< 声明 >
1999年8月〜2000年分
過去声明  2003〜2004 2001〜2002 1998〜2000 
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教科書研究にたいする不当な脅迫・妨害を糾弾し、抗議する声明(2000年12月5日)
「新しい歴史教科書をつくる会」編集の教科書に関する決議 (2000年8月1日)
石原慎太郎東京都知事の発言に抗議する声明(2000年4月24日)
声明 天皇在位10年「奉祝」と「日の丸・君が代」の押しつけに反対します(1999年10月24日)
声明 国旗・国歌法の成立に抗議し、日の丸・君が代の強制を許さないため、議論と運動をさらにひろげよう(1999年9月9日)
「国旗・国歌法案」の衆議院通過に抗議し、参議院での廃案を求める決議(1999年8月1日)
富本銭鋳造等古代総合工房遺構である飛鳥池遺跡の保存を求める決議(1999年8月1日)

教科書研究にたいする不当な脅迫・妨害を糾弾し、抗議する声明

 最近、教科書問題を研究討議する集会を妨害し、発言者を脅迫する行動が頻発している。それは「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)が編集する教科書を支援し、その採択の拡大をねらうグループによって行われている。

 11月18日に、歴史教育者協議会・全国民主主義教育研究会・地理教育研究会共催により行われた「社会科教科書シンポジウム」では、「つくる会」が編集し、産経新聞社・扶桑社が発行・発売する予定の教科書内容を批判検討した千葉県の公立中学校A教諭にたいし、白表紙本を入手しその研究結果を報告することが違法行為だと非難し、「勤務校を言え」「言わなくても調べればすぐわかる」「教育委員会に知らせて処分させる」「処分覚悟でやっているんだろうな」などと十数名が共同して脅迫的言辞を浴びせつづけた。

 さらにその後、A教諭の勤務先や自宅電話まで調べあげ、インターネットの複数のホームページでそれを流しつづけている。そしてさっそく学校長ならびに本人に面会を求めるとともに、その後も、全国各地から学校への電話・FAX、自宅への電話を連日のように送り、A教諭の日常の教育実践にたいしてまで根拠のない不当な非難を繰り返すとともに、面会強要の行為におよんでいる。さらに教育委員会にたいしても面会を求め、A教諭の処分を要求しつづけている。これらの行為は個人の平穏な生活を侵して人権を侵害し、学校の正常な運営を妨害する行為であって、市民の常識からしても許されない犯罪行為といわなければならない。

 そもそも、白表紙本の内容について研究しその結果を公表することには、なんらの違法性がない。教科書関係の法令に市民あるいは一般公務員のそのような行為を違法とする条文を見いだすことはできない。したがって、最近、三重県で白表紙本のコピーが展示された件についての文部省の見解においても、展示行為そのものの違法をいうことはできず、文部省は検定審議会委員や教科書出版社にたいして公開しないよう求めていると述べたにとどまったのは、当然のことである。元来、このような文部省の行政指導なるものも、検定経過を国民の目から隠し、密室のなかでの検定を行うことによって検定にたいする国民の批判を封じようとする動機から出たものであって、不当なものである。いずれにしても、これは検定審議会委員、教科書出版社という限定された範囲にたいしての、しかも法令によらない行政指導に過ぎないのであって、一定部数印刷された白表紙本について、第三者がその提供を受け、その内容を研究し、その結果を発表することには何の違法性もない。

 すでに多くのマスコミが、この「つくる会」教科書の内容に見過ごすことのできない重要な問題が含まれることを認識し、白表紙本の内容の一部が報道されてきたことも周知のことであるが、それについて違法性が問われた事実はない。そうである以上、A教諭の行為が行政処分の対象になるような行為ではないことはもはや明白である。

 「つくる会」編集の教科書は、歴史学習は事実にもとづかなくてもよいと公言し、歴史事実を歪めたうえで、近代日本の侵略戦争を美化して、日本国憲法の原点である戦争への反省をないがしろにするばかりか、全体にわたって旧憲法を美化し、日本国憲法を否定する思想を前面にうちだしたものである。このような憲法否定の教科書の出現は、戦後教育史上においてもいまだかつてない重大な事態である。したがって、日本国憲法を擁護する立場から、この教科書のもつ重大な問題について研究討議することがきわめて重要かつ緊急の課題であると認識し、前記三団体が冒頭にあげたシンポジウムを企画し、A教諭がその場で研究結果を報告したことは当然の行為である。また、日本国憲法遵守義務を負う教育公務員としてA教諭が、すすんで教科書研究の任にあたったことは、称賛されこそすれ、なんら非難さるべき行為でないことは明らかである。

