4月28日政府主催「主権回復」記念式典開催の中止を求めます

By | 2013年3月31日

3月7 日の予算委員会で安倍首相が「本年4月28日( サンフランシスコ平和条約発効日)に、政府主催の記念式典を実施する方向で検討している」と表明したことに対し、多くの人々が驚愕し怒りを表しています。

安倍首相は、「条約が発効し、わが国は主権を完全に回復した。独立を手に入れたわけだ」と強調しています。しかし、サンフランシスコ平和条約第3 条で沖縄、奄美、小笠原などの島々は、独立どころかアメリカの施政下に置かれました。さらに、サンフランシスコ講和会議には、日本が植民地として支配した朝鮮半島の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国、日本が侵略した中国は参加できませんでしたし、ソ連は条約に調印していません。日本国内では単独講和に反対して全面講和を求める大きな運動がおこりましたが、日本政府はそれを無視し、サンフランシスコ平和条約を締結し、さらに日本がアメリカの従属下に置かれる日米安保条約も締結しました。その結果結ばれたサンフランシスコ平和条約は日本にとっては「屈辱の条約」であり、その後のアジア諸国との葛藤の火種を残した条約となりました。日本の領土問題は未解決として残り、その後沖縄では、米軍基地建設のために「銃剣とブルドーザー」による土地強奪が行なわれ、「基地の中の沖縄」の苦しみと闘いの原点にもなりました。沖縄県祖国復帰協議会ではこの条約が発効した日を「4・28沖縄デー」として、毎年復帰要求県民大会を開き、沖縄と与論島間の北緯2 7 度線上で海上集会をもち、本土代表と闘いの連帯を固める日にしてきたのです。

「基地のない平和な島を」という人々の願いは、復帰から41年目の今なお実現していません。沖縄では米兵による犯罪は後を絶たず、県民は基地被害に苦しんでいます。2012年9 月9日の欠陥機「オスプレイ」の配備強行に反対する沖縄県民集会には、宮古・八重山の離島に住む人々を含め10 万3 千人に上る人々が参加しました。大会決議で、「沖縄県民は、米軍基地の存在ゆえに幾多の基地被害をこうむり、1 9 7 2 年の復帰後だけでも、米軍人等の刑法犯罪件数が6千件近くに上るなど、米軍による事件・事故、騒音被害も後を絶たない状況である」、「沖縄県民はこれ以上の基地負担を断固として拒否する。そして県民の声を政府が無視するのであれば、我々は、基地反対の県民の総意をまとめ上げていくことを表明するものである」と述べています。

日本とアメリカの同盟強化をはかる政府は、3月22日に辺野古埋め立て申請書を沖縄県に抜き打ちに提出し、県民の怒りをいっそう高めました。このような沖縄の状況は、まさにサンフランシスコ平和条約にその根源があるのです。

私たち歴史教育者協議会は、沖縄の復帰以前から沖縄の現実を学ぶ実践に取り組み、機関誌で特集を組んできました。沖縄が復帰した1972年と、戦後50年の1995年には沖縄で大会を開催しました。ここではサンフランシスコ平和条約と安保条約との関連の中で沖縄の置かれた現実をどう教えるかを議論してきました。また、日本の戦争を自衛戦争だったとする歴史の偽造が進められ、教科書検定で「強制集団死」の記述を変更させられたことに対し、その復活を求め、大江岩波沖縄戦裁判勝利のための支援運動に取り組んできました。沖縄県歴教協は、琉球文化や沖縄戦の悲劇や基地の実態を調べ、学び、伝える実践に取り組むとともに、基地建設反対、沖縄の自然を守る運動に積極的に加わってきました。

安倍政権は、日本国憲法96条改悪を突破口に、戦争放棄を明記した憲法9条の改悪をめざしています。平和条約締結60年を経て、4月28日を「主権回復の日」とする狙いは、独立国として「自主憲法」を持とうと主張し憲法改悪へ世論を誘導しようとすることにあります。サンフランシスコ平和条約は、戦争を拒否し平和追求を明記した日本国憲法と逆行し、沖縄を切り捨てた日米安保体制と対米従属の出発点になった条約です。その発効日を「主権回復の日」として祝うことは、歴史の真実に反することです。日本国憲法を生かし、地域に根ざした平和・民主主義の実践に取り組んでいる歴教協は、「4月28日主権回復の記念式典」の開催を中止することを強く求めます。

2013年3月31日
一般社団法人歴史教育者協議会臨時社員総会