れ〉が生じてしまうのだ。
 十月八日、米英軍がアフガニスタンへの空爆を始めたとき、私はひどく憤激したが、同時にベトナム戦争がつづいていた頃、私の心に生まれた〈戦争への慣れ〉を思い出した。
 九一年の湾岸戦争は、米軍を中心とする多国籍軍のイラクへの圧倒的な攻勢によって、クウェートからイラク軍が一掃されて、停戦が成立し、ごく短期間で終結した戦争だった。といってもフセインは健在である。それゆえ米英両国は、現在もなお、イラク上空にイラク軍機の「飛行禁止区域」を勝手に設定している。それは明白な国際法違反だが、そればかりか、監視飛行をつづける米英軍機をイラクがレーダーで追跡したなどという口実で、空爆をつづけているのだ。イラクの民衆にとって、湾岸戦争はまだ終わっていない。

 だが私たちの多くは、その現実を忘れ、湾岸戦争を過去のことにしているのではあるまいか。イラクへの空爆が、新聞の国際面に断続的に登場しているにもかかわらず。今もつづく米英軍によるイラクへの空爆は、イスラエル政府によるパレスチナ住民の虐殺の継続とともに、九月十一日に米国で起きたテロの背景である。そこを忘れたら、眼前の事態の原因が理解できない。
 ブッシュ政権がアフガニスタンに対して現在やっていることは、テロへの軍事報復であり、国際法で禁じられている「武力復仇(ふっきゅう)」である。だから、これを戦争と呼ぶことがいいかどうか迷うが、とりあえずカッコ付きで「アフガン戦争」という表現を用いよう。

 さてこの「アフガン戦争」がどうなっていくのかは、当のブッシュも含めて、おそらく誰にも分からない。ブッシュは、「アメリカの新しい戦争」が十年つづくこともありうると公言し、米国民に忍耐を要求しているが、米経済は後退するばかりだ。「アフガン戦争」が長引けば、米国内の貧しい人びは、いよいよ苦しむことになろう。
 話を私自身のことに戻すと、「アフガン戦争」が長期化するとすれば、私は自分の内面に生まれるだろう〈戦争への慣れ〉に抵抗しなければならない。かつての自分を顧みれば、率直にいって、それは困難な試みだ。だが前回の轍(てつ)は、もう踏みたくない。
日本の敗戦の少し前に生まれたので、子どもの頃、朝鮮戦争があった。いわゆる青春時代は、丸ごとベトナム戦争の時代だった。四〇代の半ばを越えた頃、八年に及ぶ療養の最後の時期を、私はメキシコで過ごしていた。そのとき、同国と国境を接する北の大国が、イラクに戦争を仕掛けた。湾岸戦争である。私は、首都・メキシコ市で繰り返される反戦デモに、連日参加した。それが災いして、ついに脳梗塞で倒れ、左半身マヒの障害とつきあうことになったのだが、そのことを後悔しているわけではない。 今また「アフガン戦争」! それがいまいましいのだ。もういい加減にしろ、生きているうちに何度〈戦争〉につきあわねばならぬのかという思いにさいなまれる。だがこうなれば、いよいよ反戦の思いを実現したい。
 では、どうやって志を持続するか。問題を繰り返し《殺される側》から考えることが必要だ。たとえば「空爆」という軍事用語は、《殺される側》にとっては、「空襲」に他ならない。そういう視点の転換が不可欠なのだ。

 ベトナム戦争が始まった頃、米国民でベトナムの位置を正確にいえる人は、ごく少数だったという。それはヒトゴトではない。私自身、アフガニスタンの《殺される側》の人びとについて、どれほどのことを知っているか。
 ごく最近のことだが、アフガン難民とパキスタンの貧しい人びとを対象に、もう十七年間も医療活動をつづけているNGO、「ペシャワール会」の中村哲医師の談話を新聞で読んだ。また彼が福岡の予備校で若者たちに語りかけたスピーチを収録したビデオを観る機会を得た。人柄にも実践にも深い感銘を受けたが、アフガニスタンの民衆の現状についての彼の証言には、まさに目からうろこが落ちる思いがした。
 パレスチナ問題については、ありがたいことに身近に優れた専門家たちがいる。米国政府の中東政策に対しても、批判的な目を持っているつもりだった。だが、アフガニスタンのふつうの人びとのこと、その暮らし、その思いには、まったく触れようとしてこなかった。
 地球の温暖化のせいで、アフガニスタンの国土の大部分を覆うヒンズークシ山脈に大きな異変が起きている。三千メートル級の山でも雪が少なくなり、雪線が年々上昇している。そのため雪解け水が激減し、農業が打撃を受けている。そのうえ同国は昨年来、大規模な干ばつに見舞われている。  
 旧ソ連軍の侵攻(一九七九年)と撤退(八九年)、ナジブラ親ソ政権の崩壊(九二年)とその後の内戦によって、アフガン民衆の疲弊と困窮は極点に達したが、そこに自然災害が追い打ちをかけているのである。

 米英軍は、そんな状況に置かれているアフガン民衆に、トマホーク・ミサイルをぶち込み、爆弾、機銃弾の雨を降らせているのである。中村医師によれば、アフガニスタンでは、幾多の民族が山岳地帯に割拠して住み、それぞれが自治を行なっていて、大事なことはジルガという長老会が決める。各長老会は、「パンと水と平和」を保障してくれるなら、どの政権でもかまわないという姿勢で、タリバンの支配を受け入れている。しかし空襲で住民が殺されつづけているので、反米感情が次第に盛り上がってきているという。

 いわゆる「同時多発テロ」の主犯が、ウサマ・ビンラーディン氏であるかどうかについて、米国政府の一方的な決めつけを信じるのは間違いである。あのテロ犯罪は、あくまで国際的な司法の場で裁かれるべきである。ところが、被疑者を逮捕しても、明確な証拠を提出できないなら、かえって米国政府が窮地に立つという声が、ブッシュ政権の内部にさえあるのである。 
 しかし仮に米国政府の言い分が正しいとしても、アフガニスタンの民衆一人ひとりに、どのような罪があるというのか。テロ犯罪に何の関係もない人びとを空爆で殺戮することが、どうして許されるのか。十月二十日付『産経新聞』朝刊によれば、「米軍の軍事作戦は、現地時間の十九日も続けられた。金曜日はイスラム教の休日にあたり、先週十二日は空爆が中断されたが、この日は前日からの攻撃が続行され、市街地への爆撃も行われた。首都カブールでは十九日未明に米軍機が計四発の爆弾を投下した。このうち一発は市内南西部にある同市最大級のインターコンチネンタル・ホテルの裏で爆発した。カンダハルでは宗教警察本部に隣接する広場や、市場に爆弾が投下されたとの報道もある。米国は、これまで市街地への爆撃は避けていたが、タリバンやアルカーイダの要人が都市内に逃げ込んだとの情報があることから攻撃対象を拡大したとみられる」。無差別殺戮の焦土(しょうど)作戦が、ついに始まったのだ。