 逆に「つくる会」編集の教科書を支持するグループの行為は、教師にとっても市民にとっても当然に認められるべき自由な教科書研究、教材研究、教育研究を暴力的に圧殺しようと企てるものであり、日本国憲法の保障する言論・思想・学問の自由を乱暴にふみにじる不法な行為である。
 また「つくる会」支持グループは、
われわれの教科書批判をさして特定教科書への営業妨害だなどとも主張している。これはまさに天に唾する噴飯物の議論である。かれらはこれまで、くりかえし「産経新聞」の紙面などを使い、現行の他社教科書にたいする誹謗中傷を繰り返してきた。われわれのささやかな教科書批判を営業妨害というなら、「つくる会」の教科書の発行元でもある「産経新聞」を使った他社教科書の誹謗は、現行他社教科書にたいする数百倍、数千倍の営業妨害になるはずである。これこそ、自社教科書の採択を有利にするために自社の紙面を使うという、教科書採択の公正な競争のルールを公然とふみにじった不法な行為といわざるをえない。
 かれらはなにゆえにこのような不法行為まで行って、教科書批判を圧殺しようとするのか。かれらは自身の白表紙本を、テレビ、「つくる会」機関誌、学校むけ宣伝文書などさまざまなメディアでみずから公表しておきながら、それにたいする国内外の批判がおこらぬうちに、あわよくばひそかに検定を通過させ、採択にあたって一定の力をもつ教育委員に政治的圧力をかけて多数の採択を実現しようともくろんでいたのである。しかし、国民の良識はそれを許さなかった。侵略戦争美化、日本国憲法否定の教育を子どもたちに押しつけ、ふたたび戦争に参加する国民を育てようというかれらの野望にたいして、いま国内外の批判が急速に高まりつつある。それを恐れたかれらが、いまこのような不法不当な行動に出てきたのである。
 私たちは、いまおこっているこのような事態を広く知らせ、多くの人々の力を結集して不当な脅迫を許さぬ世論を大きくし、個人の人権を守り、教科書・教育研究の自由を守りぬく決意である。その運動は、憲法違反の教科書を許さず、日本がふたたび戦争参加、憲法改悪の道へすすむことを許さない運動と一体のものであり、ここに明らかにした一連の事態は、それが現時点のまさに緊急の課題となっていることを如実に示している。多くの団体・個人の方々に賛同をよびかけるとともに、運動をともにひろげることを訴えるものである。

