第54回歴教協三重大会の雰囲気@
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7月31日(水)午後の現地見学プレコースは、伊勢神宮見学。タクシーの運転手さん曰く、今も関西地区の小学校の「伊勢参拝」修学旅行は多いのだとか。

伊勢神宮は1つの神社ではなく、伊勢周辺に散在する125社の総称。1300年の歴史を持つと言われるが、主に近世に形作られ、近代天皇制によって作られたものがかなり混じっている。近鉄宇治山田駅から車で15分ほどの所にある宇治橋に集合。手前に見えるのは「橋詰(はしづめ)さんの松」。かつてはここに、宇治橋を守る「饗土橋姫(あえどはしひめ)神社」があった。神域拡大で1915(大正4)年に宇治橋前が公園化され、この神社は100m.ほど西に移築された。国旗掲揚台は「昭和天皇即位50周年」の頃に作られた。絶対天皇制の戦前日本でさえ、伊勢神宮に日の丸はなかったのだが。

鳥居をくぐると宇治橋。この橋は1434(永享6)年に足利義教が作らせたが、後に洪水で流されたため、慶光院という寺院が1505(永正2)年に再建。

江戸期の伊勢は、神宮を中心にして神道、仏教、陰陽道など多彩な宗教が集まる都市だった。神社に奉仕する人も、引退後は仏教になった。「神都伊勢」は近代以降に作
られたイメージ。

神宮では、江戸期から「坊主と穢れを嫌う」とされ、僧形のままでは宇治橋を渡ることは許されなかった。欄干は宮大工が、橋阪は大湊(伊勢市)の船大工が作った。16個の擬宝珠(ぎぼし)がついているが、仏教を嫌う伊勢神宮は、仏教用語を使わず「ねぎ型カナモノ」と呼ぶ。ほとんどは1853(嘉永6)年のものだが、橋の左側手前から2つ目だけは「元和5年(1619)」の銘である。

下を流れる川は「五十鈴(いすず)川」。大企業の「みそぎ研修」でも知られる(『歴史地理教育』1994年11月号参照)。橋の右側には、上流からの流木から橋を守るための「しがらみ」がある。

神宮の建物は20年に一度建て直すことになっている(次回は2006年)。今は、橋を渡りきった左手にあるスロープが、材木を引っ張り上げる時に使われる。

宇治橋を渡った広場は「内宮神苑(ないくうしんえん)」と呼ばれる。江戸期には民家が立ち並び、特に「御師(おんし)」と呼ばれる今で言う「ツーリスト」のような人々が住んでいた。この人々の活躍によって、近世に「お伊勢参り」が大流行した。

1887(明治20)年に神域拡大のため、宇治橋から火除(ひよけ)橋までの民家は撤去させられた。そして「19世紀ドイツ風」庭園をつくった。これは橿原(かしはら)神宮や明治神宮にも共通すると言われ、「古代の伝統への回帰」と「西欧化」を求めた明治政府の神宮像が反映している。

写真の通り、道から飛び出すように円状に区画された場所がある。戦前、ここにはカノン砲や旅順から持ってきたという旧砲が奉納されていた。まさに「軍神」としての内宮だった。

宇治橋から50m.ほどの所にある「子安神社」。江戸期は、この辺りの集落の「産土(うぶすな)神」だった。民間の神が神宮に取り込まれてしまった例。現在も安産の神として厚い信仰が残っている。