 ベトナムでもそうだった。なんの罪もない民衆が、「ベトコン」(ベトナム南部解放民族戦線に対する米軍側の蔑称)やその同調者と決めつけられて、殺されていったのだ。ソンミ村やミライ村で起きた虐殺が、あちこちで繰り返された。侵略者である米軍兵士には、ベトナム人の誰もが、どこに潜みいつ襲ってくるか分からない「ベトコン」に見える。だから無差別に殺した。
 ましてアフガニスタンへの空爆は、人の顔がまったく見えない高高度からの攻撃であ
る。誤爆も正爆もあったものではない。ブッシュ政権は、ごく一部について、誤爆を正
式に認めているが、被害者への謝罪や補償は、おくびにも出さない。現在参議院で審議されている「テロ対策特別措置法案」が成立すれば、アフガン民衆を殺している米軍の武器・弾薬を、自衛隊が、インド洋の米軍基地(英領ディエゴガルシア島)やパキスタンに輸送する。自衛隊が、アフガン民衆の殺戮に荷担するのだ。しかも、周辺事態法にある「後方」などはるかに踏み越えて、自衛隊が「外国の領域」で活動できるようになるのだから、陸上自衛隊や海上自衛隊の隊員たちが、パキスタンで傷病米兵やアフガン難民の治療に従事することもありうる。しかしながら、米英のアフガン攻撃を支援する自衛隊に対して、アフガン難民やパキスタン民衆の怒りが爆発しないという保証はない。自衛隊員たちが襲撃されたとき、誰が敵で誰が味方であるか、個々の自衛隊員に見分けがつくだろうか。ベトナムで米軍がやったことを、自衛隊がパキスタンで繰り返すことになるのではないか。
 「テロ対策特措法案」が成立すれば、戦時に自衛隊が海外に送られる。憲法第九条を
踏みにじって、「集団的自衛権」が行使されるのだ。
 自衛隊員に「戦争に行くな、戦争で死ぬな、参戦を拒否しよう」と呼びかけよう。
 ブッシュの国家テロをやめさせ、自衛隊の参戦を阻止しよう。
 今こそ、声をあげるときだ。
★在日アフガン人の声(2001/10/23)
 10月14日島田市在住のアフガニスタン人医師レシャード・カレットさんの講演 会に参加した。ゴミ問題とはテーマが異なるかもしれないが、レシャードさんの講演の最後の言葉を聞いて、これはと思い今回取り上げた。以下は講演の私なりの要約である。

テロも報復も正当化できない!平和のための行動を!日本の子供達には「自分の捨てようするものが人の役に立つ事」と「もったいないと いう気持ち」を伝えてあげたいと思う。

●不幸な位置に存在するアフガニスタン
 シルクロードの十字路、三叉路として歴史的に重要な戦略的位置にアフガニスタン は存在していた。ロシアと面する地域を確保するために、イギリスはアフガニスタン に3回派兵したが失敗に終わった。だが、その侵攻によってアフガニスタン南部はイ ンド(パキスタン)側とに二分割され、それ以来同じ民族が分割されてしまった。
パ キスタン人がアフガニスタンに親近感を覚えるのは同一民族だからである。しかし、 1919年独立以後、アフガニスタンは、2回の世界大戦でもずっと中立を守った平 和な国だった。
 ところが、1979年12月27日、インド洋を目指しソ連が10万の軍隊でアフ ガニスタンに侵攻し、10年間で百万から百五十万人が殺された。その時ソ連に対し てジハード(聖戦)が起こり、アメリカはソ連に対抗するために武器と弾薬、お金を 与え、CIAの訓練所まで作った。オサマビンラディンはその訓練生の一人だった。
双方から利用され、都合の良い時に武器を与えられ、戦わさせられた不幸な民族なのだ。 
 アフガニスタンは3分の1が約3千メートル以上の山々、3分の1が平坦な緑の多 い土地、3分の1が沙漠、万年雪の山々からの豊かな水、温暖な気候で麦が豊富に取 れ、それらの農産物で人々は十分に生活できたほどの農業国だった。私は実はカンダハール出身。子供の頃、カンダハールは水が豊富で緑が豊かな所だっ た。ぶどうだけでも59種類、ざくろ、桃、ナシ、りんご、すいか等あらゆる果物が とれ、大変安かった。無農薬の野菜、とれたての麦パンがおいしかったことが思い出 される。

 イスラム教にはスンニとシーア派の2つある。私の家はスンニ派で、シーア派の町 の中にありながら、1回もその子供達にいじめられた覚えがない。それだけ仲良く暮 らし、共に貧しいけれども心の豊かな生活をしてきた思い出がある。

●ソ連侵攻・内戦による荒廃と悲劇
 ソ連の侵攻以来、山が焼かれ、大量に枯葉剤がまかれ(ベトナム戦争と同じ作戦)、世界で地雷がもっとも多い国(千万個以上)になり、農業ができなくなってし まった。特に最近3年間の大干ばつで一滴も雨が降らない。だから、緑多き国が砂漠 化している。
 アフガニスタンは今、5歩歩けば一個の地雷にあたるくらいの瓦礫と地雷の山だ。 10人中、2〜3人は手、足、目が無い。タリバンのリーダーであるオマルも戦争で 片目を失っている。結局はすべて戦争・地雷の犠牲者だ。アメリカの誤爆でNGOが やられたが、それは地雷を除去するNGOだった。「私たちまで避難すれば、この国 に残って誰が地雷除去をやれるだろうか」と残ってみたが、案の定犠牲になってし まった。