2000年12月5日

子どもと教科書全国ネット21
歴史教育者協議会

「新しい歴史教科書をつくる会」編集の教科書に関する決議
  ─日本国憲法と教育基本法にもとづく教科書づくりと教科書採択を─

 2000年4月に、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)編集による中学歴史・公民分野の新教科書の検定申請が行われました。2002年から実施される小・中学校新教育課程用の各種教科書もすでに検定申請が終わっています。今回の検定申請教科書をめぐってすでに明らかにされた事実をみるとき、戦後の教育・教科書の歴史上においていまだかつてなかったほどの重大な問題がおこっていることを指摘しなければなりません。
 第1は、「新しい歴史教科書をつくる会」編集の教科書にみられる憲法・教育基本法を敵視する姿勢です。公民分野の教科書では、日本国憲法については、米国が強く関与したとして「批判的考察を加え」る一方、大日本帝国憲法は高く評価しています。また教育勅語は、戦後、国会で失効決議が行われ、それにかわって教育基本法が制定されたはずですが、歴史分野の教科書では、大日本帝国憲法の項で教育勅語の全文をくわしい注釈つきで掲載したうえに、そこに述べられている親孝行や国につくす姿勢が「近代日本人の背骨」になったとまで書き、教育勅語に高い評価を与えています。戦後、これほどまでに憲法・教育基本法を公然と敵視した教科書があらわれたことはありません。
 憲法敵視の中心が第9条にあることはいうまでもありません。「つくる会」の公民分野の教科書では、「自衛隊が必要不可欠であることを理解できる内容」にしたといいます。自衛隊については、たしかに意見が分かれる問題です。この種の問題については、これまでの文部省の検定は、両論併記を求めてきました。両論併記もせず、一方の考え方を押しつけるような教科書であるならば、学校教育法が中学校教育の目標として掲げる「公正な判断力を養う」ことになりません。
 第2は、「つくる会」の歴史分野の教科書が、とくに近代のアジアと日本の関係にかかわる歴史の事実をゆがめ、その結果、アジアとの友好と信頼の関係をきずくうえで重大な障害をもたらす危険があることです。同教科書は、日露戦争からアジア太平洋戦争にいたるまで、日本が行った戦争が一貫してアジアを欧米の植民地から解放するための戦争だったという立場で書かれています。一方この教科書の著者は、韓国併合は日本の安全と「満州」の権益擁護のために必要で合法的なものだったという立場をとっています。日本が朝鮮を植民地化するのは正当だったという見解と、日本はアジアを植民地から解放するために戦ったという歴史観とは、どのようにして両立できるのでしょうか。むしろ実際には、日本が自国の植民地だった朝鮮・台湾を決して解放しなかったという事実が、アジア解放のための戦いという主張の偽りを、あますところなく暴露しているのです。このような偽りの歴史を教えて日本という国家への誇りを育てようなどという考え方がひろがるならば、それはアジア諸国民から大きな警戒感をもってうけとめられるでしょう。そして、侵略戦争と植民地支配を美化する数々の政治家の妄言をのりこえて、アジアとの友好と信頼の関係をきずくべく積み上げられてきた努力を無に帰する結果となるでしょう。それは日本の将来に大きな不幸をもたらすものです。
 第3は、「つくる会」の教科書の宣伝・採択活動そのものが政治運動化し、教育にたいする政治の介入を禁じた教育基本法に違反する事態となっていることです。すでに「つくる会」の教科書と同一の著者による『国民の歴史』が、教科書採択にかかわる関係者を含めて大量に無料配布され、教育長が校長に配布した事例さえ明るみに出ています。最近では、やはり同教科書著者の著作物が全国の教育委員に無料贈呈されていることも明らかになっています。これらは、教科書の公正な採択を確保するために設けられた宣伝規制に違反する無法行為です。さらに最近、千葉県議会などで教科書採択に関する決議が行われ、これを推進した側の議員がこの決議にそった内容の教科書を採択する義務があるなどと広言しています。これは、教育への政治的介入を意図するものであり、教育基本法違反の行為です。また「つくる会」の関係者らが、みずからの教科書採択を有利に運ぶためか、各地でいっせいに教科書採択から現場教師の意見を排除するよう求める請願を出していますが、これは教育の条理に反する主張であるだけでなく、この教科書の採択運動が一種の政治運動化していることの証左でもあります。
 特定の教科書についてのこのような採択運動が行われたことも、いまだかつてないことです。豊富な資金源をもつ政治運動によって教科書採択がゆがめられるのを許さず、公平な条件のもとで、教育現場の意見を十分に尊重した教科書の採択を実現することが急務となっています。行政改革委員会の答申も、現場の意見が生かせる学校ごとの採択に将来的には移行すべきであることをうちだしています。
 第4は、従来から発行されていた教科書の新版に、不自然な変化がおこっている問題です。一部の新聞で報道されたところによれば、検定申請された中学校歴史分野の教科書8点のうち5点で、申請段階ですでに「従軍慰安婦」の記述がなくなっているということです。また、多くの教科書で、南京事件の記述から殺害された人数の記述が消えたともいわれます。
 1997年から使用開始された現行の中学校歴史教科書7点には、すべて「従軍慰安婦」についての記述があります。これが1997年版から記述されるようになったのには、根拠がありました。それは1990年代にはいって戦後補償の要求がアジア諸国民から提起され、その課題をうけとめた歴史事実の研究と教育実践がすすんだことです。さらに1993年8月の河野官房長官談話が、慰安婦に関する事実を認め、謝罪の意志を表明し、かつ教育を通じて過ちを繰り返さないようにする決意を表明したことです。だからといって、教科書に「従軍慰安婦」を載せるべきだなどという政治運動は一切なく、「従軍慰安婦」の記述は著者の自主的判断によるものということができます。
 では今回の記述削除はどのような根拠のもとに行われたのでしょうか。歴史事実の研究の上で客観的な事情の変更はなく、政府の見解もとくに変わってはいません。また、中学生の発達段階と「従軍慰安婦」の教材としての価値についての実践と研究でも、とくにこの3年間に事情が変わったとはいえません。したがって多くの教科書でいっせいに記述の変更がななされた根拠はきわめて薄弱です。この間に事情が変わったのは何かといえば、「従軍慰安婦」を教科書に載せるなという大きな政治運動がおこったことです。こうしたなかでおこった記述の変更の真の理由は何なのか、明らかにされるべきであり、関係者にはそれを明らかにする義務があると考えます。なぜならば、文部省による教科書検定制度は、批判されるべき点が多いとはいえ、一応法的に制度化されたものです。ところが今回、ある特定の箇所で多数の教科書の記述がいっせいに変更されたのは、決定的な根拠も明らかにされぬまま、検定制度とは無関係に行われたものです。法的手続きをふむことなく、なんらかの圧力によってこのような事態がおこったのだとすれば、それは法治国家として許されない問題であるからです。
 以上に述べたような事態を前にして、私たちはこの問題の重要性、危険性をひろく訴え、広範な世論の力にもとづいて、このような事態を是正し、憲法・教育基本法にもとづく教科書づくりと教科書採択の実現のために、各地域でとりくむ決意をここに表明します。
   2000年8月1日
歴史教育者協議会第52回全国大会会員総会

