<最近の声明>



震災・原発、被災者の立場にたった教育を進めましょう
『江戸から東京へ』―政治家の意向を受けて内容が変えられる『教科書』があってはなりません
4月28日政府主催「主権回復」記念式典開催の中止を求めます
河村たかし名古屋市長の南京事件否定発言に抗議し撤回を求める
大阪の「教育基本条例案」の撤回を求め、幅広い運動を呼びかけます(2011/12/18) 
▼【大会声明】「日の丸」「君が代」の強制を許さず、思想良心の自由・教育の自由を守りぬこう
▼【大会声明】震災・原発事故を子どもたちと語り、学びあおう(2011/07/29)
緊急アピール:育鵬社版・自由社版教科書は子どもたちに渡せない(2011/07/22)

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 河村たかし名古屋市長の南京事件否定発言に抗議し撤回を求める
―あわせて、南京事件の事実を知る学習を広く呼びかける―
 2012年2月20日、河村たかし名古屋市長は、姉妹友好都市である南京市の共産党市委員会訪日代表団との懇談の場で、南京事件について「通常の戦闘行為はあったが、虐殺といわれるような南京事件というものはなかったのではないか」と述べました。この河村市長の発言に対し、国内外から批判の声が上がり、南京市は、河村市長が南京大虐殺の史実を否定し南京市民の感情を傷つけたとして、名古屋市との交流の停止を表明しました。河村市長はその後も、市議会や記者会見で、「30万人もの非武装の市民に、旧日本軍が大虐殺をしたとは思っていない」と、南京事件否定発言を繰り返しています。

 南京事件(南京大虐殺)は、1937年12月に日本軍が当時の中国の首都南京を占領する前後に、中国人の捕虜、一般市民などを大量に虐殺した事件です。殺害、放火、強姦、略奪などの残虐行為は、南京占領前後3か月以上にわたり続きました。その事実は、南京市内外に住む多くの目撃者や生存者によって、語り継がれ、南京市民に記憶されています。また、陣中日誌や個人の日記・手紙など日本軍兵士によって残された証言や書かれた記録、南京国際安全区にいたドイツ人ジョン・ラーベやアメリカ人宣教師マギー牧師の証言やフィルム映像など、多くの歴史資料によって明らかになっています。
 殺害された正確な人数を確定することは、たいへん困難です。しかし、今まで調査・研究を積み重ねてきた研究者は、陣中日誌などに記された捕虜などを殺戮・処刑した人数累計や、中国側の資料による南京の兵員数の研究、犠牲者の埋葬記録の再調査などから、8万人以上の捕虜が虐殺され、民間人の殺害とあわせて10数万人以上が犠牲になったと推定しています。

 南京事件は、日本政府も公式見解で事実を認めています。日本政府が提案して2006年(安倍内閣当時)から始まった日中歴史共同研究の報告書には、日中戦争が日本の侵略戦争だったという基本的な認識の上にたち、日本側も南京虐殺を歴史的事実として叙述し、中国側は虐殺行為の内容について、日本側は原因を中心とした分析を報告しています。
 また、1999年に東京地方裁判所で出された「731・南京大虐殺・無差別爆撃事件訴訟」(伊藤剛裁判長)の判決では、南京事件について「11月末から事実上開始された進軍から南京陥落後約6週間までの間に、数万人ないしは30万人の中国国民が殺害された。いわゆる『南京虐殺』の内容等につき、厳密に確定することは出来ないが…『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いないところというべきであり」と事実認定が示されています。歴史の事実は政府の公式見解や裁判所の判決で決まることではありませんが、南京事件が、政府や裁判所も否定できない事実であることは明らかです。
 河村市長の「虐殺はなかった」との発言は、敗残兵でも投降者でも中国兵であり「通常の戦闘行為」にちがいないという一部の論調と軌を一にするものです。しかし、戦意を失って捕虜となった人々を殺害した具体的な内容は、戦闘行為とはほど遠い文字通りの虐殺にほかならないものです。