●想像を絶する貧困
 97年〜98年の年始めに世界保健機構の仕事でアフガニスタンに行った時、零下10度のカブール市内に30cmの雪が降っていた。町全体が瓦礫の山。その寒さの中で薄いシャツ一枚で裸足の小さな子供達が物乞いしていた。食事を終えてレストラン から出た時、外で待っていた約十人の子供達が、「食べ物の残りものはないですか?」。レストランの中に戻ってみると、従業員がお客の残飯を必死で食べているのを見た。「何も残ってなかった。少しお金あげるから」と言うと、子供達は「おじさん、お金ではお腹ふくれない。今はどこでもモノは買えない」と言われた。
 難民キャンプにできるだけの薬を買って80キロ位を背負って行っても、薬は三
日と持たないくらい、みんな病気だ。砂漠は昼間40度、夜0度。一枚の薄いテントの中で家族8〜10人がいっしょに毛布一枚で生活している。だから年寄りや子供はどんどん死んでいく。アフガニスタンの人口が2600万人と言われるが、現実2000万もいないだろう。20%の子供が1歳までに、20%は5歳までに死ぬ。平均寿命もたった46歳にしかすぎない。
 パキスタンとの国境周辺に今難民があふれている。先日テレビのインタビューである難民が「…パキスタンの国境警察に千ルピーポケットに入れたら、国境を通れた…」と発言していた。結局は何でも金次第ということだが、それは避難できる=難民になれる人は、余力・お金を持っている人々という意味だ。難民になれる人はまだ幸せな方で、余力も生活の場もない、避難できない人々が実はもっと多くいる。

●誰が戦争に駆り立てているか?
 ある難民キャンプで年寄達に「子供達に人殺しは止めるように、話しをしてもらいたい」と頼まれ、18〜20歳くらいの子供達に平和が大事なことなどいろんな話しをした。しかし、彼らはどうも納得いかない様子。「私達が物心ついた頃から、お父さんも叔父さんもお祖父さんもみんな銃を持って、敵と戦い、人を殺せば英雄扱いされて戻ってきた。それを見て育った私達が同じ事をやっているだけだ。何故彼らは英雄視されて、私達が悪いと言われるのかわからない」と言う。教育がそこまで悲惨なものになっていて、子供達が武器の中で生きて育って、大人になった。生活そのものが平和を知らないという悲劇だ。
 今アメリカはできるたけ地上戦を避けようとしている。タリバンがステンガーという近代兵器を持っているので犠牲が出るのがイヤだからだ。しかし、その武器はどこの製造なのか?誰が与えたものなのか?都合が悪くなったら平気で見捨て、殺してしまう。そんなことでいいのか?!
 誤爆で155人が一つの村で死んだ。その犠牲者のほとんどが、子供、年寄、女性という弱者である。戦争は正しいはずがない。「何故イスラムの、あるいは中東の人達がアメリカに敵対心を持っているか?」を考えてみるべきだろう。
 イランを潰すためにイラクのフセイン大統領を育てた。しかし、それが脅威になったら潰そうとする。結局今度もまた自分で育てたタリバンを潰しにかからなければならない。たいへん皮肉な事である。

●何故この時期にこのテロが起きたか
 地球温暖化防止のための京都宣言にも頑なに反対する。南アフリカの人権問題の会議で、イスラエルを批判するからということでアメリカとイスラエルは会議からボイコットした。それに対する反発か、何日間か何週間後にあのテロ事件が起こってしまった。結局、アメリカは人の感情を重要に考えていない。アメリカスタンダードがすべての世界を支配するのが当たり前という時代は終わった。日本の文化がいちいちアメリカ式になる必要がないように、アフガニスタンには独自の習慣や宗教があり、そこしかできない状況条件にあった文化・生活をしている。全部が全部アメリカ式でなければならないはずがない。結局アメリカの傲慢な態度が問題だ。

●何故国民がタリバンを支持するのか
 アフガニスタン侵攻の戦略として、ソ連はそれまで平和に共に暮らして部族間にしみとか争い事を作ってしまった。今回、アメリカも又同じことをしている。アメリカは軍事的には必ず勝利する。でも残されたアフガニスタンの民衆は、又何十年も憎しみと争いを続けなければならないだろう。
 今アフガニスタンのカブールにいる私の両親が、日本を訪れた時のこと。風でパッーンとドアが強く閉まった音を聞いて、とっさにお父さんが机の下にもぐってしまった。「どうしたの?」と聞いたら、「あっ!そうだ。ここは日本だ。銃声でないんだ。」と答えた。ドアが強く閉まる音でさえも、銃声に聞こえ「また命の狙われている!」と勘違いするような生活をアフガニスタンではしているというエピソードだ。
 その平和が失われたアフガニスタンでソ連侵攻後の平和を自分達の手で守るしか
ないということで、タリバン(神学生・学生たちという意味)が立ち上がった。パキスタンやアメリカは「これなら使える」とどんどん戦争を煽り立て、結果的に、タリバンが戦いに勝利していく。タリバンは征服した所々で住民から武器を取り上げた。そのおかげで、お互いの小競り合い=殺し合いが減り、みんが安心して眠れるようになった。経済的な問題があろうとタリバンによって一時的にも平和が築かれたことがタリバンの民衆による支持の大きな理由である。

●タリバンにどう対応すべきか?
 平和を築いたタリバンも人の子。外からお金や武器がどんどんつぎ込まれれば、欲が出て、膨大化する。そうしてだんだん過激派になっていった。タリバンの普通の兵士は未だにアメリカが人工衛星でアフガニスタンを監視している事すら知らない。ただの無知な民衆にしかすぎない。

 アフガニスタンでは20年以上の戦争の中ですべてが無になってしまい、民衆の暮らしそのものが精一杯であるのが事実だ。失うものが何にも無くなってしまうと脅しがきかない。原理主義はイスラム教の中の小さな一派にすぎない。全部が全部タリバンそのものではない。一部の指導者に踊らされているだけである。悪と戦うというアメリカの今の姿勢は、アフガニスタンの国民にとって、自分達がすべて悪と見なされるようで大変心外なのである。

 バーミャの仏像が打ち壊された事件があった。しかし、カブールの博物館でその仏像の重要なものが売られている。それも3分の1が日本でも売られて、よい商売になっているという。表向き原理主義的なものだが、裏では金を稼いでいる人もいるのが事件の背景だ。

 報復をすることで解決することはできない。復讐すれば、次のテロを生むだけである。まだ遅くないから、タリバンを孤立させないように非難と同時に「こっちの方はどうだね」というぐらい柔軟な方が、一番効果がある。