声 明
石原慎太郎東京都知事の発言に抗議する声明

 去る 49日に石原都知事が陸上自衛隊練馬駐屯地で行った発言は、日本国憲法をふみにじり、在日外国人の人権を乱暴に侵害する許しがたいものである。その後も、各方面からの抗議や問題の指摘にもかかわらず、開き直りと弁明に終始し、今回の発言について根本的に反省する態度をまったく示していない。よって私たちは、次の点について厳重に抗議する。
1.「三国人」なる用語の使用をはじめとする在日外国人にたいする蔑視発言に抗議する。

2.在日外国人が非常災害時に暴動をおこすなどという根拠のないデマを公言したことに抗議する。それは関東大震災時に軍・警察が流した流言により、多くの朝鮮人・中国人などが虐殺されたことを想起させるものである。

3.これらの結果、国民のなかに誤った排外主義的感情を広め煽りたて、在日外国人の人権を侵し、その心を傷つけたたことは許しがたく、その責任はきわめて大きい。それは国際的な信頼と友好の関係を大きく傷つけたものである。

4.自衛隊を「国家の軍隊」とよび、軍隊の価値を国民に示せと述べたことは、日本国憲法を無視した憲法違反の発言であり、公務員としての憲法順守義務に違反する許されない行為である。

5.9月に行う防災訓練を、治安出動訓練のための陸海空3軍の大演習として行うなどと公言し、かつまた、これがアジア諸国への威嚇行動になるとかねて雑誌等で発言してきたことは、本来住民の安全のために行われるべき防災訓練の目的をねじまげて、これを日本の軍国主義化のために利用し、ひいては、国際的な平和・友好・信頼を著しく阻害するものである。

 以上に問題を指摘したような石原都知事の発言は、日本国憲法の理念をかたちづくっているアジア侵略戦争への反省と、平和・民主主義の社会建設への展望をまったく欠いたところから生じたものである。これは重要な公職である知事の資格に欠けるものといわなければならない。 21世紀にむけて平和な世界と民主的社会の実現を願う立場から、私たちはこのような発言に厳重に抗議するとともに、日本国憲法下における首都東京の知事として当然求められる明確な反省に立脚した発言の撤回と謝罪を行い、自らの責任を明確にすることを求めるものである。
                             2000 424
                             歴史教育者協議会

声 明
天皇在位10年「奉祝」と「日の丸・君が代」の押しつけに反対します

 政府は、9月28日、天皇在位10年にあたり「国民こぞってこれを祝うため」記念式典を行うとともに、「各省庁においては、式典当日国旗を掲揚するとともに、各公署、学校、会社、その他一般においても国旗を掲揚するよう協力方を要望するものとする」ことを閣議決定しました。これにそって、すでに各省庁のもとで多くの記念行事が計画されています。

 天皇在位を記念する行事は、戦前の大日本帝国憲法のもとでは行われたことがなく、昭和天皇在位50年、60年の記念行事が戦後はじめて行われたのみです。当然、在位10年という記念行事は、戦前・戦後を通じて、近代日本の歴史上はじめての行事となります。主権在民を定めた日本国憲法のもとで、なぜ、このような天皇をたたえる行事を、戦前以上の規模で回を重ねて行い、国民全体に祝意を強要し、「日の丸」掲揚を強制するのでしょうか。

