第54回歴教協三重大会の雰囲気B
                          雰囲気@  雰囲気A  雰囲気C
非常にむし暑い中、3時間以上かけて歩いた内宮。ようやく宇治橋に戻り、外に出て「おはらい町」と呼ばれる参宮道を歩く。1993年の「遷宮」に合わせて「おかげ横丁」がオープンして以来、この界隈は活気を取り戻したと言う。
その中心的存在となったのが、この地に本店のある「赤福」。藤波孝夫代議士の親戚の藤屋窓月堂など有志で「内宮門前町再開発会議」を組織し、1988年に「純和風の伊勢らしい建物に立て替えるときは、伊勢市が特別低利で融資する」内容の条例を市に策定させた。
「おかげ横丁」の敷地すべての地下には浄化施設があり、川を汚さないための資本も投下されている。

1933(昭和8)年、地元が国に「大神都特別聖地国営計画に関する意見書」を出し、内務省は1940年の「紀元2600年」から1950年までの10年間で、神宮を「一大聖地」にする計画を立てた。天皇制ファシズムを支えるための一大宗教都市としての威容をつくるのがねらいだった。宇治橋の北250m.ほどの所まで内宮を拡張し、そこにある民家はすべて撤去させようというものだった。路面電車の駅を延ばしてくる計画もあった。しかし、1941年からアジア太平洋戦争と敗戦により、計画はほとんど実行されなかった。

8月1日。全体会スタート。「伊勢音頭」から「伊勢ヤートコセ」へ。「伊勢ヤートコセ」は、伊藤多喜雄氏が「伊勢音頭」を編曲したもの。伊藤氏は「YOSAKOIソーラン」でも知られる。
挨拶する佐藤伸雄氏(歴史教育者協議会・新委員長)、山口謙次氏(現地実行委員会委員長)。「『子どものために』ではなく『子どもとともに』」と題して基調提案する村松邦崇氏(歴史教育者協議会・常任委員)。司会は現地の早川寛司氏と西川智子氏。