●期待される日本の役割
 先進国の中でアフガニスタンに最も信頼・頼りにされている国は実は日本だ。私自身が聞いた話しでは、タリバンが同じアジアの仲間として「日本が仲介に入ってくれないか」と期待して待っていたという。
 日本の政治家は各部族のリーダーとちゃんとチャンネルを持っている。日本こそが平和を実感できる国であることをみんなが噛み締め、原爆で10万人も死んだことを知っている年代がまだいる間に、平和のために貢献することは大変重要だと思う。常々日本の国は難民支援も含め、国際貢献のためにたくさんのお金を出しているが、日本でも現地でも日本がこれだけやってくれていることはほとんど知られていない。
「Show the flag」とは、平和の中にある日本の「平和のための貢献と姿勢」というフラッグを示すことだと思う。

●日本の子供達にもできること
 アフガニスタンの子供達に「頑張れよ」という心のエールを送ってもらいたい。もちろん、平和を訴えて戦争を止めることが子供達にとって一番良いプレゼントになる。
 数年前、訪れたカンダハールで、学校が爆撃で無くなってしまっていたが、屋根がない部屋が一つだけ残されていた。子供達が地面に座って、地面に字を書いては消して勉強していた。それを見てパキスタンまで戻り、ノートと鉛筆を5千個づつ買い配ったことがある。子供たちが泣きそうな顔して、「久しぶりに見るペンと白い紙だなあ」と言って喜んでくれた。21年間も教育も受けないで生きている子供達のことを考えるとたいへんつらい。教育のためにまず必要なのは本やペンやノートだ。
 日本の子供達は鉛筆を最後まで使う事がなくなって、途中までの鉛筆を平気で捨てる。そういう使い掛けの鉛筆でも良いから、捨てずにアフガニスタンの子供達のために集めて欲しい。広告の裏の白いものでもいいから子供たちに届けてあげたい。
 一度古着を集めて持って行ったことがあるが、向こうで同じものを買った方が良いくらいの運送料がかかってしまった。物を運搬する費用の方が高くつくことは知ってもらいたい。ただ使い掛けの鉛筆を送る事によって、アフガニスタンの子供達には「日本の子供達が心配している」という思いを伝え、日本の子供達には「自分の捨てようするものが人の役に立つ事」と「もったいないという気持ち」を伝えてあげたいと思う。

●レシャードさんは訴える
 テロを正当化することは当然あってはならない。同時に報復することも当然のごとくあってはならない。是非アフガニスタンの一般市民の気持ちをわかっていただき、これから戦争ではなく平和のために少しでも行動を起こしていただければ大変ありがたいと思っている。

★中村哲さん衆議院テロ対策特別委員会での参考人発言録(2001/10/23)

 10月13日、テロ対策特別委員会での参考人招致のペシャワール会中村医師関係のリアルプレーヤーおこしです。一言一句間違いないとは言いがたいのですが。本文中「**:**:**」とあるのは時:分:秒で、リアルプレーヤーの経過時間ですので、確かめるときのインデックスになると思います。ただ、個人の参考資料以外に引用なんかで使うのなら、各自の責任で必ず元の録音とつき合わせて確認してからにしてください。それから、議員の質問部分は思いきり「適当」です。

URL http://www.shugiintv.go.jp/video.cfm のあたりです。
また、それから、発言の中で、難民の数とか言い間違っているところがありますので、ペシャワール会のHPもあわせて参照してください。
URL http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/

<以下、発言・質疑応答>
0:36:00ごろ
 中村ともうします。
もう現地に行きまして十七年半になりますが、私、実は国内で何がおきているのかわかりませんで、向こうから戻りまして、あまりに現実を踏まえない図式に基づいた議論だけが先行、本当にアフガニスタンの実情を知って話が進んでいるんだろうかと率直な意見をもつ。
 日本全体がテロ対策アメリカを守るためにどうするんだ、タリバーンというのは悪いやつだという図式で動いておりますので、あたかもこれを守るような発言をしますと、すぐ「タリバーン派だ」といわれます。私は断っておきますがタリバーンの回し者ではございません。それから、イスラム教徒ではございません。キリスト教徒でございます。
 憲法がどうだとか、法律のことはよくわかりませんので、とにかく、いま現地でなにがおきているのか、何が問題なのかという事実を皆さんにお伝えしたいと思っております。

0:00:38
ただ、どうもイメージと違うということがございましたら忌憚なくあとでご質問いただければと思います。私どもの活動を簡単にご紹介申し上げますと、ペシャワール会というのは1983年にできまして18年間現地で医療活動を続けてきました。現在パキスタンの国境の町ペシャワールを拠点といたしまして、一病院と十箇所の診療所がありまして、年間二十万名前後の診療を行っています。現地職員が日本人220名で日本人ワーカーが7名、70床のPMS=ペシャワール会医療サービス病院を機軸にパキスタン北部山岳地帯に二つの診療所、アフガニスタン国内に8つの診療所を運営しまして、国境を超えた活動をしております。私達が目指すのは山村無医村地区の診療モデルの確立、ハンセン病根絶を柱にいたしまして、貧民層を対象に診療を行うことでありますが、あとで申し上げますように、今回の干ばつ対策の一環として、今年の春より、無医地区となりましたカーブルに五箇所の診療所を継続しております。

0:39:17
 この間、皆さんご記憶のように、1979年12月に旧ソ連軍の侵攻がありまして10万の大軍が侵攻いたしまして、以降22年間アフガニスタンは内戦の余韻を引きずってきたわけでございます。この内戦だけで、死亡した戦闘員あるいは外傷を負った負傷者だけで75万名、おそらく民間人をいれますと200万名、私、目撃者といたしまして、たしかにほとんど死んだのがが女・子ども、年寄り、ほとんど戦闘とは関係のない人々だったわけですね。600(万?)名の難民がでてそれに加えて、今度の大干ばつ、そして、どういう原因か私もよく知りませんけれども報復爆撃というなかで、傷めに傷めつけられて現在にいたっております。

0:40:26
この中でですね、先ほど申しましたように、アフガニスタンを襲いました世紀の大干ばつと、大げさなようでございますが、本当に危機的な状況でございまして、私達の活動もこれで終わるかもしれないと、アフガニスタンの半分はこれで砂漠化して壊滅するかもしれないということで、昨年から必死の思いで取り組んできたわけでございます。
WHOや国連機関は昨年春からですね、このことについて警告を発し続けておりますが、国際的に大きな関心を引かなかったわけですね。もちろんこれはテロ事件などと違いまして、政治的にも意味合いは違いますし、慢性に起こるものですからなかなか関心を引かなかった。アフガニスタンが一番ひどくて被災者が1200万人、400万人が飢餓線上にあり、100万人が餓死するであろうと、簡単に言いますと餓死するであろうという発表がありましたのが約1年半前でございました。で、もちろん人命の尊さというのは数で計れるものではありませんけれども、われわれ簡単に100万人が餓死するだと言いますけれども、実際に目の当たりにしますと先ほどお話がございましたが、映像で見る状態と実際に現場で見る状態は違うんだと、もっと生々しいもんだとおっしゃいましたが、まさにそのとおりでありまして、実際の修羅場を前にすればですね、決して生易しいものではない。