 ここには、慎重審議を求める世論を無視して強行成立させた国旗・国歌法を、この機会に最大限活用し、国民全体への「日の丸・君が代」の押しつけを一挙に強めようとする意図をみてとることができます。それは同時に、異論や批判を許さない社会的雰囲気をつくりだして、国民全体を国家のもとに統合し、国家につくす人づくりを社会全体でおしすすめることでもあります。そのいきつく先は、戦争のできる国づくりにほかなりません。その意味で、国旗・国歌法は、新ガイドライン=戦争法をふまえ、天皇在位10年と一体のものとして成立させられたものといえます。 このようなねらいのもとに行われる天皇在位10年記念行事に、私たちは反対します。そのなかでの「日の丸・君が代」の押しつけ、強制は、当然許されません。とくに学校における「日の丸」掲揚は、学習指導要領にもなんらの記載がなく、どんな立場からみても強制されるべきものでないことは明らかです。

 そもそも、日本国憲法は主権在民を基本原則としています。天皇は「象徴」としての非政治的地位を与えられているに過ぎません。このような今日の天皇および天皇制についてどのように考えるか、「国民こぞって」祝意を表すべき対象とみるかどうかは、憲法が保障する思想・表現の自由に属する問題であり、実際に多様な考え方があり、それらはいずれも許容されるべきものであることは当然です。したがって「国民こぞって」の祝意の強要は許されません。このようなことがまかりとおるならば、日本国憲法の主権在民の原則は空洞化され、「君が代」の意味の政府解釈がいうところの「天皇の国」となる道をひらくことになります。

 私たちは、憲法の主権在民の基本原則を守る立場から、天皇在位10年記念行事に反対します。

  1999年10月24日 歴史教育者協議会


声 明

 国旗・国歌法の成立に抗議し、日の丸・君が代の強制を許さないため、議論と運動をさらにひろげよう

 89日、衆議院・参議院あわせてわずか28時間の審議を行ったのみで、ついに国旗・国歌法の成立が強行されました。このみじかい審議のなかでは、日の丸・君が代が近代日本の国民にとって、またアジア諸国民にとってもつ歴史的意味や、君が代の歌詞がもつ意味、日の丸・君が代の強制によってもたらされている数々の問題点、さらには国旗・国歌そのもののもつ諸問題など、日の丸・君が代法制化にかんする多くの疑問点がなんら解決されませんでした。それにもかかわらず、国旗・国歌法を強引に可決成立させたことにたいし、私たちはつよく抗議します。

 国旗・国歌法案が国会に提出されてから後の各新聞・テレビなどの世論調査によって、国民の過半数が今国会での成立に反対していることが明らかになりました。その結果、政府が国旗・国歌法案提出の根拠としていた「国民に定着しているから」という論理は完全に崩れ去りました。そのため参議院では、定着していないからこの法律によって国民に定着をはかる必要がある、教員とくに公務員は法律を遵守して子どもに指導する義務があり、それを拒否する自由を憲法第19条は保障していないなどとの開き直った答弁が政府当局によって行われました。このことは、国旗・国歌法によって日の丸・君が代の押しつけをいっそう徹底させたいという政府・自民党の本音をあらわにし、子ども・国民の内心の自由を侵してはばからない意図を明らかにしたものです。このような開き直り答弁を根拠に、日の丸・君が代についての議論まで封じ込めて学校での強制をいっそう強めたり、一般社会での集会や行事などにことさらに日の丸・君が代を持ち込んだり、君が代を歌わない者を排除したりするようなことがおこることが当然に予想されます。このような一人ひとりの内心にまで土足で踏み込むようなことは到底許されないことを、あらためて明らかにしておかなくてはなりません。

 国民多数の世論に反してまで、なぜいま国旗・国歌法の成立を強行し、日の丸・君が代の強制を徹底させようとしたのでしょうか。さきの国会では、すでに新ガイドライン関連法をこれまた国民多数の疑問や反対を押し切って強行成立させています。これはアメリカの行う戦争に日本を自動的に参戦させ、しかも民間の人も施設もそのために強制的に動員しようとするものです。このようななかで、日の丸・君が代をすべての子ども・国民に急いで「定着」させようとするのは、国家意識を高め、国家に奉仕する人づくりをすすめて、国民全体を新ガイドラインにもとづく戦争参加にかりたてるためではないでしょうか。私たちは、日本国憲法の民主主義と平和の原則に反する国旗・国歌法のねらいに、強く反対します。

 しかし、国旗・国歌法の成立によって日の丸・君が代問題に決着がついたわけではありません。むしろ今後に残された問題が数多く存在することを指摘しておかなくてはなりません。