 私たちは河村市長に対し強く抗議し、直ちに発言を撤回し、中国国民および日本国民に対して、正式な謝罪を行うことを求めます。

 現在、見逃せない重大なことは、自治体の長や政治家が、河村発言を支持する姿勢を示していることです。大都市や国の政治家の発言の影響力は大きく、アジアの人々の大きな不安や批判を招いています。「新しい歴史教科書をつくる会」も、政治家や有識者を集め、河村発言を支持し、南京事件はなかったとする国民運動を広げることを表明しています。2011年教科書採択では「つくる会」系の中学校歴史教科書が採択率を上げましたが、河村発言に力を借りて、戦争賛美、アジアの国々蔑視の歴史教育を広げようとする、こうした動きを止めなくてはなりません。
 私たちは、南京事件の事実をしっかりと学び、このような発言、動きを許さない世論を形成していくことを広く呼びかけます。新聞をはじめとするマスコミが、南京事件の研究をきちんと取材して報道し、国民が事実を学ぶために、積極的な役割を果たしていくことを強く求めます。
私たち歴史教育協議会では、今日まで、南京事件の研究から多くを学び、歴史教育の実践を行ってきました。子どもたちが歴史の事実を学び、東アジアの平和な未来について考えていくことができるように、さらなる研究と実践交流を、広く進めていきましょう。

2012年3月25日
一般社団法人歴史教育者協議会社員総会(代表理事山田朗)PDFファイル             


 大阪の「教育基本条例案」の撤回を求め、幅広い運動を呼びかけます

  今日の日本の政治は、大きな役割を果たすことが期待されるにもかかわらず混迷を深めてい ます。背景には、原発に象徴されるエネルギーの問題、経済のあり方など、世界も日本もひと つの大きな転換期を迎えていることがあります。こうした中で、社会のあり方に大きな影響力 を及ぼす教育に政治が口を挟もうとすることがおこりがちです。大阪の「教育基本条例案」は まさにそうしたものです。その前文では、日本では行政と教育の関わりが抑制されすぎている、 選挙の結果として誕生した知事や議会が教育に関わるのは当然で、そうしないと大阪の教育は 世界から取り残されるなどと述べ、条例全体を通して、知事や議会が教育を動かそうとするも のとなっています。
  これは、見過ごしてはならないものです。政治と教育の関わりがどうあるかは、文字通り未 来を生きる子どもたちに大きな影響をもたらす問題です。私たちは、将来に禍根を残さないよ うにしなければなりません。

  敗戦後の1947 年に制定された教育基本法では、教育への政治の権力的な介入を強く戒め、 教育行政の役割を「諸条件の整備」に限定しました。これは、戦前の日本では政府が教育を統 制し、国の政治に無批判に従う国民が生み出されてきたことを強く反省したからです。戦前の 教育の結果、多くの国民は相手の国の人々のことなどを考える機会もなく「天皇は神様だ」「日 本は正しい戦争をやっている」「負けるはずがない」などと信じこまされて、戦争に無批判に 協力し、国の内外で大きな犠牲を生みました。国策に従順であることが結果として大きな過ち を生み出したことは、今日の原発をめぐる問題でも同様です。「原発は安全」「事故が起こる はずがない」という教育が進められ、異論は排除され、本当に必要な原発に関する教育が行わ れないできました。私たちは、痛恨の念を持って、今回のような事故を起こさないための知恵 を育てる教育の必要性を痛感しています。

  政治が教育を動かすとき、必ずといっていいほど、都合の悪いことを規制したり力ずくで排 除したりします。今、あらためてこの戦後日本の教育の出発点の原則を確認する必要がありま す。2006 年に改定された教育基本法でも、「教育は、不当な支配に服することなく」という文 言が残され、政治的な力が教育を動かすことを戒めています。私たちは、日本社会の民主主義 の原理原則の問題として、この条例案は制定されてはならないものと考えます。

  また、この条例案では、文字通り力ずくで学校を経営するための手段を定めていることも見 逃せません。知事が決めた目標を受けて教育委員会が指針をつくり、それを校長が具体化して 「幅広い裁量を持って学校運営を行う」としています。教員はその校長の運営に従わなければ ならず、さらに「同一の職務命令に対して三回目の違反」をした教員に対しては「免職」の処 分をするという、校長の方針と合わない教員を力で排除することが記されています。
  こうした中で、教員だけでなく子どももまた、まるで「コマ」のように教育の方針によって 自由に動かすことのできる存在とされています。「グローバル社会」への対応を理由に競争を あおり、一人ひとりの子どもの成長を大切にするような発想はみられません。教員を萎縮させ る規則や処分で学校を管理・運営することは、子ども中心の学校づくりが考えられいないこと につながっています。