0:42:17
食料だけでなくて飲料水が欠乏してて次々と廃村が広がっていくという事態が起きたわけでございます。で、下痢、簡単な病気で子ども達が次々と命を落としていったわけでございます。私達としてはこの事実をみんなに訴えながら、言うだけではだめですから真正面から組織をあげて、対策に取り組んできました。診療を中心に、医者がこんなことをいちゃあいけませんけども、「病気なんかはあとで治せる。まず、生きておれ」という状態でございまして、診療所を中心にいたしまして、アフガニスタンの東部一帯の干ばつ地帯に速やかに展開いたしまして、水源確保事業、とにかくですね、食べ物はなくとも何週間かは生きておられるわけですね、水がないと24時間以上生きれないと、そういう状態であったわけです。
 そこで、私は医者でございますけれども、水を得ようということで、水源確保事業に取り組んでおりまして、現在まで約660程水源に取り組んで、そのうち550箇所利用水源を得ております。中には、一旦難民化していなくなって砂漠化した村がですね、水路、現地でカナートと呼ばれる伝統的な水路がありますが、それを30本復活して、1万数千名を養えるだけの緑地を回復すると、で、全部戻ってくるという奇跡的なことも起きたわけでございます。

0:44:05
医療面ではですね、今年一月国連制裁が、なんとですね、わたしたちが初めのうちは、「われわれががんばってくれば必ず国際的に大きな援助がどーんとくるんだ、こんなもの誰も放置しておかないだろう」「エチオピア大干ばつ以上の規模である」ということでしたが、やってきたのは制裁でございました。で、そのためにただでさえ少なかった外国の救援団体が次々と撤退していくというなかで、まさにアフガニスタンはですね、孤立化への道をこれによって深めていったわけでございます。
 私達としてはですね、それだからこそ必要なんだということで、カーブルの、事実上カーブル市内はですね、元の裕福なカーブル市民はほとんどない、2割3割程度しか残っていない。あとはですね、先ほど申しました干ばつによりまして、逃れてきた難民達で、国内難民ですね、これであふれておる状態でございまして、現在100万人から150万人、この約1割が今年の冬を生きて越せないだろうと、約3割から4割は慢性の飢餓状態で簡単な病気で死んでいくと、こういう状態でございまして、私達としては、ニーズがあって誰もやらないのなら、われわれが行くと、「我も我も」と行く所ならわれわれは行く必要がないというのがわれわれの方針でございまして、緊急に今年の2月からですね、正式には3月から診療所を開設したわけでございます。

0:45:54
これでもまだ不十分だということで、水源の目標数を今年以内に1000箇所、カーブルの診療所を年内に一挙に10箇所にしようということでお膳立てをしている最中に、ちょっと日付に間違いがございますけれども9月11日の同時多発テロになったわけでございまして、私達の事業は一時的にストップいたしました。初めのショックから立ち直って、今ですね、拡大こそしていませんが、今までやってきた事業は、爆撃下にありながらも、勇敢なスタッフ達の協力によりまして、何事もなかったかのように継続しております。
 いま、私達が恐れておるのは、難民という議論が先ほどからございますけれども、カブール、首都カーブルがもっとも大きな町ですけれども、カブールだけでなくてほかの土地もそうですが、飢餓です。飢餓であります。現地は、今から寒い時期に入ってくる、市民は越冬の段階に入ってきた。で、今支援をしなければ、今年の冬、先ほど申しましたように、約1割の市民が餓死するであろうというふうに思われる。このために私達は緊急の炊き出しと申しますか、食料配置を開始いたしまして、すでにその準備は完了いたしました。

00:47:31
私達が訴えたいのは、難民が出てからでは手間もかかるし、金もかかるというだけではなくて、悲劇が大きくなる。難民を出さない努力というのをまずやらなくちゃいけないというのが、現地におる私達としてはぜひ訴えたいことであります。
 どこかですねペシャワール側で見ていますと、日本側に帰ってきて驚きましたけれども、難民が出てくるのを待っておると、ペシャワールには現在140数団体が集結しておりまして、「難民が出たらこうしよう、ああしよう」といっているけれども、実際のいわゆる私達が想像するような難民は今のところ発生しておりません。私達が全力をあげて取り組むのはですね、すくなくとも、怪我をして逃げてくる人は別として、飢餓による難民は一人もペシャワールに出さないと、いう決意で現在の仕事をやっていくつもりでございます。
 話が長くなりましたけれども、難民援助に関しましても、こういう現実を抜きにして、ちょっと失礼かもしれませんけれども、どうぞお怒りになりませんように。こういう現実を果たして踏まえて議論が進んでおるのかということについて、私はいち日本国民として、一つの危惧を抱くわけでございます。たとえばですね、この色々考え方ありますけれども、テロという暴力手段を防止する道に関しましても、暴力に対しては力で押さえ込まないとだめだということが、自明の理のように議論されておる。
 私達現地におりまして、対日感情についてはいろいろ話はしませんけれども、日本に関する信頼というのは絶大なものがあるんですね。それを軍事行為に、報復に参加することによって、だめになる可能性があります。

00:50:00
 ほかの地域ならともかく、アフリカとかですね南アメリカは私知りません、あの地域しか知りませんので、現地の地域に則して言いますと、たとえば、自衛隊派遣が取りざたされているようでありますが、詳しいことはあとで、ご質問で受けたいと思いますけれども、当地の事情を考えますと、有害無益でございます。
かえって私達の、これを損なうと。いうことははっきりいえる。私達が必死で(後ろに視線をやりながら)笑っている方もおられますけれども、私達が必死でとどめておる数十万の人々、これを本当に守ってくれるのは誰かと。私達は十数年間かけて営々と築いてきた日本に対する信頼感が、現実を基盤にしないディスカッションで、軍事的プレゼンスによって一挙に崩れ去るということがありえるわけでございます。この点を、要するに言いたいことはですね、まず、現地はどうなのか、実情はどうなのかということを踏まえたうえで何かを決めると。わたしはこの、そんなえらい人ではありませんから、どうしようと日本国民の一人として法律に従いますけれども、アフガニスタンに関する限りはですね、十分な情報が伝わっていないと、土俵の設定がそもそもですね、観念的な論議が密室の中で進行しておると、いうのは失礼ですけれども、偽らざる感想でございます。私ばかり話すと後の方が話す時間がありませんので、一応私の話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
00:52:00まで