 第1に、憲法第19条が保障する思想良心の自由の問題は、そのなかに内心を表明する自由とともに、表明しない自由、表明を強制されない自由を含むことが、この間明らかにされてきました。だとすれば、例えば君が代の起立斉唱を求めることが、このような内心の自由を侵すことは明らかであり、君が代の起立斉唱を求めること自体の是非が問われなければならないことになります。この点を学校はじめあらゆる場で討論し、正しい結論を導き出さなければなりません。

 第2に、政府も子どもの内心の自由を侵してはならないことを認めざるを得ませんでした。だとすれば、日の丸・君が代の学校での取り扱いのなかで、子どもの内心の自由を保障するとはどういうことなのかを明らかにしなくてはなりません。その場合、当然に、子ども自身に君が代を歌う自由も歌わない自由もあることを告げなくてはならないはずです。一方で文部省が学習指導要領にもとづいて、子どもにたいする日の丸掲揚・君が代斉唱を指導すべきであるというとき、子どもの内心の自由を保障することとの矛盾をどう解決するのかを明らかにしなくてはなりません。

 第3に、そのことも含め、日の丸・君が代を子どもたちにどう教えるのかという課題がなげかけられています。政府答弁もその必要性を認めています。その場合、どのように教えるかについての自由な議論と、それをふまえた教職員の合意にもとづく教育の自由が保障されなくてはなりません。教育内容について、政府や特定政党の見解のみを一方的に教えることが強制されるようなことがあってはなりません。

 第4に、国旗・国歌法そのものには、尊重義務規定がなんらもりこまれなかったことを、あらためて明らかにしておかなくてはなりません。したがって、国旗・国歌法の成立そのものが学校での強制にこれまでとは異なるなんらかの新しい根拠を与えるものではないことも、はっきりさせておく必要があります。

 第5に、そこで学校での強制の根拠として文部省や教育行政が示しうるのは、従来とおなじく学習指導要領しかありません。法が尊重義務を定めていないのに、法律でもない学習指導要領によって強制できるなどということは、到底成り立ちません。しかも文部省が主張する学習指導要領の法的拘束力の根拠はきわめて薄弱であり、学界においてもそれを認める見解は少数です。この種の教育内容にたいする国家の介入については、最高裁判決でも抑制的でなければならないことを明らかにしています。

 第6に、したがって以上の論点をふまえ、学校での日の丸・君が代の強制の問題点については、あらためて深い議論がなされるべきです。国旗・国歌法の成立を根拠に、このような未解決の問題について議論することそのものまで封じ込めるようなことがあってはなりません。

 去る811日、大阪府の吹田市議会は、政府にたいする「『国旗・国歌』の取り扱いに関する意見書」を全会一致で可決しました。そのなかで「学校における指導や国民の内心の自由との関係の問題は、法成立とは別の次元で、広く国民的議論を深めるべきものである。」と述べ、そのうえで「『国旗・国歌』の取り扱いに当たっては、国民の内心の自由の保障等に留意するよう要望」しています。このことは、重要かつ適切な指摘です。私たちもこのような形で、それぞれの地域で議論がひろがり深まることを求めていきたいと思います。

 第7に、国旗・国歌とはどのような場面で使用されるべきものなのかについても、さらに議論を深める必要があります。国旗・国歌法の成立は、国旗・国歌の無制限な使用や、それにともなう明示または暗黙の無制限な強制を許すものではありません。

 私たちは、これらの残された問題にこれからもねばりづよくとりくんでいきます。そのなかで私たちは次のような具体的な問題についてもひろくよびかけ、さらに大きな議論と運動をひろげたいと思います。第1に、日の丸・君が代の強制は基本的人権を侵すものであり、一切やめさせることが基本的に大切だと考えます。第2に、学校への強制のもとになっている学習指導要領の日の丸・君が代強制条項は削除されるべきだと考えます。そして第3に、数々の疑問と批判を押し切って日の丸・君が代を国旗・国歌と定めた国旗・国歌法の廃止を求めていくべきではないでしょうか。

 国旗・国歌法案が国会に提出されてからきわめて短期間のあいだに、思想信条の違いをこえて法制化反対の運動が大きく結集したこと、いままで日の丸・君が代強制のおもな対象だった学校の枠をこえてより多くの人々のあいだにこの問題への理解と関心がひろがったこと、それらの結果として、短期間に国民世論が大きく法制化反対に動いたことなどは、これからの運動におおきな展望をひらくものです。私たちはこのことに確信をもち、さらにおおくの人々との対話と連帯をひろげ、日の丸・君が代問題、国旗・国歌問題の正しい解決のためにいっそう努力することをここに表明します。