  この条例案は現在の日本社会の政治と教育の関係の基本を覆すもので、運用を監視すればい いという対応で済ませてはなりません。教育基本法のみならずさまざまな法に抵触することが 文科省からも指摘され、大阪市議会に続き堺市議会でも同様の条例案が否決されています。私 たちは、提案者にこの条例案を直ちに撤回することを要求します。そして、すでに起きている この条例案に反対する動きと連帯し、さらに全国で幅広くこの条例案の撤回を求める運動を進 めていくことを呼びかけます。

 2011年 12月 18日
PDFファイル             一般社団法人歴史教育者協議会理事会/ 常任委員会

「日の丸」「君が代」の強制を許さず、思想良心の自由・教育の自由を守りぬこう
 今年5月以来、最高裁は、東京・広島・北九州での「日の丸」「君が代」強制に関する9件について相次いで判決を出し、すべてについて教職員の側の上告を棄却しました。
 これらは、「国歌斉唱時に教職員が国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること」を命じた通達、校長の職務命令などを「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と規定した憲法第19条に違反しない、と判断したものです。
 一連の最高裁判決に共通する論理は、
@「君が代」起立斉唱は一般的、客観的儀礼的所作である。
A職務命令は思想・良心を直ちに否定するものとはいえないが、間接的制約となりうる。
Bしかし職務命令には、行事の秩序・公務員の職務などから、必要性・合理性があるので許容さ れる、というものです。これは、行政に追随して「憲法の番人」という職責を投げ捨てた不当判決といわなければなりません。

 少数意見の宮川裁判官は、<憲法は個人の多様な思想及び生き方を尊重し、寛容な開かれた社会であることを理念とし、少数者の思想良心を多数者のそれと等しく尊重し、思想・良心の核心に反する行為を強制することを許容していない。「日の丸」「君が代」を軍国主義・天皇制絶対主義のシンボルとみなし、平和主義・国民主権と相容れないと考えている人もいる。起立斉唱しないのは、人権の尊重・自主的思考の大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者としての魂というべき、教育上の信念を否定することになると考えたからだ。職務命令の必要性、合理性を厳格に検討すべきである>(要約)と多数意見に反対しました。
 異例なことに、多数意見12人中7人が補足意見を述べましたが、その多くが強制は望ましくなく、処分には慎重であるべきという趣旨のものです。ここには最高裁が判決に確信を持てず、行政の暴走を追認することへのためらいが読み取れます。

 大阪府では、今年6月に教職員に起立斉唱を義務付ける条例制定が強行されました。「日の丸」「君が代」の強制を梃子に、教職員に対する管理統制、職階制の強化、職員会議の形骸化などを通じて、学校教育を丸ごと支配しようとする動きが強まっています。そのうえ教職員に対する強制にとどまらず、生徒に対する強制も強まっています。多数意見の補足意見にも<肝心なことは、画一化された教育ではなく、熱意と意欲に満ちた教師により、生徒の個性に応じて生き生きとした教育がなされることであろう。本件職務命令のような強制が、教育現場を疑心暗鬼とさせ、無用な混乱を生じさせ、活力をそぎ、萎縮させるというようなことであれば、かえって教育の生命が失われる。>というものがあります。

 一連の判決に意を強くして、反動的な行政が強制に拍車をかけてくることが予想されます。 それを跳ね返し、補足意見や反対意見を裁判官の言い訳とさせず、強制の手を抑える武器にしていかなければなりません。そのためには教職員と保護者・市民が一体となって、強制を許さず、教職員と生徒が自由にのびのびと教え、学べる学校をつくる運動を今こそ広げる必要があります。
 「日の丸」「君が代」関連の裁判はまだ続々と最高裁にかかっています。中でも一審で「通達と職務命令による強制は憲法違反」の判決が出ている東京の「予防訴訟」と、東京高裁が「不起立行為は、生徒に対し自分の歴史観、世界観に基いて正しい教育を行いたいという真摯な動機によるやむにやまれぬ行動だった」として、裁量権の逸脱・濫用を理由に懲戒処分を取り消した「東京『君が代』裁判一次訴訟」の上告審がこれから始まります。憲法と教育を守る運動と一つのものとして、これらの裁判を仲間の輪を広げながら支えていきましょう。(原文 一太郎文)
2011年7月29日
一般社団法人歴史教育者協議会定時社員総会/会員集会