参考人質疑
1:27:00
  亀井善之(自由民主党)
どのような理由であのような爆撃がされているかわからない。難民支援の中でも自衛隊が、憲法の枠内で努力をするというわけでして、そういう面で、自衛隊の派遣が有害無益でなんの役にも立たないという発言も耳にした。ぜひ取り消しをいただければと思うのでありますが、2ページ目に米英の蛮行をやめさせることが国際貢献の道とあり、考え方を異にするが、説明願いたい。

1:32:08
A中村
 多々調子はずれの面があったということは、皆さんにもそう聞こえますが、逆にですね、日本全体がですね、一つの情報コントロールともいえるような状態に置かれておる中で、わたしの率直な感想を述べただけでございます。と申しますのは、これから述べることに深く関連してまいりますけれども、私が見る日本の現状というのは、はじめ、無限の正義の米国対悪の根源タリバンとの闘いとこういう図式ですべてが終えていると。いうことは、その前提、土俵がおかしいのではないかということでございまして、現地は何も知らされていないのではないかと、ひどい新聞になりますと、ビラを撒けば反タリバン勢力が立ち上がってたちまち崩壊すると、言論統制が現地で行われているということでございますが、現地でもっとも事情を知っているのは一般庶民でございます。
 これは、意外に思われるかもしれませんけれども、現地でもっとも信頼性があるのはパシュトゥール語のBBC放送、これによってですね、私もペシャワールにいて、アフガニスタンから電話がかかってきて知ったわけでございます。現地の人はきわめて冷静に現実を読んでおります。これは失礼ですけれども、日本大衆、日本国民全体それから非常に先生方には申し訳ないですけれども、先生方以上に一般庶民のほうが冷静に事態を判断しておるということがある。アメリカのことは伝わってきますし、アフガニスタンのことは当事者本人ですから、あるいみで、非常に冷静なのはアフガニスタンの民衆であるということをまず申し上げておきたいと思います。

1:34:33
またですね、ああいう部族国家で言論統制しようなんて無理なんです。そういう事態の中で私が申したわけでありますが、憲法の枠で、これも私恥ずかしい話でよく法律のことは知らないんですね。憲法の枠内で、実際に自衛隊が、日本では自衛隊と申しますが、英語でいいますとねこれはJAPANESE ARMY と、いうんですね。日本軍としか訳しようがないですね。日本軍が難民キャンプに来るのかと、憲法の枠内というのは、日本の内側の論議でありまして、現地ではそうは見られない。Japanese armyがAmerican armyに協力しておるとこうしか見られないわけですねどう見ても。ああいう駆逐艦が来る映像がわっと流されてきたりですね、日本軍が来て難民キャンプを設営するとかいうことでございますが、憲法の枠内とか枠外とかですね、恥ずかしながら私、日本を長く離れておりましてよくわかりませんけれども、現地の大部分の人にとっては、これJapanese armyで憲法がどうとかよくわからないというのが現実ではないかということだと思います。

1:36:18
私の表現が、書かれた表現が英米の蛮行とやや刺激的な言葉でございますけれども、これは私はですね、ニューヨークテロ事件の蛮行というならば、現在進行しているアフガニスタンの空爆は、蛮行と。「それは違う」とおっしゃいますけれども、テロリストとテロリズムと本質は何かと申しますと、これは、ある政治目的を達するために、市民もなんも巻き添えにして、やると、いうことがテロリズムであれば、これは少なくともテロリズムとは言わないまでも、同じレベルの報復行為ではないかというふうに理解しております。

1:37:05
(ヤジ?)
たとえば自衛隊が、武器をもった日本の兵隊さんがですね、兵隊といえば「日本では兵隊でありません」と言うかもしれませんが、これは、外から見ると兵隊なんです。JAPANESE ARMYと書いてある字がですね、兵隊さんが難民キャンプを現地で設立したということは非常に大きなミリタリープレゼンスととられる。これは疑いないですね。こういうことは現地ではありえないことでして、私がいうよりはパキスタンの、これは名前は匿名でしてくれということでしたが、おっしゃったのは「それは冗談であろう」と「これまでそんな形で軍隊が来たことはなかった」と、「パキスタンは警察組織もある、軍隊組織もある、れっきとしたいち独立国家であるとこれを守るのはパキスタンの警察の仕事であろう」と「これは日本の評判を落とす悪い冗談であろう」ということをおっしゃったんですね。おそらくこれはみんなが言いにくいことであろうけれども、日本というのはパキスタンの一番のODA供与国なんですね。だから悪口はなかなか言いにくい。

1:39:10
  渡辺周(民主党 ・ 無所属クラブ)
 連日、米英の報復から報じられる現地の状況から反米の大きな動きが起きてる。先日も催涙弾やゴム弾を打って排除したなど云々。国民性風土、イスラムの宗教的背景を熟知しているとおもうが、現地の治安はどうなるか、対日、日本への感情があるというが、日本は宗教戦争したことがないとかイスラム社会に対して武器を提供したことも侵略したこともないということでシンパシーが高いと。その辺について。
1:44:13
A中村
 先ほどご指摘がありましたように、ペシャワール、これはパキスタン・アフガニスタンともにですね、私達両国にわたってこの十七〜八年活動しておりますけれども、もっとも親日感情が強い地域でございます。中近東一般がそうだと聞いておりますけれども、特にあの地域ですね、アフガニスタンは親日感情が強い。詳しいことは申しませんけれども、たとえば外国人という場合に「外国人は出て行ってくれ」と、ならば「俺達も出て行くのか」というと「いや、先生達はちょっと外国人の内には入らない」というくらい親日的なんですね。
 それが、先ほど申しましたように、軍事的なプレゼンスによって一挙に崩される可能性がある。私が言いたいのはですね、日本のテロ防止という場合に、敵意を減らすというのが一つの要件だと思うんですね。そういう意味では、力によって敵意が減るということはないわけで、恐怖は与えられても本当に人々の気持ちを溶かすことはできない。