 199999

歴史教育者協議会


「国旗・国歌法案」の衆議院通過に抗議し、参議院での廃案を求める決議

 7月22日、衆議院はわずか13時間の審議によって、「国旗・国歌法案」を可決しました。国旗・国歌の法制化という、国民全体にかかわる重要な問題であることはもちろんのこと、近隣アジア諸国との間の歴史的経過とも関連して、少なくない在日外国人にとっても重要な意味をもつこの法案について、きわめて短時間の審議によって採決が強行されたこと自体、きわめて異常なことといわなければなりません。しかも、その短い審議のなかにおいてさえ、少なくとも次のような問題点が新たに浮かび上がっています。

 第1に、「君が代」の意味について、「君」は象徴天皇を示し、「代」は国を示し、「君が代」全体は「天皇を象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの」とする見解が示されました。しかし、「君が代」の歌詞の意味をこのように解釈すること自体に相当の無理があるばかりでなく、「君が代」が結局は「天皇の国」を示すことになることと国民主権を定めた日本国憲法の根本理念とをどのように整合的に説明しうるのか、まして、このような複雑きわまる解釈をどのように児童生徒に教えることができるのか、納得できる説明が与えられていません。

 第2に、日本国憲法第19条にかかわる「内心の自由」の問題が議論の俎上にのぼりましたが、児童生徒への強制について許される指導と許されない指導との区別についての政府答弁自体も不明確なものであり、とうてい多くの人を納得させるものではありません。また、教員とくに公立学校教員にたいしては、公務員である以上法律を遵守すべきであり、児童生徒にたいする国旗掲揚・国歌斉唱についての指導は当然行うべきものであるとの見解が示されていますが、ここには、教員にたいしても公務員にたいしても一市民として当然に保障されるべき「内心の自由」についての顧慮がまったくなされておりません。それだけでなく、なんらの尊重義務規定がもりこまれていない国旗・国歌法案によって、なぜ政府見解に示されたような児童生徒への指導義務が生ずるのかという問題についても、なんらの解明がなされておりません。さらに、児童生徒であれ、教員であれ、内心を表明する自由とともに、内心を表明しない自由、その表明を強制されない自由を当然に保障されるべきですが、儀式における「君が代」の起立斉唱の実施それ自体がこのような内心の自由を侵すことになるという問題についても、解明されていません。これらの問題は日本国憲法の基本原則にかかわる重大な問題です。

 これらの基本的な問題点について、政府側からほとんど具体的回答が示されず、なんの具体的解明もなされていないことは、きわめて重大です。むしろ政府側は、これらの問題についてまともな説明を自信をもって行うことが不可能になっているというべきでしょう。だからこそ、審議を極力避けてひたすら採決を強行する挙に出たのではないかとの疑いを強くもたざるを得ません。今国会における国旗・国歌法案の審議がつくされていないことは明白です。

 このような状況は、国民世論にもおおきく影響し、最近、新聞・テレビが行ったあらゆる世論調査において、今国会での「日の丸・君が代」法制化に反対する意見が過半数をしめるにいたっています。いまや国旗・国歌法案は国民の支持を明らかに失っています。政府が同法案提案の重要な根拠の一つとしてきた国民への定着という主張も、すでに成り立たなくなっています。このような事態を前に、すでに会期末まで残すところわずかになった今国会で参議院がなすべきことは、もはや国旗・国歌法案を廃案とする以外にありません。よって私たちは、国旗・国歌法案を参議院において廃案とすることを、強く求めるものです。

 同時に私たちは、「日の丸・君が代」問題の核心の一つが、学校における強制にあることを重ねて指摘するものです。さきに指摘したような日本国憲法の基本的人権保障の理念と相反する事態が現実に繰り返されています。最近も、「君が代」の伴奏をしなかっただけで、音楽担当の教員が戒告処分を受けるという事件が東京都でおこっています。国旗・国歌法案が、憲法に反し個人の内心の自由を侵害するこのような状況をさらに強める効果をもたらすだろうことは、必然です。私たちは、日本国憲法の理念にしたがって、「日の丸・君が代」強制の違憲・違法をこれからも問い続ける決意です。そして「日の丸・君が代」の強制をやめさせるために、学習指導要領の「日の丸・君が代」強制条項の削除を求めるものです。