 震災・原発事故を子どもたちと語り、学びあおう
  「おそとであそびたい」と福島の園児が七夕の短冊に書きました。「温かい食事をする、お風呂に入る、洗濯した衣服を着る、仕事をする、というあたり前の生活が被災地にはありません。親は仕事がなくなり収入が入ってきません」と福島県富岡町の中学生が記しています。
  未来に生きる子どもたちは、今後もいつ果てるともわからない放射能の災厄と否応なく向き合って生きていかなければなりません。震災・原発事故の復旧、収束は、遅々として進みません。今回の災害は、東京を中心にした極端な中央集権体制が東北の原発に依存する、という異常な社会によって生み出された人災でもあります。
  なによりも、憲法第13、25条などを中心に、国が社会的使命を果たして復興を進めることが必要です。子どもの権利条約に基づいて、被災した子どもたちの健康に生きる権利や、学ぶ権利を保障することが、今最優先されなければなりません。また、被災地だけでなく全国の教育現場でこの大震災・原発事故から何を学ぶのかが教育上の重要な課題となっています。歴教協が目指してきた主権者意識形成の教育を進めていく必要があります。これまでのエネルギー・原発教育を再検討しましょう。「原発安全神話」は、教科書の中にもはびこっていなかったでしょうか。 すでに、震災・原発事故を教えることを社会科教師の歴史的使命と考え、子どもたちとともに学ぶ実践に踏み出している歴教協の仲間がいます。これらの実践に学びながら、さらに広げ深めていきましょう。
  健康で文化的な生活をおくる権利について、学び深める実践を全国の教師と共に語り合いつくりだしていきましょう。
  「当たり前のことを当たり前に出来る生活の大切さ」を、子どもたちと考え合い、日本の社会を世界の人々のくらしを見つめ直していきましょう。(原文 Word文)
2011年7月29日
一般社団法人歴史教育者協議会定時社員総会/会員集会
 

 緊急アピール:育鵬社版・自由社版教科書は子どもたちに渡せない

 本年は中学校教科書の採択がおこなわれます。かつての「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)の流れをくむ運動は、この採択の機会を最重要視しており、育鵬社版・自由社版の二種のうち、いずれかの教科書が採択されることを目標に、日本会議をはじめとする諸団体は全国的に活動を展開しています。両社版とも既に市販本が売り出されており、この運動の成果を公衆にアピールしている一方で、これら教科書を編集した人たち自身が、他社から発行される教科書を「自虐史観」や「東京裁判史観」にもとづくものであると指弾して、繰り返し誹謗や攻撃をおこなっています。
 私たちは、育鵬社版と自由社版の教科書の、いずれもが子どもたちに渡されないように、これら教科書の採択に反対するものです。

 「つくる会」の手による「新しい歴史教科書」(2001年以降、扶桑社版)は、全般的に基本的な誤りや不正確な部分が多くあり、歴史研究の成果を踏まえない記述に満ちた粗悪なもので、社会的にもたいへん問題になったのは、記憶に新しいところです。非常に多くの間違いや不適切な記述が訂正されないままに、「つくる会」教科書が教育現場に導入されてしまい、このような欠陥教科書を使わされた中学生や教員等が甚大な被害を受けたことは、職能としての歴史研究を重視する諸団体にとっても、痛恨のきわみであったと言わざるを得ません。歴史研究と歴史教育とのあいだで、たいへん大きな問題を抱えこむことになってしまいました。