1:45:44
私はそう信じますね。たとえば私が逆の立場であれば、「このやろう、このやろう」と叩かれても敵意は増すばかりで、本当に報復しようという気持ちはですね強まるばかりだと。これが一つ言いたかったことであります。
この対日感情が、日本の出方によっては大きく変わってくる可能性があるということを一国民として言いたかったわけですね。私達の子ども達がどうなっていくんだろうか、私達の孫達がどうなっていくのか、ということまで視野に入れて「敵を減らす」という大きな視点がいるのではないかということでございます。
 治安はですね、ペシャワール市内は非常に良好でございます。これもまた言いにくいことでございますけれども、この警察、日本の警察や自衛隊も含めまして、はるかに、現地は治安部隊の実戦を積んでおります。これは、パキスタンの治安部隊の仕事でありまして、外国軍隊が言葉もわからないという中で、とてもまねができるものではないと。もし、悪くなったにしてもですね。
 しかし、そういう事態は現在考えられておりません。
 新聞で報道されておるのは、ごく一部の動きでありまして、大半の住民は、これ アフガン人・パキスタン人含めまして、もっと我々よりももっとある意味では常識をもっておりまして、バランス感覚で動いているというのが現実でございます。急いでドカドカっと行って「守らなきゃ」という状態は、現在ないということでございます。

1:47:49
民主党 渡辺
 軍事的プレゼンスという言葉を使っているのがどういう理解をされているのかわかりませんが、医官としていくわけで、パシュトゥーン族は、近代的な国家観とか国家法とかあるいは組織や機構が存在しないという中で、こういう方々が行って言葉も分からない特に慣習法である意味秩序が成り立っていると聞いていますがそんな中で、果たしてもし行くと仮定した場合にどれだけ実効的な活動ができるかというのを現地で活動している方としてご意見があれば言って頂きたい。
1:49:50
中村A
 初めに、「忌憚のない意見を」ということだったので、それを私信じて言いますけれども、どうぞ笑ったり怒ったりなさらないでください。まず、聞いてください。
 結論から言いますと、これはあまり役に立たないのではないかと。私、医者としての立場から申しますと、言葉がわからない、何が危険かわからない、それから、どういうことでこの人たちが怒るのかわからない、どういうことが悲しいのか、どういうことがうれしいのかわからないという中で、臨床医学と申しますか、医療行為というのは成り立ちません。
 そういう情報の中で、まぁ手術場でですね、外科の先生ワーッとこう機械的な仕事をするのは別として、おそらくできないのではないかと。現地には1600人の失業したパキスタン人の医者がおります。現にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などは、こういう人々を吸収いたしまして、現地で使うと。もちろんですね、アメリカ人が逆の立場を考えてみればわかる。アメリカ人が日本でなにかあったからといって、突然アメリカ人の医者が(?)派遣されてくると、いつから悪いんですか、どこが悪いんですか、肩こりがしますか、肩こりなんて英語はないんですね、そういう状態をご想像いただければだいたいよくわかると。
 それにですね、慣習法で回される現地、パキスタン政府は難民キャンプの設立を極端に嫌っておりますから、むしろ難民を強制送還する動きであると、これはパキスタン政府もあまり喜ばない、と同時に、国境地帯は「自治区」とよばれる、簡単に言うと無法地帯でございます。そうなりますと、非常にややこしいことになるのではないかと、私は危惧いたしているわけでございます。

1:52:21
  渡辺周(民主党 ・ 無所属クラブ)
難民の中に偽装したテロリストがいたら日本の自衛隊はどういった対応ができるのか。ペシャワールというところはタリバンの九割を占める神学校があるといわれていて、報復があるとすぐにアフガニスタンに帰って聖戦に立ち上がるんだといった地域であると聞くが、自衛隊がいったらどうなるだろうか。落ち着いてとしても、疫病が蔓延している中で対応ができるだろうかと考えるが。NGO140団体の方が対応できるのなら、日本の鍛えられた方々が準備期間を経ていけば対応できるのではないかという見方もあるわけですがその点について意見を聞きたい。また、現地で最も喜ばれる、空爆を終えてリハビリテーションを長い時間をかけてやらなければいけない。そのとき、日本がなにをやるのが最善であるかということをお答えをいただければ
1:54:50
中村A
 いますべきはですね、せっかく築かれた、これは私だけではなくて、日本が営々と百数十年かけて築いた一つの信頼感というのが現地で根付いておる。これをまず、崩さない。これを私達の先輩の残してくれたものを大切にしながら、そして、抽象的になりますけれども、平和を待ち、その上でなにか建設的な事業をする、こうやって大きな国際的貢献、それもほかの国にできないような貢献ができるというふうに私は信じております。
 とりあえずはどうするか、ということですが、これはですね、国もできずに、国連にもできぬこと、これをやるのがNGOの本領でありますから、我々は、「日本国民を代表して」と表向きには言いませんけれども、一日本人としてもっとも一番いい道というのは、今死にかけている人をとにかく助けて救援を待つという活動を直ちに開始したい。10人家族2000円で一ヶ月生き延びられるわけですね、これを分配するシステムがまだ確立しておらない、WFPがどんどん入ってきましても、その段階でつまずいているというのが実情でありまして、それがくるまで、我々は必死であそこでやります。これは、政府援助と直接関係ないかもしれませんけれども、一つは私は無力ではありませんけれども、いち日本人として先輩が血と汗を流して築き上げた成果、われわれが十数年かかって築き上げた信頼の絆、これを守りながら最大限の事をして、皆さんの支援を、ほんとうによく情報を集めた上で建設的な事業を期待しております。
 まず、きちっとした情報を。決して慌てることはございません。ちゃんと状況を見つめた上でもっとも有効な道を探ることそれを皆さんに強く訴えます。さらに、餓死については私達の行為は決して自民党だとか共産党だとか社民党だとかそういうことではなくて、一人の父親一人の母親としてお考えになって、私達の仕事をですね、ぜひ、このせめて邪魔しないように、というか、積極的に個人の資格で参加していただきたいというふうに、まぁこれは個人的な訴えですけれど、これで答弁を終わります。