「日の丸・君が代」法制化問題を契機に、「日の丸・君が代」をめぐる諸問題への関心と理解が多くの人々の間にひろがったことは、今後の「日の丸・君が代」問題、ひいては国旗・国歌問題の解決のための大きな力となることを、私たちは確信します。国旗・国歌法案の成否のいかんにかかわらず、問題は今後に残されていくことはまちがいありません。「日の丸・君が代」の問題点、その強制がもたらす問題点、さらには国旗・国歌のありかた等の諸問題について、私たちは引き続きねばりづよく多くの市民と子どもたちの間で議論の輪をひろげ、これらの問題の正しい解決のためにいっそう努力する決意です。

 1999年8月1日

歴史教育者協議会第51回全国大会会員総会


富本銭鋳造等古代総合工房遺構である飛鳥池遺跡の保存を求める決議

 富本銭の鋳造をはじめ古代総合工房遺構である飛鳥池遺跡は、奈良県が進める「万葉ミュージアム」建設予定地の発掘からの大発見である。県は、万葉集をテーマにした日本画展示室や万葉世界を実感できるコーナーなどを設け、「古代文化に学び顕彰する施設」として「村の活性化」も謳い文句に2000年秋開館をめざしている。

 飛鳥池遺跡は、1991年からの調査で、日本の本格的な最初の寺院である飛鳥寺に近接し、寺建設にかかる6世紀後半の遺構に始まって、8世紀前半に及ぶ巨大な工房群を含むまさに日本古代律令国家形成過程を明らかにする遺跡であることが明確になってきている。

 飛鳥古京・藤原京跡から発見された数の半分以上に及ぶ8000点に近い大量の木簡からは、「天皇」と記されたものや大伯皇女の宮にかかわるもの、新嘗や大嘗の祭祀関係のものなど、天武・持統朝など古代史に貴重な問題を提起するものが多く発見されてきた。

 注目されるのは、富本銭発見に代表される炉跡・工房群跡の発見である。工房は4千平方メートル近くにも広がっており、金・銀・銅・鉄・ガラス・メノウ・水晶・漆などの工房が群をなして発見され、炉跡だけでも発見はすでに200を越えている。玄奘三蔵の弟子道昭が創建した飛鳥寺東南禅院の屋根瓦を焼いた瓦窯跡や近世の梵鐘もここで鋳造されたことも明らかになった。

 飛鳥池遺跡は、日本最古の金銀工房を含む総合工房であった。これだけの業種が1か所で発見された遺跡は他にはなく、規模も群を抜くものである。大陸から直接輸入された当時の最先端の生産技術や生産集団を解明するうえでもきわめて重要な遺跡である。

奈良県は、この第一級の遺跡といえる飛鳥池遺跡の上でのミュージアム建設に固執している。7月23日、奈良県は現地説明会を行い、発掘調査の結果、富本銭の数多くの鋳型が発見され、この地での鋳造が確認されたことを公表した。しかし、同日その直後に、「設計変更後の本格着工」を表明し、現地建設に固執する態度をとり続けている。

 保存を求める大きな世論の高まりに押されて、奈良県はミュージアム建物の「位置変更」や「設計変更」を行う、「遺構の復元展示や出土品の実物展示等の創造的活用」を行うなどと美辞麗句をならべてはいるが、飛鳥池遺跡の性格にふさわしい全面的な保存と活用にはほど遠いものである。

 明日香保存法の以前から、農業を中心に村を守ってきた明日香村民の中に、飛鳥保存を考える組織が生まれた。「すばらしい飛鳥池遺跡をこわして、ミュージアムと言えますか」との声は日に日に大きくなってきている。「飛鳥池遺跡の保存と活用こそが村の活性化につながる」との合意が村に広がっている。考古学界、歴史学界、そして多くの市民の中にも保存を求める声が今大きく全国に広がっている。

 私たちは、今後とも飛鳥池遺跡の保存と活用の運動を進める一翼を担うことを宣言するとともに、当局に対して次の通り要望するものである。

1.飛鳥池遺跡を十分に調査し、その保存と活用をはかること。

 そのため、国史跡に指定し、飛鳥池遺跡公園として整備すること。

2.とくに学校教育・社会教育で十分に活用できるよう、必要な措置をとること。

3.「万葉ミュージアム」の建設は、明日香村内で他の適地を検討すること。

4.発掘調査の各段階ごとの「現地説明会」を緻密におこなうこと。

   1999年8月1日

歴史教育者協議会第51回全国大会会員総会