 育鵬社版・自由社版の教科書は、実質的にこの扶桑社版の後継にあたります。2006年に、「つくる会」は内部抗争を起こして二派に分裂しました。版元の扶桑社が「つくる会」と絶縁したため、2010年度からは、版元を自由社に移して「つくる会」教科書(自由社版歴史教科書)が刊行されています。一方、分裂したグループは「日本教育再生機構」や「教科書改善の会」を結成し、こちらの方は、扶桑社の子会社として設立された育鵬社から、教科書を発行しています。運動の分裂は、結局類似した内容をもつ二種類の教科書の発行をもたらすことになりました。
 扶桑社版と同様に、育鵬社版・自由社版の双方に、重大な問題点があるのを見過ごすことはできません。両社版とも本年の検定に合格しましたが、付けられた検定意見の数がきわだって多いのが注目されます。育鵬社版が150件に自由社版が237件と、歴史教科書全体での平均件数116をいずれも上回っています。さらに両社とも、誤記などの理由で多数の訂正申請を文部科学省におこなっており、さらにこの訂正以後もなお史実誤認や間違いが多く残ってしまうという有りさまです。そもそも歴史研究の成果を教科書叙述に反映する姿勢があるのかさえ、疑問です。

 さらに、次のような問題点も、解消されないままに存在しています。
・全体に民衆のとらえ方が一面的な記述になっています。国家の指導者やいわゆる「偉人」の業績は特筆されていますが、文化や生活の項目以外には民衆の主体的・能動的な姿がほとんど登場しません。
・一方で、取り上げられる有名人物の数だけはこれまでに無いほど多く(育鵬社540名、自由社391名)、学習を困難にしています。この人名数をもって、両社とも学習指導要領に忠実な編集と自負していますが、果たして中学校教科書として取り上げるのに適切な分量といえるのでしょうか。偉人伝を取り上げることによる効果として、改定教育基本法を強く意識しての徳目の教えこみが目指されたもの、と評価できます。

・架空の「神武天皇」について「初代天皇」と記すなど、神話や物語と歴史との関係を誤解させやすい内容です。神話重視、「天皇」重視の記述と、縄文・弥生時代についてさえ一貫して使われている「わが国」といった表現とが相まって、国家形成や支配体制の成立といった問題がまったく不明瞭にさせられています。日本列島地域の歴史は、つねに国家と一体のものであった、という評価を教えこむことがめざされています。

・植民地支配の問題をほとんど書いていません。近隣諸国の脅威、危機感が詳述される一方で、日本による植民地化に至る事実過程は認識しがたい内容になっています。植民地における近代化の功績ばかりを特筆し、支配下にある多くの人びとの苦難については、何らふれるところがありません。アジア諸地域の人びととの相互理解を妨げる、ひたすら内向きの教科書叙述と言わざるをえません。

・近代の戦争についても、侵略や加害の事実を充分理解できるようには記さず、日本国家の正当化に終始する自国中心の記述にとどまっています。育鵬社版・自由社版ともに、日露戦争が諸民族に独立の希望を与えたことを述べ、さらに「大東亜戦争」の時期の「大東亜共栄圏」を特記し、アジアの解放独立を謳ったことに紙数を費やしています。その一方で、アジア太平洋戦争での惨禍については、日本人がわの被害・犠牲についてのみ記し、アジア諸民族の被害については全く無視しています。

・平和教育を敵視し、現代世界における戦争の違法化の動向については重視せず、日本国憲法に規定された戦後日本の体制を変えることを目的とする教科書となっています。育鵬社版は「日本国憲法の最大の特色」として「他国に例を見ない徹底した戦争放棄(平和主義)の考え」としています。自由社版も「世界で例を見ないもの」としており、憲法9条の規定をまったく異例な性格のものと位置づけることに主眼があるようです。9条改憲を射程に入れた、そして日本国憲法を遵守するどころかこれに敵対しようとする、政治的性格をもつ教科書、といえるでしょう。

  10年前に、扶桑社版教科書が登場したときに出された、「緊急アピール」では、次のように述べられていました。「私たちは、今日の学校教育における歴史の叙述は、諸国民、諸民族の共生をめざすものであるべきで、自国中心的な世界像を描くことや、他国を誹謗することは許されないと思います。『新しい歴史教科書』が教育の場にもちこまれることによって、共生の未来を築くために必要な、生徒の歴史認識や国際認識の形成が阻害されることを憂慮するものです」。今なお、あらためてこう言わなければなりません。育鵬社版と自由社版の教科書を教育の場にもちこんではならない、と。よって、私たちは、これらの教科書が採択されることに強く反対するものです。
2011年7月22日
歴史学研究会
日本史研究会
一般財団法人歴史科学協議会
一般社団法人歴史教育者協議会

<過去の声明>

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