1:58:34
公明党 上田勇
 これだけ食料が不足して危機的な状況にあるのに、なぜ、タリバンの政権は民衆を犠牲にしてまでこれほど、ラディンやアルカイダを守る理由というのは何なのだろうか。そうした政権は本当に一般民衆の支持を得られているのだろうかという点も疑問ですし、一部報道によるとタリバンの政権が女性のいろいろと抑圧的であったり、教育の機会に対する抑圧があったり、非人道的な処刑を行っているとかですね、あるいは国際機関の援助物資を略奪しているなんていうような報道も一部あったんですが、はたして、こういったことが現実のことなのかぜひ教えていただければ。
2:12:45
中村A
一つ一つ具体的にお話していきたいと思います。なぜ、タリバン政権がかくまっておるのかと、簡単に言うとアフガニスタンというのは日本が考えるような一つの近代国家ではないですね。部族国家。各地域には、ジルガ?=長老会と、国会議員の方々にはうらやましいかもしれませんけれど選挙のない世界なんですね。各地域の長老会といいますか、これがたとえばタリバーンが来たと、これに抵抗すべきか引き受けるか、あるいは積極的に協力するか、というのを決定した上で、このタリバンというのは受け入れられるわけですね。ですから、あのソ連軍10万人をもって制圧できなかったアフガニスタンがわずか1万5000人のタリバンの軍隊で制圧できるわけがない。これは、民衆がそれまでの、タリバンが来る前までのですね、私カーブルにも時々行きましたけれども、我々の車は強奪される、われわれの診療所は銃機関銃で武装される、わたしも間違えて逮捕されて殺されそうになる、市内で砲撃、婦女暴行、略奪は日常茶飯事と、いうなかで、タリバンの平和が、民衆に平和な生活をもたらしたという側面があるわけでございます。これに関連して、人権団体、たとえば女性にブルカをかぶせるだとかですね、いろんなことを外国の団体は非難されますけれども、中には非常に荒唐無稽のものもございますけれども、タリバーンというのは田舎を基盤とする政権、言葉は悪いですが田舎者の政権なんですね。だから、アフガニスタンの九割以上を構成する農民、遊牧民達の慣習法をそのまま持ってきておるというのが実情でございまして、この女性の被り物もそうでございます。女性の教育につきましてもですね、私どもカーブルの中に五つの診療所があってそのうち、二つに女性はちゃんと働いております。本音と建前とかなり違うということをまず申し上げたいと思います。(議長が短くと制止)
2:15:50

2:43:41
木島日出夫(日本共産党)
 自衛隊が派遣されてどういう点で有害なのか現地の状況を踏まえて具体的に話いただきたい。
中村A
 現地は対日感情が非常にいいところなんですね。世界でもっともいいところの一つ。それは、日本が平和国家として戦後あれだけつぶされながらやってきたという信頼感があるんですね。われわれの先輩の。それが、軍事的プレゼンスによって一気に叩き潰されやっぱり「米英の走り使いだったのか」という認識が行き渡りますと、これは非常に、われわれ働きにくくなるということがあります。さらに、難民キャンプにですね、一国の軍隊が、わっとこの先ほど言いましたように、たとえば神戸の震災のときにオーストラリアの人たちが助けに来ると、その人たちを助けるためにオーストラリアの軍隊の人たちがワーッと来まして神戸の町のキャンプを守るということはないわけですね。これはお巡りさんが守るわけですね。現地でも同じことでありまして、パキスタンというのはれっきとした一独立国家なんですね、このことをみんな忘れてはしないかと。なんか、白人がインディアンを襲撃してどこでもやっているようなそれとちょっと違うと。逆の立場にたっていち独立主権国家としての立場を尊重しながら考えていただきたいわけであります。そういう意味で、有害無益と申し上げたわけでございます。

2:45:52
辻元清美(社会民主党 ・ 市民連合)
 湾岸のとき抗生物質260万錠をマレーシアのNGOから預かった。即刻動けることが大事でNGOが担っている。自衛隊のシステムとして援助の機能。戦う機能です。すぐできる援助具体的に
中村A
 NGOと国がすることは少し違うんですね。すぐさま動けて、もっともニーズの大きいところに集中的にすると、これを国境とかを越えてするというのがNGOの特徴でありますが、私は国粋主義者ではありませんけれども、いち日本国民としてですね、誇りを持って何かをやるとすればですね、築いてきた信頼、日本との絆を保つということが結果としてあるわけですが、直ちに飢餓、飢餓難民予備軍に対してですね、ひとりも飢餓難民を出させないと、特にカーブル市、ジャララバード市、国境に近い町々からですね、一人も出させないということが我々すぐできます。すでに着手しております。そのノウハウもわれわれは持っています。
 それから医薬品についてもですね、八つの診療所は無事に回転しております。これは、わざわざ日本から持っていかなくても、物は流れているけれども購買力がないという奇妙な状態なんですね。イランボーダーも開いております。パキスタンの2400キロメートルの国境はぜったいに閉鎖できない。で、小麦粉も自由に入れられる状態でありまして、小麦粉の値段も決して落ちておらない。こういう状態でありますから我々ちょっとですね、皆さんとの認識にずれがあるという、実情を知って当然と思っていることが伝わっていないということがあるとおもいますが、私達ができることはそういうことなんですね。飢餓難民を出さない、それから少しでも難民、これが犠牲になったら悲劇が大きくなるんですね。これを出させないと。そして、よその大きな国連組織だとか、日本の支援。日本の支援について申しますと、国連支援だとかフィルターを通してみますと本当に日本の顔が見えなくなるというところがありますので、私日本の事情は知りませんけれども、日本はボンボン直接物資を送ってやればいい。日の丸つけて送ってやればいい。そうすれば何倍か効率が違う、安く上がるということは間違いない。たしかに間接経費で膨大な費用が消えておるというのは事実でありまして、日本は本当に自分達の顔が見える援助と、実際アメリカでもですね、額は非常にわずかなのに「アメリカがやった」と小麦を送ったりしているわけですね。日本の場合はすべてWFPだとか国連機関を通して送る。というのではなくて、日本が直接送ってやればよろしい。べつに日本人が出かけていかなくてもいいんですから「これは日本が送りました」といえば、私はおそらく、数倍、おそらく十倍の物資が入っていくのではないかと思います。建設的な事業を出すね、けっして慌てなくていい、慌てなくていいと、こういう時期こそ我々は頭を冷やしてですね、よーく実情を見て、そして、そのうえで、国の大事を先に考えて見て考えていきますが、とりあえずアフガニスタンに関しては、われわれNGOに任せてくれ、任せてくれとは言いませんけども、われわれやりますので、時間をかけてじっくり検討していい、一番いい援助の道を探っていただきたいと。そのためには、建設的事業を日本自らの手で組織するということだと思います。
3:14:00位